先月出掛けた東近江綿向山の直ぐ東側にあたり、愛知川を挟んで 対岸に湖東の名刹永源寺がある。
この愛知川を遡って鈴鹿の山並みを越えた伊勢側には縄文草創期の土偶が出土した「粥見井尻遺跡」があり、鈴鹿を挟んで伊勢と東近江で最も古い土偶が出土したことになる。
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縄文草創期の土偶が出土した永源寺相谷熊原遺跡全景と
直ぐ横を流れる愛知川 2010.6.6.
縄文のビーナスを想起させるリアルな女性像土偶の誕生に
ひょっとしてこの鈴鹿山麓の縄文人たちでないか・・・と
イメージが広がってゆく。 |
この愛知川沿いの道は「八風街道」と呼ばれる古道。この琵琶湖へ注ぐ愛知川沿いを下ってゆくとウッドサークルの中で 仮面をかぶって縄文の祭が行われていたと言われる縄文後期の東近江市能登川正楽寺集落遺跡が河岸段丘の上にある。
この地は関西縄文人たちの故地ではないのか・・・「関西の縄文」に突然のビッグニュース
相谷熊原遺跡とは どんなところなのだろうか・・・
関西の縄文ビーナスを是非 眺めたい。
永源寺は何度か行ったのですが、お寺以外にほとんどイメージがない。また鈴鹿を越えてゆく八風街道もどんな風なんだろうか・・・・
6月6日に現地説明会あると報じられているのを見て 照会すると発掘現場は現説が済むと直ぐに埋め戻と・・・・。
本当にどんなところなのか 是非見たくて 6月6日朝早く起きて永源寺に出かけました。
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【永源寺相谷縄文遺跡の位置づけ関連の縄文遺跡】
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