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 4. 阿波 鍛冶工房から砂鉄が出土した弥生の大集落「矢野遺跡」を訪ねる
     4.1.板野古墳群の山麓にある徳島県埋蔵文化財センターへ 
       4.2.鮎喰川の扇状地に開けた阿波王城の地 弥生の大集落 矢野遺跡のある国府地区へ
  4.3.「村から国へ」弥生の大集落 矢野遺跡のある国府walk 
  4.4. 阿波 弥生の鍛冶工房 矢野遺跡を訪ねる まとめ        鍛冶工房で出土した砂鉄の使い道は???? 

4.4. 阿波 弥生の鍛冶工房 矢野遺跡を訪ねる まとめ   1003awa04.htm 
   鍛冶工房で出土した砂鉄の使い道は????

今回 この矢野遺跡の鍛冶工房で出土した壷入り砂鉄がひょっとして 国内での製鉄開始へつながる痕跡を示すのではないか・・・と思いながら、弥生時代中期末から古墳時代前期にかけての鍛冶工房のある集落が点在する鮎喰川流域を訪ねました。
でも やはり、この地域の鍛冶工房での鍛冶は鏨で鉄板を切ったり曲げたりする比較的低温での原始鍛冶で、高温鍛造成形などの高温鍛冶の痕跡を見ることはできませんでした。 
高温で鉄素材を鍛造成形したり、素材同士を鍛接して新たな鉄素材を作り出すことなどが行われていれば、それに砂鉄が使われる可能性があると思っているのですが、残念ながら、ちょうど砂鉄が矢野遺跡の鍛冶工房SB2044に持ち込まれた時期と重ななり、高温鍛造を行っていたと考えられている庄・蔵本遺跡からも砂鉄は見つかっていない。
 

この矢野遺跡で見つかった砂鉄の用途の可能性について 埋蔵文化財センターでいただいた資料 
栗林誠治執筆「徳島における導入期鉄器の様相」では
次の3つの用途の可能性が示されていましたが、砂鉄の用途を見つけ出せなかったとしている。
1. 砂鉄を攻玉用研磨剤として捉える。
  日本海沿岸など玉生産と鍛冶が密接な関係にあることはすでによく知られており、矢野遺跡でも玉加工が行われていたことから、
  この砂鉄が研磨剤として持ち込まれた可能性がある。
  ただし、玉生産工房の主要産地であり、鍛冶工房が一緒に出土する北陸・日本海側で砂鉄が出土した例はない。
2.赤色顔料(ベンガラ)の原料として捉える。
  吉野川下流域では 名東いせきはじ目、辰砂を利用した朱の精製が行われてきた。 
  赤色原料には朱以外にベンガラがあり、ベンガラの原料として砂鉄を想定することも可能であろう。
3. 砂鉄を鍛冶関連遺物として捉える。
  徳島では後期以降も恒常的に鉄素材が供給されており、鍛冶技術の低下も認められない。
  したがって、砂鉄を原料として 精錬鍛冶を行う必要はないと思われる。
ただ、この砂鉄は四国以外からの搬入品であることが確認されている。
日本で製鉄が始まるずっと以前の古墳時代の初頭から 用途は不明である「砂鉄」が「砂鉄と認識された形」で出土する。
また 弥生時代から製鉄があったように思える説話も日本各地に伝承されていて、この「砂鉄」がその痕跡ではないか?
日本では もっと早くから製鉄があったのでは??との疑問がつきまとっている。 
また、日本でスタートした砂鉄によるたたら製鉄はほかに類例を見ない日本独自の製鉄法であり、しかも 突如として5世紀後半ないし6世紀に出現する。 朝鮮半島・大陸とも この時代に砂鉄を原料とした製鉄法は見つかっていない。
この「砂鉄の謎」が解けないと日本の製鉄のルーツが解けない。
しかも 「鉄」は日本の国づくりに欠かせず、朝鮮半島を巻き込んでの争奪戦。
初期 大和王権を支えた連合の絆はこの鉄の支配だったとも考えられており、古代日本誕生にも大きな影響を与えた。
そんな時に 〔砂鉄〕が「砂鉄と認識」されて、墳墓や鍛冶工房から出土する。 それも 製鉄と関係が深い関連地で。

