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桃太郎伝説の吉備路walk 鬼ノ城を訪る 2010.1.15.
唐の侵攻に備えた古代7世紀の朝鮮式山城「鬼ノ城」の中に鍛冶工房があった
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総括 桃太郎伝説の吉備路 walk「鬼ノ城」を訪ねる 1002kinojyo05.htm
「桃太郎説話の鬼・温羅」の城との伝承があり、
また、7世紀 百済救援のため、出兵した朝鮮半島白村江の戦いで敗れた大和王権が唐の日本侵攻を恐れて築いた古代の山城。
吉備 総社の街の背後にそびえる鬼城山「鬼ノ城」の山上の城内から大規模な鍛冶工房が出土したと聞いて、
桃太郎説話のルーツ温羅伝承の痕跡をたどりながら、一日吉備路を歩きました。
温羅伝承の背景には「真金吹く吉備の中山」と歌われた古代の大製鉄地帯「吉備の鉄」を巡る争いがあるとの説もあり、
「鬼ノ城」の直下 東山麓の奥畑・阿曽の郷は古代 吉備の製鉄地帯の中心地。
ここからは 6世紀後半 日本最古の製鉄炉が出土した千引カナクロ谷製鉄遺跡が眠っている。
以前に何度か吉備・鬼ノ城を訪れたことがあるのですが、発掘調査が進み、城内の諸施設が復元整備された鬼ノ城を見るのは初めて。
また、鬼ノ城と直下にある古代の奥畑製鉄遺跡群の関係も知りたいし、奥畑・阿曽の郷にも足を踏み入れたいと。
ちょっと欲張りな吉備路walkなのですが、温羅伝承の痕跡をたどりながら、
吉備津神社のある吉備の中山から足守川・血吸川沿いを鬼ノ城まで歩きました。
よく知っているつもりでしたが、やっぱり歩くと新しい発見ばかりで 本当にびっくり。
鬼ノ城 城壁諸施設図と城内に出土した鍛冶工房跡と出土した鍛冶炉羽口と鉄滓
吉備の鬼と古代製鉄の関係は知っていましたが、
あの巨大な石組みが山上に続く山城とその城内の大規模な鍛冶工房とそのすぐ麓に広がる製鉄地帯をみると
古代大和政権にとって 吉備が本当に重要拠点であったことが、いまさらなら実感されました。
そして、位置関係が良くわからなかった日本最古の製鉄遺跡 千引カナクロ谷製鉄遺跡の位置が確認できたことも収穫。
また、びっくりしたのは今回 初めて そばに居て見ることができた吉備津神社
お釜殿の「鳴釜神事」。
退治された温羅が埋められたお釜殿の下で13年間も唸り続け、
退治した吉備津彦の夢に現れ、
「わが妻・阿曽媛にお釜殿の火を炊かせば
釜を唸らせて世の吉凶を占おう」といい、
そのお告げの通りにすると唸り声も治まり平和が訪れたという伝承にルーツを持つ。
お釜殿の外に立つ私たちにも聞こえるような大きな釜が唸る音が本当にするのです。
そして 少ししたら唸り終わる。 これには 本当にびっくりでした。 |
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今回 吉備を歩くのにもう一度 桃太郎説話・温羅伝承を調べて、説話を伝える論調がこの10年で微妙に変化しているのにびっくりしました。岡山では「人を苦しめ 悩ます鬼を退治したヒーロ 桃太郎・吉備津彦」というのが、ほとんどの論調だったのですが、
10年前にはあまり聞けなかったもうひとつの桃太郎説話・新説桃太郎が広く語られていることでした。
朝鮮半島からやってきて 吉備を豊かにした温羅一族 その富をほしがった大和が、国の支配を狙ってうら一族を滅ぼし、大和に吉備を組み入れ、その後 吉備を治めた吉備津彦も大いに吉備を豊かにしたと紹介し、広くこの説が吉備そして岡山の民衆に広く受け入れられているとする話まである。
随分 論調が変わりました。
製鉄集団など異文化集団の敵として「鬼」として、国を治める鬼伝説や一生懸命地域・人を助けるのですが、
最後には裏切られてほりだされる何とももの悲しい「鬼」伝承がある中、
「鬼は自分たちの先祖・誇り」「鬼が村を救った」との民衆伝承も照会避けるようになり、
岡山の桃太郎退治も随分変わったように思いました。
まもなく2月3日「節分」です。今年も「福は内 鬼も内」です。
2010年1月27日
桃太郎伝説の吉備路walk 「鬼ノ城」を訪ねる をまとめて
By Mutsu
Nakanishi
桃太郎伝説の吉備路walk
鬼ノ城を訪ねる 2010.1.15.
唐の侵攻に備えた古代7世紀の朝鮮式山城「鬼ノ城」の中に鍛冶工房があった
【完】