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2. 桃太郎伝説の吉備路walk 鬼ノ城を訪ねる 2010.1.15. 唐の侵攻に備えた古代7世紀の朝鮮式山城「鬼ノ城」の中に鍛冶工房があった 3. 7世紀 唐の侵攻に備えた朝鮮式山城 鬼ノ城 & 鬼ノ城鍛冶工房跡を訪ねる 3.1.鬼ノ城西門から城壁を巡って東門へ 3.2.東門の上の尾根筋に出土した鬼ノ城鍛冶工房 3.3.古代日本最古の製鉄遺跡 千引カナクロ谷製鉄遺跡の位置を眺める 3.1. 鬼ノ城西門から城壁を巡って東門へ 1002kinojyo03a.htm 登り始めてすぐのところを南へ折れると鬼ノ城の外観や眼下に広がる総社平野が一望できる展望台が整備されていて、ここからは復元された西門がよく見える。遠く総社の街から山の上に見えていた西門が本当に天然の要塞急峻な崖の上に建っているのがよく判る。ずっと時代を下った城郭の石垣と見間違うようなしっかりした石垣の上に楼閣が載った西門。 これが朝鮮からの渡来人たちの技術。また、この石の切り出し、山の上で組み立てるには本当に数多くの鉄製工具が使われたに違いない。大和・飛鳥のイメージからすると本当にかけ離れた技術のレベルにびっくりする タクシーで登ってくると何のありがたみもないが、こうしてみるといまさらながら総社平野を見下ろす鉄壁の要塞だと。 鍵岩展望台からの鬼ノ城概観と総社平野展望 2010.1.15. 【 角 楼 】 鬼ノ城西南側角の城壁にある 左 角楼と 右 西門 2010.1.15. 元の道にもどって、良く整備された遊歩道を少し登るといよいよ鬼ノ城の西側城壁である。 まもなく分岐になり、左手に登る道には四角の石組みの上に板囲いされた建物。 まっすぐ前方には西門の大きな楼閣が見える。西門の方へ行けば、城壁を南側からめぐる道 左手を執れば鬼ノ城の上方の中心部や北の城壁をめぐる道。 今回は南側から東門へめぐりたいが、復元された四角い板囲いの建物と石組のすばらしさに興味深々でまずそこへ行く。 角 楼 跡 総社市 案内より かつてここには,裏門的な門跡の存在が推定されていたが,平成8年度の発掘調査で城門ではなく,特殊な遺構であることが判明。ここは,南北両方から入り込んだ谷の頭部にあたる背面側の要地で,正面側約13m,奥行側約4mが前方へ突出した長方形の張り出し部が,城壁に付設されている。 張り出し部の下部は,推定高さ約3mの石垣とし,その上部は土積みであったようで,張り出し部の本来の高さは約5m以上と推定される。石垣の間にはほぼ4m間隔で,一辺約50cmの角柱が立つ。張り出し部の外側には,通路のような幅1.5mの敷石が巡っており,また,城内側には角楼への昇降のための石段もつけられている。 張り出し部をもつこの遺構=角楼は,背面からの攻撃に備えるとともに西門防備をも意図した重要な防御施設と考えられる。なお,角楼の存在,石垣の間に立つ柱,敷石が巡っていることは,日本の古代山城では初の発見例である。 日本の古代とは思えぬ風景 大和にはない石組みの風景である 2010.1.15. 【 復元された西門 とその西門に続く城壁の敷石 】 復元された西門 2010.1.15. 古代というと木造建築をイメージするのですが、渡来人の手を借りたとはいえ、日本にもこんな強固な石造建築物があったことにびっくりである。西門に続く城壁は土塁で表面にはびっしり四角の切石が敷きつめられ、城壁の下には城壁に沿って敷石が敷かれた道が続いている。眼下には今日歩いてきた足守川沿いの総社平野が遠望できる。 【 山の南側をめぐる城壁沿いの道が山腹を巡る 】 西門からこの敷石が敷き詰められた道の端のところから城壁の南側をめぐる道となり、東門へ向かう。 