また、縄文草創期の最古級の土偶は今回出土した相谷土偶ほどリアルではないが、この地より南へ約60Km鈴鹿山脈を越えて三重県側にいったところにある粥見井尻遺跡でも2つ出土し、合計3体が出土している。
現在草創期の土偶すべてがこの鈴鹿山脈を挟んで出土しているが、
三重県側粥見井尻遺跡の土偶との類似性は乏しい。
このことから 女性の体形の明瞭・リアルな表現がなされた土偶
「縄文のビーナス」がこの地で育まれたのではないかと思え、
想像するだけで楽しくなる。
また 土偶と言う視点に限ってみれば、この八風街道を通って鈴鹿の山並みの両側に住んでいた縄文人たちが交流していた可能性も考えられる。 日本最古級縄文草創期の土偶が出土した
とにかく すごい 土偶 縄文のビーナスの出土である。
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粥見井尻遺跡と永源寺相谷熊原遺跡の位置関係 |
出土した現場近くのテントの中で展示された相谷土偶 2010.6.6.
既に埋め戻されているが 直ぐ脇の 号竪穴式住居出土した土偶が飾られたテント 2010.6.6.
早く出土した土偶を見たいのですが、土偶が展示されている上のテントの所の行列が長く、すき具合を眺めながらその行列に加わる。みんな目当ての土偶なので中々前に進まない。
行列の後ろからのぞきこむと ケースに入れられた土偶は
新聞の写真で見る以上に小さい。
みんな顔をすり寄せ、カメラや携帯電話で 思い思いの写真を撮っている。
早く出土した土偶を見たいと上のテントの所の行列に並ぶのですが、みんな目当ての土偶に中々進まない。
やっと自分の番。これが・・・・・。小さいが やっぱり縄文のビーナス誕生だ。実に精巧に作られている。
新聞写真では白い肌で石製のように見えたが、赤い座布団に座っていた為か、濃い茶色の土製である。
しゃがみこんで顔をケースに近づけ、正面・右から 左からと写真を撮る。
現地に来るまでは 頭部がみつかれば・・・・と思っていましたが、
もともと頭がないのがオリジナルで胴の中につけられた穴が頭の表現だと聞く。
土偶は三内丸山遺跡の板状土偶なども中に穴が通っているが、この穴がそのルーツか・・・。