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7. 東近江 永源寺相谷熊原縄文遺跡 Walk 
    縄文のビーナス誕生を思わせる日本最古級の美しい土偶が出土
1. 近江鉄道八日市から八風街道を永源寺へ〔永源寺相谷熊原遺跡 現地見学と説明会へ〕
 近江八幡から八日市へ左手に安土城跡の山を眺めながら  はるか遠く鈴鹿の山を前方に近江平野を東へ横切ってゆく2010.6.6. 
麦秋と田植えの近江平野の真っ只中を走る近江鉄道の沿線で  2010. 6.6.
東近江・永源寺周辺 行動地図
今回縄文草創期の土偶が出土した永源寺は近江平野から鈴鹿越えにかかる入口にあたり、鈴鹿から谷間を流れ下る愛知川の山裾に紅葉で
有名な古刹永源寺があり、愛知川に沿って八風街道が鈴鹿の山に登ってゆく。かつて近江商人たちがこの道を通って各地の物産を運び財を成し、近江商人の名が全国に広がってゆく。
新聞の報道で知った素晴らしい土偶と縄文草創期とは思えぬ竪穴住居群の村の出現。
トピックスになるような縄文遺跡の少ない関西にとって ビッグニュースである。
是非とも埋め戻される前に現地に立ちたいと6月6日早朝に神戸を発って永源寺に出かけました。
 
永源寺 10時の現地説明会に間に合うように出かけるには車だと名神を走って 八日市ICを出て永源寺に向かえばなんと言うことはないのですが、電車とバスを乗り継いでゆくとなると中々厳しい。琵琶湖の東岸を走るJRの駅から東側へ近江平野を横切って、鈴鹿の麓までバスか何かでトラバースせねばならない。インターネット地図と時刻表とにらめっこで10時までに行ける道を探る。
朝6時過ぎに電車に乗れば 近江八幡まで電車で行って それから近江鉄道に乗り継いで八日市そしてバスで永源寺へ。 
何とか10時に永源寺に入れる。まだ 新快速は走っていないが、6時25分三宮発の米原行に乗って 近江八幡へ。乗継連絡のある近江鉄道で八日市駅に8時47分。9時発の永源寺車庫行のバスに飛び乗って9時34分に永源寺車庫着。何とか10時の現地説類会に間に合う。 
いつもは行き当たりばったりの風来坊であるが、今回はとにかくスケジュールどおり行かないと間に合わず。
近江八幡8時14分着。一旦改札を出て直ぐ隣の近江鉄道の改札へ。永源寺行のバスとセットになった一日乗車券を買って出発。
ついこの間日野/鎌掛谷の石楠花を見に行ったのでなれたもの。
でも この近江八幡から八日市を経て米原へ行く路線に乗るのは初めて。
近江平野の真っ只中を安土城跡の山を左手に東の鈴鹿の山並みへ向かって走ってゆく。奇岩のそそり立つ太郎坊宮の横をすり抜けて30分ほどで近江鉄道八日市駅である。(ついでながら 神戸から近江八幡までがほぼ100kmで往復割引・ジパングの割引が使える範囲に入り、格安。 ジパンク゛に入会して早く使ってみたかった今回の永源寺行でした。) 
東近江市の中心八日市はJRはと負っていないが、東海道・中仙道と
京・近江八幡から鈴鹿を越えて 伊勢に至る最短コース「八風街道」が
交差する東近江の中心で近江商人で栄えた街である。
「八風」の名が示す鈴鹿の山々から琵琶湖へ吹き降ろす大風が八日市
の大凧を育んだのでしょう。
八日市駅に降り立つと相谷熊原遺跡現地説明会行の直行臨時バスが接続されていて、最寄バス停である永源寺車庫まで行ってくれる。 
現説の時間に間に合うかと心配でしたが、これで安心。
          