記憶にある山道からは本当によく整備された道が城壁をめぐっている。 山の南側をめぐる城壁沿いの道が山腹を巡る 2010.1.15. 【鬼ノ城 南門 】 鬼ノ城 南門 2010.1.15. 【第二水門から 最南突端部を通って 東門へ 】 南側山腹をめぐる城壁 第三水門周辺 2010.1.1 南側城壁の最南部突出部 眼下に 鬼ノ城の東側 奥畑のゴルフ場が見え出す 2010.1.15. 突出部より 東側を巡る城壁 2010.1.15. .上方に「屏風折れの石垣」 右手に東門が見える 「屏風折れの石垣」 東門周辺 突出部を回り込んだところの大きな岩に刻まれた観音様「岩切観音」 2010.1.15. 岩切観音を過ぎるとすぐのところに左手へ城の中心部へ登ってゆく道と城壁を巡る道との分岐点。城壁をめぐる道はちょっと降り道となって東門へ向かう。降りきったところが小さな谷になっていて、ここにも水門がある。この水門から続くなだらかな登り道の向こうが平坦な突端部になっているのが見え出し、そこが東門のある突端部だった。 北の城内中心部へ登る道と城壁をめぐる道との分岐 2010.1.15. 南側城壁 第四水門 東門のある突端が見えてくる 【 眼下に奥畑・阿曽の郷が広がる東門 】 鬼ノ城 東門跡 2010.1.15. 西門からぶらぶら城壁の南側を巡って 30分ほどで東門にいたった。多少上り下りがあるが、よく整備された回遊路なのでほとんど平坦地を歩いている感じである。東門からはこの鬼ノ城の東山麓に広がる奥畑・阿曽の集落が手に執るように見える。 また、鍛冶工房遺跡はこの東門の上方に延びる尾根一帯に広がっていたという。 突端をくるりと先に回ればそこからは今はもう埋め戻されているというが鍛冶工房跡が見えると聞いた。 また 眼下に広がる奥畑一帯は古代の製鉄地帯 ぜひ 日本最古の製鉄遺跡である千引カナクロ谷製鉄遺跡の場所をここから特定したい。 鬼ノ城 東門 眼下に広がるゴルフ場周辺が奥坂 古代吉備の中心的製鉄地帯である 先頭に戻る 3. 鬼ノ城&鬼ノ城鍛冶工房跡を訪ねる top に戻る |< 先頭頁 << 前頁 < 1002kinojyo03a.htm > 次頁 >> 最後頁>| .
登り始めてすぐのところを南へ折れると鬼ノ城の外観や眼下に広がる総社平野が一望できる展望台が整備されていて、ここからは復元された西門がよく見える。遠く総社の街から山の上に見えていた西門が本当に天然の要塞急峻な崖の上に建っているのがよく判る。ずっと時代を下った城郭の石垣と見間違うようなしっかりした石垣の上に楼閣が載った西門。 これが朝鮮からの渡来人たちの技術。また、この石の切り出し、山の上で組み立てるには本当に数多くの鉄製工具が使われたに違いない。大和・飛鳥のイメージからすると本当にかけ離れた技術のレベルにびっくりする タクシーで登ってくると何のありがたみもないが、こうしてみるといまさらながら総社平野を見下ろす鉄壁の要塞だと。 鍵岩展望台からの鬼ノ城概観と総社平野展望 2010.1.15. 【 角 楼 】 鬼ノ城西南側角の城壁にある 左 角楼と 右 西門 2010.1.15. 元の道にもどって、良く整備された遊歩道を少し登るといよいよ鬼ノ城の西側城壁である。 まもなく分岐になり、左手に登る道には四角の石組みの上に板囲いされた建物。 まっすぐ前方には西門の大きな楼閣が見える。西門の方へ行けば、城壁を南側からめぐる道 左手を執れば鬼ノ城の上方の中心部や北の城壁をめぐる道。 今回は南側から東門へめぐりたいが、復元された四角い板囲いの建物と石組のすばらしさに興味深々でまずそこへ行く。 角 楼 跡 総社市 案内より かつてここには,裏門的な門跡の存在が推定されていたが,平成8年度の発掘調査で城門ではなく,特殊な遺構であることが判明。