日畑橋から北への足守川土手より眺める 左:鬼城山 右:吉備の中山
2010.1.15.
桃太郎伝説の吉備路walk
鬼ノ城を訪ねる 2010.1.15.
岡山-吉備線→吉備津駅→吉備神社→吉備の中山-御陵・吉備古代文化財センタ-→吉備津神社
→ 田園の中道 総社への吉備路サイクリングロードを西へ 足守川 日畑橋へ
→ 足守川土手を北へ 左に楯築遺跡 右に吉備の中山 北の鬼ノ城を目指して
→ 鯉喰神社→国道180号線 門前集落→タクシー→鬼城山8合目 鬼ノ城ビジターセンタ
→ 鬼ノ城・鍵岩展望台→西門・角楼→南門→東門→鬼ノ城鍛冶工房跡
→ 東門→阿弥陀原登山道を奥坂。阿曽の郷へ→阿弥陀原・奥坂休憩所→血吸川沿いを足守駅
→ 岡山へ
【参考解説 温羅伝説】
○ 桃太郎説話の元となった「温羅」伝説
おかやま物語・総社市鬼ノ城・吉備津神社&
吉備津彦神社などのhome page より整理転記 |
昨年12月 岡山 鬼ノ城の中から 鍛冶工房が出土したと聞いて、久しぶりに整備が進んでいると聞いた「鬼ノ城」を訪ねました。
「鬼ノ城」のある鬼城山は高さ400mと低いのですが、吉備・総社の街の背後にそびえ、その山上部にある復元された楼閣がその下に広がる総社平野から見渡せ、桃太郎説話の元となった「鬼・温羅」の住処の伝説の地。そして その東山麓 血吸川が南に流れ下る阿曽の郷は「真金吹く 吉備」の古代吉備の製鉄の中心地であり、日本最古 6世紀の製鉄炉が出土した千引カナクロ谷製鉄遺跡が眠る地である。
この地で製鉄を始めた渡来製鉄集団が吉備を豊かにし、それを手に入れようとする大和との争いが「温羅」伝説となり、桃太郎の鬼退治伝説のルーツとする説もあり、この血吸川やその下流の足守川沿いから吉備の海岸線であった「吉備の中山」には点々とその伝説の痕跡が残っている。そして 吉備の中山には鬼退治をその後吉備を治めた吉備津彦を祭る吉備津神社・吉備津彦の墓との伝承がある御陵があり吉備津神社には 境内お釜殿の下にうずめられた「温羅」の首が13年もの間うなり続けたとの伝承にルーツを持つ「お釜神事」が今も残る。