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2. 桃太郎伝説の吉備路walk   鬼ノ城を訪る  2010.1.15.
     唐の侵攻に備えた古代7世紀の朝鮮式山城「鬼ノ城」の中に鍛冶工房があった

4. 古代の製鉄地帯 奥坂・阿曽に下って 血吸川に沿って足守駅へ 1002kinojyo04.htm 

       東門から東山麓へ落ちる尾根にそう登山道 阿弥陀原登山道を降りる  2010.1.15.  
東門の突端部の先端のところに阿弥陀原登山道の矢印あり、下方の崖に急降下の道がついている。
城壁の下へ降ってゆくのだから当たり前なのですが、東門のある急勾配の尾根筋。ビジターセンターでもらった地図では7分ほどで山麓の奥阪・阿弥陀原に下れると帰されているが、若者でもそれはない。なんせ ハンググライターの飛び出し口といったところをまっすぐ下ってゆく。正面に千引カナクロ谷が眠る鬼ノ城GCの池が真正面。
鬼ノ城が築かれた時代にもこの道は隠れ道として存在したのだろうか・・・。
そんなに長い時間ではありませんが急降下の道が続き、慎重に足場を確認しながら下ってゆく。

  左手には急峻な崖の上に続く鬼ノ城の城壁が見える       南側には 足守川が流れ下る総社平野
 
鬼ノ城東門から阿弥陀原・奥畑へつづく登山道の降り 2010.1.15.

    阿弥陀原登山道から見える血吸川が流れ下る奥畑・阿曽の郷 2010.1.15.
10分ちょっと崖を下りきると道はやっと緩やかになり、はやしのなかをくだって、30分ほどで、麓の阿弥陀原のT字路に出る。
北へ行くと鬼城山の北側を巻いて岩屋集落へ右手の南へ行くと奥坂休憩所から阿曽の郷血吸川沿いに出る道である。

         崖道を下りきるとなだらかなくだりとなって まもなく阿弥陀原の郷道とのT字路  
鬼ノ城の東門から30分ほどで展望が利く広場奥坂の休憩所に到着。
今降りてきた鬼ノ城が集落の後ろにそびえている.この郷からみると本当に鬼ノ城がこの奥坂の郷を守る砦であるとの感じがする。
冬の夕暮れは早い。ここから温羅が逃げ下ったという血吸川の流域へ出て、流れに沿って吉備線足守駅まで1時間ちょっとあるかねばならない。 地図を広げると 鬼ノ城野山の反対東側の雑木林に包まれた小高い丘が古代奥坂製鉄遺跡群のある鬼ノ城GCであるが、こちらからは行けない。ちょっと下ると血吸川画流れ下る平地部の里に出られ、そこから奥坂全体の姿が眺められるだろう。

     奥坂の郷にある鬼ノ城への登山口 奥坂休憩所  201010.1.15.
                               血吸川の土手から奥坂の集落を眺める   2010.1.15.

               血吸川の土手から奥坂の集落を眺める   右端 奥に古代奥坂製鉄遺跡群が眠る 2010.1.15..
血吸川の土手に沿って足守駅ちかくまでくるともうすっかり夕暮れ。西に夕日が沈むのが見られました。
夕日を眺めながら 一日をふりかえりつつ足守駅へ
18時6分初の吉備線岡山行きで帰路に着く。 満足の吉備鬼の痕跡をたどる鬼ノ城walkでした。

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