近江鉄道の電車と八日市駅に飾られた大凧

                   近江鉄道 八日市駅から臨時バスで永源寺へ   2010.6.6. 
日曜日の早朝 近江鉄道八日市駅に降り立った人は ほとんどが永源寺相谷熊原遺跡の現地説明会に出かける人達。
でも もっと人が多いのかと思っていましたが、やっぱり電車では便利が悪く 行くには車なのでしょうか・・
でも 遺跡へ行く臨時バスもほぼ満員で永源寺へ向かって走り出す。
・八日市の市街地を通り抜けるのは初めてであるが、近江八幡と共に東近江の中心地で 街路樹が並ぶ広い道の両側に東近江地域の官庁街が続く。さすが 近江商人の町である。


八日市から永源寺まで 真っ直ぐ東の鈴鹿の山へ近江平野の真ん中を走る国道321号線
 「八風街道」をバスで約40分である
国道321号線 古道「八風街道」は八日市駅前から東に伸びる゛大通りの一本南側を東西に近江八幡から八日市の街を通り抜けて近江平野のど真ん中をまっすぐ東へ突ききり、永源寺から鈴鹿の山並みを越えて四日市・伊勢に結ぶ道。 
古くは伊勢風土記に登場し、「伊勢」の名の起こりや「八風」の語源もこの伊勢風土記の記述によるといわれる。 
また、古代から伊勢・尾張と近江・京都を結ぶ最短コースとして大いに繁栄。近江商人がこの道を通って物資・特産を運び大きな財を成した。
現在の国道21号線の鈴鹿越は悪路で有名で 現在鈴鹿越の主要交通路は北の鞍掛峠越〔トンネル〕や南の武平峠越・鈴鹿峠越にゆずっているが、この八風街道石榑峠をトンネルで抜ける工事が進んでおり、
また、往時の賑わいを取り戻すかもしれない。
八風街道〔概説〕

バスは八日市の市街地を八風街道に出て東へ 
八日市から東へ 近江平野の中央を八風街道がまっすぐ東の鈴鹿の山並みに向かって突き進む。村田製作所の工場の横を通り、名神八日市ICを潜り抜けると田園地帯が広がり、前方に鈴鹿山脈の山並みが見えてくる。街道はその山並みへまっすぐ続く一本道。 

田園地帯からこの山並みの中に分け入る入り口が永源寺で、鈴鹿の山並みの右手端に先月歩いた綿向山・日野周辺がぼんやりかすんでいる。この道の左手北側を平行して鈴鹿の山並みから愛知川が流れ下って来るのですが、バスからは見えない。

   東の鈴鹿の山並みへまっすぐ伸びる国道321号線「八風街道」              和南川を渡ると左手に愛知川  2010.6.5.
   右手端の山並みが日野・綿向山周辺  2010.6.6.
八日市から30分弱。田園地帯が広がる近江平野を突ききって 山裾に近づいて、南から愛知川本流に流れ込む和南川の合流点山上集落に入る。永源寺はここから愛知川本流をちょっと遡れば直ぐで、山上集落を抜けると急な坂道。愛知川の河岸段丘の上へのぼってゆく。
右手から愛知川に流れ込む和南川の合流点を渡ると視界が開け、左手に愛知川が見えてくる。集落を抜けて急な坂を登って山上小学校前に出ると、街道は愛知川が見え隠れする南岸の河岸段丘の上。
永源寺の集落域に入り、大きな送電鉄塔と送電線が奥の愛知川ダムにある発電所から山を渡ってゆく。まもなく永源寺である。
バスは対岸の永源寺のお寺へ渡る紅葉橋を渡らずそのまま直進して、遺跡の最寄り駅である終点の永源寺車庫バス停へ。

   鈴鹿から西へ 山上・永源寺の集落をを流れ下る愛知川 奥の永源寺ダムの送電線が川を渡ってゆく 2010.6.6.

