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     7. 東近江 永源寺相谷熊原縄文遺跡 Walk
        縄文のビーナス誕生を思わせる日本最古級の美しい土偶が出土

   3. 縄文のビーナス誕生を思わせる縄文草創期 日本最古級の土偶の見学
 永源寺相谷熊原遺跡出土 相谷土偶 2010.6.5.
   出土した相谷土偶  高さ3.1cmのミニの土偶
相谷熊原遺跡(東近江市永源寺相谷町)で、近畿では初となる
縄文時代草創期(約1万3千年前)の竪穴建物群跡を発見。
国内最古級の土偶1点が出土
出土した土偶は高さ3・1センチ、最大幅2・7センチ、
重さ14・6グラム。
頭はなく、頂部に小さな突起があり、深さ2センチのせん孔が施
されていて、穴を空けることで頭部そのものを表現したと考えら
れている。
強調された乳房と腰のくびれがリアルに表現され底部を平らに仕
上げ、自立できる構造は縄文中期以前では類をみない。
2.1cmの超ミニ版で女性が身につけて大事に持っていたのではな
いかと推察される。
「縄文のビーナス誕生」を思わせる女性の体形の明瞭・リアルな
表現で精巧な土偶作りが、縄文草創期に既に行われていたことに
驚きである。
粥見井尻土偶
全長 6.8cm
松阪市粥見井尻遺跡
相谷土偶
高さ 3.1cm
東近江市永源寺相谷熊原遺跡 
13000年前 縄文草創期 最古級の土偶
国宝 縄文のビーナス
高さ45cm
茅野市棚畑遺跡
縄文中期 4500年前
重文 仮面の女神
全長 34cm
茅野市中ツ原遺跡
縄文後期前半 4000年前
土偶作りが盛んとなるのは縄文中期以降で、国宝の茅野市棚畑遺跡の「縄文のビーナス」などが大きな臀部をシンボリックに
表現しているのに対して 出土した土偶は胸を強調していて時代の差が浮き彫り。
 
また、縄文草創期の最古級の土偶は今回出土した相谷土偶ほどリアルではないが、この地より南へ約60Km鈴鹿山脈を越えて三重県側にいったところにある粥見井尻遺跡でも2つ出土し、合計3体が出土している。
現在草創期の土偶すべてがこの鈴鹿山脈を挟んで出土しているが、
三重県側粥見井尻遺跡の土偶との類似性は乏しい。
このことから 女性の体形の明瞭・リアルな表現がなされた土偶
「縄文のビーナス」がこの地で育まれたのではないかと思え、
想像するだけで楽しくなる。
また 土偶と言う視点に限ってみれば、この八風街道を通って鈴鹿の山並みの両側に住んでいた縄文人たちが交流していた可能性も考えられる。   日本最古級縄文草創期の土偶が出土した
とにかく すごい 土偶 縄文のビーナスの出土である。

粥見井尻遺跡と永源寺相谷熊原遺跡の位置関係

               出土した現場近くのテントの中で展示された相谷土偶  2010.6.6.

                    既に埋め戻されているが 直ぐ脇の 号竪穴式住居出土した土偶が飾られたテント  2010.6.6.
早く出土した土偶を見たいのですが、土偶が展示されている上のテントの所の行列が長く、すき具合を眺めながらその行列に加わる。みんな目当ての土偶なので中々前に進まない。
行列の後ろからのぞきこむと ケースに入れられた土偶は 新聞の写真で見る以上に小さい。
みんな顔をすり寄せ、カメラや携帯電話で 思い思いの写真を撮っている。
早く出土した土偶を見たいと上のテントの所の行列に並ぶのですが、みんな目当ての土偶に中々進まない。

やっと自分の番。これが・・・・・。小さいが やっぱり縄文のビーナス誕生だ。実に精巧に作られている。
新聞写真では白い肌で石製のように見えたが、赤い座布団に座っていた為か、濃い茶色の土製である。  
しゃがみこんで顔をケースに近づけ、正面・右から 左からと写真を撮る。
現地に来るまでは 頭部がみつかれば・・・・と思っていましたが、
もともと頭がないのがオリジナルで胴の中につけられた穴が頭の表現だと聞く。
 

土偶は三内丸山遺跡の板状土偶なども中に穴が通っているが、この穴がそのルーツか・・・。
草創期から簡略化しても 穴を通すのが重要なわけがこの土偶に遡れると一人合点する。

写真を撮るので夢中だったので、再度行列の後ろにくっついて もう一度土偶を見る。
関西に素晴らしい「縄文のビーナス」出現にうれしくなる。満足感一杯でテントを離れる。

このテントの直ぐ上のところに東西に伸びる道があり、西へ行くとその先 鉄塔のある林が 昨年12月 縄文晩期の土器棺墓が30器出土した場所だと教えてもらう。今日は通行止めでそちらへは行けない
参加者はこの道を右に折れて 少し下がったところの広場にあるにある発掘事務所に展示された出土遺物を見にゆく。
こちらも長い行列。発掘事務所に行く前に さらに南へ少し登って 今はもう埋め戻されているが、
1号竪穴式住居周辺や遺跡全体を南側から眺める。



                                   遺跡の南側から相谷熊原遺跡全体を眺める  2010.6.5.
      写真中央左側 四角に整備されたところが、土偶が出土した竪穴住居1跡で、既にうめもどされている

 

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1007aidani03.htm   2010.7.5. by Mutsu Nakanishi