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2.  桃太郎伝説の吉備路walk   鬼ノ城を訪ねる  2010.1.15.

       唐の侵攻に備えた古代7世紀の朝鮮式山城「鬼ノ城」の中に鍛冶工房があった 



       1. 吉備の中山〔吉備津神社・御陵・吉備古代文化財センタ-〕walk 1002kinojyo01.htm
吉備津神社の「鳴釜神事」 本当に釜が唸るのにびっくり 唸るのですね・・・・ 
吉備津駅周辺より吉備の中山 右端にまっすぐ吉備津神社の参道が伸びる 20101.15
 
1月15日晴れ 朝早く新快速を乗り継いで岡山へ。
岡山で吉備線に乗り継いで東側からぐるっと吉備の中山を北に回りこんで、午前11時過ぎに吉備津駅で下車。駅のすぐ南側に吉備のシンボル「吉備の中山」があり、その中山に向かって、まっすぐ 松並木の参道が吉備津神社へ延びている。
吉備の中山へは吉備津神社へお参りして、その横から登る。何度か着たのでよく知った路たである。
今日は吉備古代文化センタで展示されている鬼ノ城鍛冶工房発掘で出土した異物展示をみることと「温羅」の首が埋められて唸り続けたという吉備津神社のお釜殿での吉凶神事「お釜神事」が見られたらと。
まず 吉備津神社へお参り。

                                           吉備津神社 参道   2010.1.15.
吉備津神社は鬼退治をした吉備津彦を祭る神社。 また 境内にあるお釜殿では「鳴釜神事」が今も行われている。
今日はこの「鳴釜神事」が見られるかもしれないと思いつつ鳥居をくぐる。
吉備の中山の山腹に本殿があるので 急な階段を登りきると広い境内の向こう山腹を背に社殿が建っち、社殿からは西へ緩やかなスロープで山腹に沿って回廊が西側山裾まで延びていて、下の境内にお釜殿が建っている。
中山への登り口はこの吉備津神社の西側に沿って車道が伸び、中山の山頂部を超えて東側山裾 同じく吉備津彦を祭り、備前の一宮吉備津彦神社へと延びている。この吉備の中山は備前と備中の境界にあり、吉備津神社は備中にある。
大化の改新の後 国が整備され、吉備が備前・備中・備後に分かれた時にそれぞれに吉備津彦を祭る神社がそれぞれ分社されたために、この中山に吉備津彦をまつる大きな神社が二つたっているというおかしなことになったようだ。
どうも ルーツはこの備中側にある吉備津神社らしい。 まずは 本殿でお参りして、お釜殿へ。
吉備の中山の山腹に建つ吉備津神社 本殿 20101.15
吉備津神社本殿から西へ伸びる長い回廊  2010.1.15.

山腹にある社殿から長い回廊を通って西へ下った境の一角にお釜がある。
あの退治された「温羅」の首が吠え続けるので、このお釜殿の下にうずめたが、13年間も唸り続ける。
そしてある夜 吉備津彦命の夢に温羅が現れ、「わが妻・阿曽媛にお釜殿の火を炊かせば釜を唸らせてこの釜で世の吉凶を占おう」といったので、そのお告げの通りにすると、唸り声も治まり平和が訪れた。
あのお釜殿である。今もその「鳴釜神事」が行われているという。
回廊を降りて お釜殿へ向かうとラッキーなことにちょうど「鳴釜神事」の真っ最中。
この神事の間は吉兆を占ってもらっている人と神主・巫女(阿曽媛)以外はお釜殿に上がれない。また お釜殿の内部は撮影禁止である。
興味心身で入り口で神主が祝詞をあげるのを聞きながら待つ。

吉備津神社 お釜殿
  
お釜殿 鳴釜神事で祝詞を奏上する神主さん  2010.1.15.
撮影禁止で撮影できなかったので、右写真はお釜殿前に掲示されていた写真から採らせていただきました
 
耳を澄まして祝詞奏上を聞いていると突然「ビ〜 ビ〜 ビ〜 」とお釜殿の中から音が聞こえだしました。
よもや・・・と本当に半信半疑でしたが、本当にびっくり。
周りの人に知らせてあげるとみんな半信半疑で聞き入っている。
本当にお釜が鳴るのです。正確にはお釜の上で濛々と湯気をあげている蒸篭かもしれませんが・・・・。
そして しばらくして 音が鳴り止み鳴釜神事は完了。
 
今も「温羅」が唸っているのか?? 
そんなことはない。これは何か仕掛けがある・・・と
神事が終わって出てこられた神主さんに学生が内容を聞いているが、由来の話へ・・・
 
御釜殿の前にある御釜殿 鳴動神事の由来を示す案内
入り口で熱心に覗き込んでいる私を見ていて、お釜殿の中に残っていた巫女の婆さんに「どうしてなるのですか???また 何かすると鳴り止むのですか・・」と聞くと
「 神主さんの祝詞奏上のころあいに祝詞に合わせ 蒸篭の上に「玄米」を撒くと鳴りだし、しばらく鳴って鳴り止みます。
  しかし、毎度毎度、その音の響きは大きかったり、小さかったり。時には鳴らぬときも。
  その唸りの音で吉凶を占う。自分で音を替えらなうのです」という。
油紙かなにかが蒸気で振動して 玄米が踊るのだろうか??? それなら 自然には止まらない。「温羅」が唸っているのでしょうか・・・
メカニズムを知らず 不思議な音を聞いて 自分で吉凶を判断する」というのがいいですね。
後日談ですが、家に帰ってインターネットなどで調べると原理は「レイケ管」というらしい。
ほんとうかどうか 缶ビール3本呑んでつなぎ合わせて ちょっと細工すれば再現できるそうなので、また実験してagreeしたらお知らせします。「温羅」が唸るのを聞けた。今日はこれが一番の収穫。 興味津々だった鳴釜神事と鬼の怨念の唸りに一歩近づけました。