永源寺愛知川の南側の河岸段丘の上 永源寺車庫 写真奥が相谷熊原遺跡 2010.6.6.
紅葉橋周辺の両端は切り立った崖になっていて、永源寺は愛知川上流の渓谷域であると知れ、街道は紅葉橋から急な坂道を河岸段丘の上へ登りきり、永源寺相谷集落の入口の永源寺車庫バス停へ。
何人もの地元の人が案内板を掲げ、車と人の整理にあたってくれているのがみえ、永源寺車庫のバス停に到着。

         永源寺車庫バス停前 八風街道は鈴鹿越えの山道  2010.6.5.
永源寺車庫のバス停は街道が愛知川沿って南岸を北西から東に方向を変えて永源寺の谷筋に入った永源寺相谷集落の入口。
永源寺のある対岸は山腹。正面には鈴鹿の山並みが連なり、ここから先 八風街道は狭い谷筋 相谷集落を抜け、右手にカーブしながら鈴鹿の山越。バス停の所にある鈴鹿越の案内道路標識には「石榑峠 崖崩れで通行止め」と書かれていてここから先の鈴鹿越が今も難所であることを示している。一方目的の相谷熊原遺跡は反対側の山裾の田園が広がる愛知川の河岸段丘上。
案内に従って、遺跡に至る下流側へ歩き出す。
岸の樹木に阻まれて流れ下る愛知川の水面やちょうど対岸正面にある永源寺の本堂が岸の樹木の間からチラッと見え、道端には相谷熊原遺跡現地説明会の案内ボードを持った人が眼に飛び込んでくる。地元の人たちがこの現地説明会のために借り出されているようだ。
ところどころに案内標識と案内の文化財保護協会の人たちが立っていてくれる。
 バスから降りて案内板にしたがって東側田圃の向こう 鈴鹿の山々を眺めながら田園の中を 現地説明会へ向かう 2010.6.6. 
案内板にしたがって、熊原集落の中を抜けて、南西へ遺跡への道をたどる 2010.6.6
熊原神社の鳥居を曲がると西側前方に圃場整備が進む広大な田園地帯が広がっていましたこの河岸段丘の上一帯が相谷熊原遺跡
相谷熊原の集落をぬけるとさえぎるもののない前方にパッと圃場整備が進む田園地帯が広がり、この田園への入口のところに、
今回の相谷熊原遺跡現地説明会の案内テントが建っていました。
眼前 さえぎるもののない台地全体に広がる広大な田園地帯に釘付け。 素晴らしい田園風景である。
 

              台地の前方南西方面下流側 正面に相谷熊原遺跡のテントが見える
    
      愛知川の北側対岸台地の前方南西の琵琶湖側    北から北東側 愛知川対岸 永源寺の街 右端に永源寺
               南西から北東へ山裾を流れる愛知川の河岸段丘の上広がる相谷熊原遺跡 2010.6.6.
台地の前方が西の琵琶湖側ですが、台地の端までさえぎるもののない丘で、台地の向こう南西から北東へ空を渡って愛知川を越えてゆく送電線。側には東西に連なる里山を背に愛知川北岸丘陵地に永源寺の集落が緑の帯の中にうずまっている。台地の中は圃場整備がすすみ、四角く区切られた区画の盛土の段が南から北へ幾重にも広がりって居る。台地の一番手前に南北に台地を登って行く道が整備されている。その道に沿って細長く掘り返された部分があり、そこに人が群がり、其の奥にもテントが立っている。
ここのところが 今回縄文草創期の竪穴住居群と土偶が見つかった発掘現場のようだ。
圃場整備が終わって田園の緑が戻れば 素晴らしい田園風景が広がるだろう。
ふっと大和・葛城と紀ノ川/吉野の境 風の森峠の田園風景をイメージしていました。
来る道々 歩きながら文化財保護協会の人が、
「こんなすばらしいロケーションはない。ぜひ 見てほしい。 残したいですね」
と言っていましたが、すばらしいロケーション。
ここでも やっぱり 縄文人はすばらしい景色の中にいたことがわかる。
        南から北へ 右手の山裾を流れる愛知川の河岸段丘の上広がる相谷熊原遺跡のある河岸段丘 東側より 2010.6.6.
.3枚組み写真の左端が南 正面が西の琵琶湖側 右端が北 右端山裾が永源寺の門前です 