ここは,南北両方から入り込んだ谷の頭部にあたる背面側の要地で,正面側約13m,奥行側約4mが前方へ突出した長方形の張り出し部が,城壁に付設されている。 張り出し部の下部は,推定高さ約3mの石垣とし,その上部は土積みであったようで,張り出し部の本来の高さは約5m以上と推定される。石垣の間にはほぼ4m間隔で,一辺約50cmの角柱が立つ。張り出し部の外側には,通路のような幅1.5mの敷石が巡っており,また,城内側には角楼への昇降のための石段もつけられている。 張り出し部をもつこの遺構=角楼は,背面からの攻撃に備えるとともに西門防備をも意図した重要な防御施設と考えられる。なお,角楼の存在,石垣の間に立つ柱,敷石が巡っていることは,日本の古代山城では初の発見例である。 日本の古代とは思えぬ風景 大和にはない石組みの風景である 2010.1.15. 【 復元された西門 とその西門に続く城壁の敷石 】 復元された西門 2010.1.15. 古代というと木造建築をイメージするのですが、渡来人の手を借りたとはいえ、日本にもこんな強固な石造建築物があったことにびっくりである。西門に続く城壁は土塁で表面にはびっしり四角の切石が敷きつめられ、城壁の下には城壁に沿って敷石が敷かれた道が続いている。眼下には今日歩いてきた足守川沿いの総社平野が遠望できる。 【 山の南側をめぐる城壁沿いの道が山腹を巡る 】 西門からこの敷石が敷き詰められた道の端のところから城壁の南側をめぐる道となり、東門へ向かう。 記憶にある山道からは本当によく整備された道が城壁をめぐっている。 山の南側をめぐる城壁沿いの道が山腹を巡る 2010.1.15. 【鬼ノ城 南門 】 鬼ノ城 南門 2010.1.15. 【第二水門から 最南突端部を通って 東門へ 】 南側山腹をめぐる城壁 第三水門周辺 2010.1.1 南側城壁の最南部突出部 眼下に 鬼ノ城の東側 奥畑のゴルフ場が見え出す 2010.1.15. 突出部より 東側を巡る城壁 2010.1.15. .上方に「屏風折れの石垣」 右手に東門が見える 「屏風折れの石垣」 東門周辺 突出部を回り込んだところの大きな岩に刻まれた観音様「岩切観音」 2010.1.15. 岩切観音を過ぎるとすぐのところに左手へ城の中心部へ登ってゆく道と城壁を巡る道との分岐点。城壁をめぐる道はちょっと降り道となって東門へ向かう。降りきったところが小さな谷になっていて、ここにも水門がある。この水門から続くなだらかな登り道の向こうが平坦な突端部になっているのが見え出し、そこが東門のある突端部だった。 北の城内中心部へ登る道と城壁をめぐる道との分岐 2010.1.15. 南側城壁 第四水門 東門のある突端が見えてくる 【 眼下に奥畑・阿曽の郷が広がる東門 】 鬼ノ城 東門跡 2010.1.15. 西門からぶらぶら城壁の南側を巡って 30分ほどで東門にいたった。多少上り下りがあるが、よく整備された回遊路なのでほとんど平坦地を歩いている感じである。東門からはこの鬼ノ城の東山麓に広がる奥畑・阿曽の集落が手に執るように見える。 また、鍛冶工房遺跡はこの東門の上方に延びる尾根一帯に広がっていたという。 突端をくるりと先に回ればそこからは今はもう埋め戻されているというが鍛冶工房跡が見えると聞いた。 また 眼下に広がる奥畑一帯は古代の製鉄地帯 ぜひ 日本最古の製鉄遺跡である千引カナクロ谷製鉄遺跡の場所をここから特定したい。 鬼ノ城 東門 眼下に広がるゴルフ場周辺が奥坂 古代吉備の中心的製鉄地帯である
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