吉備津神社の境内を西へ出たところが、吉備の中山への登り口。車道が吉備の中山の反対東側の吉備津彦神社の方へ通じている。
車道とほぼ平行して途中まで谷川沿いを歩くと本当に静かな散歩道を抜けて車道へ。 人も車もほとんどなく緑の木々の中を15分ほどゆっくり登ると山の鞍部。右に御陵への道・左の鞍部に吉備古代文化財センタ-で、そのまま文化財センターへ。

吉備の中山の登り口 道は東へ山を越えて吉備津彦神社へ

道のほぼ最高点周辺 左に御陵への登り口を分ける
吉備古代文化財センターは吉備の文化財の発掘調査・研究の中心的な存在で、岡山県の製鉄遺跡・古墳などの資料をみせてもらたり、展示を見に訪れたことがある。
今回の鬼ノ城鍛冶工房跡の発掘もここが手がけ、出土した製鉄遺物を今月中展示している。
何か新しいものがあるかとも思いましたが、鉄滓と鍛冶炉羽口が少し展示してあるだけの小展示でした。
「鬼ノ城」は 吉備津彦に退治された鬼・温羅の城という伝承が残る険しい山。古代の朝鮮式山城であるが、公式の記録がなく、鬼ノ城の性格がはっきりしていないの画現状。

今回 大規模な鉄器製造の鍛冶工房を城内に持っていたことを考えると、やっぱり 7世紀 白村江の戦いで敗れ、唐の侵攻に備えた大和の国家的な城だったのだろう。


吉備の中山にある岡山県立吉備古代文化財センター
 
 

【鬼ノ城 鍛冶工房跡で発掘された鍛冶遺物の展示 吉備古代文化財センター
  


鉄滓  鍛冶炉                     羽口
 
 発掘の様子                羽口の残る鍛冶炉

吉備古代文化財センターに展示されていた鬼ノ城 鍛冶工房跡で発掘された遺物 2010.1.15.

学芸員の方に現地説明の資料をもらうとともに、鍛冶工房遺跡跡の位置を教えてもらった。
やっぱり 埋め戻されているが、鬼ノ城東門のすぐ上で、城壁回遊路から見られることがわかりました。また一番心配だった鬼ノ城からまっすぐ奥坂製鉄遺跡群のある直下の阿曽の郷への道についても、「登りはきついので進めないが、東門から崖道であるが、しっかりした道が奥坂の郷までついている」と。
これで決まり。はじめ 山の東側 阿曽の里から登るほうが効率がいいと思いましたが、足守川沿いを歩いて どこかでタクシーを呼んで西側の鬼ノ城の西側のビジターセンターから登り、阿曽の郷へ降りようと。
吉備津から吉備線で服部駅まで途中カットすれば 楽勝なのですが、やっぱりのんびり郷歩きもしたいと。
まあ どないかなるやろうといつものwalk。 ちょっと下って 御陵の登り口へ
御陵は東側の山の頂上部にあって、延々と階段が続き、上りきった尾根の上に御陵がある。
吉備津彦の墓との説があるため、宮内庁が管理していて、山の上よく整備管理されている。

 
御陵へ登る階段 階段を上りきった尾根の上に御陵がある
御陵からもと来た道を吉備津神社の横まで下り、北の吉備線吉備津駅の方には行かずに吉備路・総社へのサイクリングロードを吉備の中山に沿って西へ集落を抜けると広大な田園地帯に出る。 山がない平地 おそらく昔は海か湿地が広がる海岸地帯だったのだろう。
田圃の中をまっすぐ西へ足守川へ向かう。

鬼ノ城で敗れた温羅が血吸川の川筋へ逃げ、さらに鯉となって逃げた下流の足守川である。
この楯築遺跡は大和が前方後円墳を築く先駆けモデルとなったと考えられる遺跡で川岸の丘に巨大な石がいくつも残っている。
温羅と戦う吉備津彦がこの吉備の中山に陣を引き、西の足守川の際に石の楯を築いたとの伝承が残っている。
本当に 前方後円墳との関係は何度も聞いて知っていましたが、桃太郎伝説との関係は頭にありませんでした。
そういえば、「楯築」の名もここからきているのか・・・・・。 この吉備路は 大和王権成立にも大きな影響を持った土地である。

吉備の中山の西には 足守川まで広大な田園地帯が広がり、振り返ると吉備の中山 鬼の城はずっと北の方である

 
田園地帯の西側 足守川の右岸に沿って 楯築遺跡など吉備古代の中心地
東には 今歩いてきた「吉備の中山」
  


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  2010.2.5.  1002kinojyo01.htm      by  Mutsu Nakanishi