現地説明会の受付けテントで現地説明会の資料をもらう混雑が予想されたためか 圃場の入り口の道にはロープが張られ、勝手に中へ入れない。先に来て 発掘現場を見ている人もおおいが、現地説明会が始まるのは10時。
ロープの前で待ちながら、現地説明会資料に眼を通しながら、遺跡のアウトラインを頭に入れる。
景色は頭に入れたし、次なる興味は素晴らしい土偶の見学とまだ定住が始まらぬ縄文草創期 村を想起するの建ち並ぶ竪穴式住居跡群。
手前の人が群がっている場所が縄文草創期の竪穴住居群(4棟)が連なって発掘された場所で、
その奥テントが立つ横のところが、土偶が発見された竪穴住居跡の場所。すでに埋め戻され、その横のテントの中で今回出土した土偶が見られるという。10時になって現地説明会が始まった。 
人が多く、土偶を見る人がテントのところで詰まってしまうと予想され、約50人程度づつ順番に 遺跡そばに行って現地説明を聞く。
2号竪穴住居跡(南側)より 北側を見る正面奥山の下の家並下を愛知川が流れ下る

5号竪穴住居跡(手前北側)より 南側を見る
写真中央 テントの右樹木がみえる一段上がったところが 土偶が出土した1号竪穴住居跡の位置

13000年前の縄文草創期の竪穴式住居跡 同時期に4棟が建ち並び 縄文の村形成のはじまりか・・・
また この尾根筋手前のところに土偶が出土した1号竪穴住居が出土している 


 八風街道と八風峠

近江八幡の佐宿から八日市・永源寺・八風峠(鈴鹿)を経て伊勢へ至る近江商人や伊勢の商人たちの重要な通商路で、
伊勢と京都を結ぶ最短コースとして栄えた古道である。
現在 国道321号線がほぼこの道をたどるが、国道321号線の鈴鹿越は八風峠の北側の石樽峠を通る。
武佐(近江八幡:八風街道と分岐)-末広ー小脇(八日市)・八日市ー妙法寺ー立石ー御園ー如来
ー 山上(永源寺)・高野ー九居瀬ー蓼畑ー杠葉尾(ゆずりお)ー八風峠ー菰野(三重県)

八風峠の由来が初めて語られた[伊勢風土記]〔逸文〕(和銅710年)
『伊勢国は天御中主尊の第十二世孫、天日別命が統治している土地である。
  この地から東へ数百里のところに、伊勢津彦命の治める土地がある。
  天日別命は伊勢津彦命に問うていわく。 「天孫たる我等にこの地を献上されたい」
 伊勢津彦命は「我らは当地を統治して久しく、いまさら貴方の言うことは聞けない」  
 そこで天日別命は兵を引き連れ攻め入ろうとした。
 すると 伊勢津彦命は恐れ入って「我らはこの地に留まらず」と降伏した。
  
 天日別命は「汝の去る証しは何か?]と問うたところ、
 答えて 「我は神通力で八風(やかぜ)を起こして海水を吹き上げ、その波に乗って
 東方に立ち去るつもりである。これは天孫に対する我等の敬意である」と。
  
 天日別命は兵を整えて待機していると、真夜中になって大風が四方から吹き起こり、それが波浪をあおり立て、
 光は稲妻となって海も陸も明るく照らした。
 そしてついに伊勢津彦命はその波に乗って遠く信濃の国へ立ち去っていった。』
  
 このときの八風(やかぜ)が八風峠の語源だと言う。地元の村の人々は伊勢津彦命を守神として神社に祭り敬っいる。
 神通力で[やかぜ]を巻き起こしたことから、伊勢津彦命は風の神様としてあがめられ八風大明神として、
 八風峠にかつて神社があったという。
 また、「伊勢」の国の語源もこの国つ神「伊勢津彦命」の名を取ったとする説が有力である。

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1007aidani01.htm   2010.7.5. by Mutsu Nakanishi