残念ながらこの砂鉄の謎 今回も明らかにはなりませんでしたが、砂鉄が出現する時代にこんなに沢山の鍛冶工房遺跡が近接して出土し北部九州との交流の中で、いち早く鉄器生産の先進地になったと見られることが判ったのは収穫。
また、今回の阿波の鉄の痕跡をたどった矢野遺跡wallkで 鉄と共に大和王権の連合の有力国となりえた阿波の源泉を垣間見ることができたのも収穫。 
「阿波は地理的に東瀬戸内の重要拠点に位置したから」程度にしか思っていなかったのですが、鉄器加工の先進地であるばかりでなく、国づくりに必要な当時の先端技術を縄文時代から育んですでに有していたことをはじめて知りました。

●阿波独特の文様 弧帯文土器 
●吉野川から産する「王者の石」 阿波の青石・結晶片岩とそれを使った墳墓築造技術
●朱の生産
●吉野川の蛇紋岩を使った玉つくり
●上記の生産を可能とした鉄器作り & 銅鐸など金属器加工技術

これらが 大和王権連合へ提供した阿波の国力。
これらの先端技術が初期大和王権の国づくりに深く組み込まれていとびっくりしました。
阿波の朱の生産や玉造りについても あまり知りませんでした。
吉野川が流れ下る縄文から続くスーパーハイウェイ 
九州から四国を縦断し紀伊半島に至る中央構造線の賜物のすごさかもしれません。
弥生時代中期末から古墳時代初頭 阿波に密集してこんなに鍛冶工房があったことも驚き。
北部九州とほぼ同時期に北部九州からの鉄素材の供給を受け、鉄器加工をおこなっており、北部九州とのダイレクトな交流があったと考えられている。
近くにいながら あまり知らなかった阿波 
初めて知る卑弥呼の時代の阿波にびっくりです。 
砂鉄の謎は解けませんでしたが、今年は引き続き 四国の鉄を歩きたいと思っています。
 
一日阿波を歩いて 気持ちのいい歴史walk。今後、この吉野川流域から 何が出土すねるか わからない。楽しみな地域です。
日本の大地溝帯 中央構造線が鉄の道 スーパーハイウェイであると感じた一日でした。

また、今回 ほとんど渡来人が見えませんでしたが、その交流があったに違いない。 それも調べてみたいと。

一日を振り返りながら広い吉野川の河口を渡って帰路に付きました。
神戸から車だと2時間弱。 
休日の高速道路1000円割引を使えば 本当に気楽に気持ちのいい徳島を楽しめます。
お勧めの徳島です。
 
                    2010. 2. 6 by Mutsu Nakanishi

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概説1. 阿波の国 概説 PDF〔2.1MB〕
概説1. 矢野遺跡 概説 PDF〔1.7MB〕

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4. 阿波 鍛冶工房から砂鉄が出土した弥生の大集落「矢野遺跡」を訪ねる
弥生時代中期末から北九州と時期をほぼ同じくして鉄器生産を始めた鍛冶工房  2010.2.6.
 

【完】
1. 板野古墳群の山麓にある徳島県埋蔵文化財センターへ      徳島県埋文センター・西山谷2号墓
2.
弥生の大集落 矢野遺跡のある国府地区へ 鮎食川の扇状地に開けた阿波王城の地 徳島考古資料館 
3.
「村から国へ」国府地区walk    砂鉄が出土した矢野遺跡 鍛冶工房跡を探す
  1. 矢野古墳
  2. 阿波史跡公園 宮谷古墳
  3. 阿波 国分寺跡
  4. 矢野遺跡が眠る矢野の国道192号線地下 砂鉄を出土した矢野遺跡 鍛冶工房跡
4. 阿波 矢野遺跡walk のまとめ 矢野遺跡 鍛冶工房から出土した砂鉄の使い道???
【outline 解説】
概説1. 阿波の国 概説〔PDF 2.1MB〕 
1.弥生の村から阿波の国へ
2.阿波国に見る日本誕生      徳島埋蔵文化財センター展示より 再整理
3.阿波と大和王権とのかかわり 香芝市二上山博物館
 「邪馬台国時代の阿波・讃岐・播磨と大和」などから転記
概説2. 矢野遺跡 概説〔PDF 1.7MB〕 村から国へ 鉄器加工を始めた弥生の大集落 
● 吉野川下流域 鮎喰川流域での鉄器生産
● 矢野遺跡から出土した鍛冶工房跡
    徳島埋文センターhome page & 資料より


  【参考・引用資料】

   1. 和鉄の道 「 コ ウノトリが大陸と日本を結ぶ古代和鉄の道 「古代 和鉄の郷但馬 出石」

                    http://www.infokkkna.com/ironroad/dock/iron/6iron06.pdf
   2. 徳島県埋蔵文化財センター資料 栗林誠治執筆「徳島における導入期鉄器の様相」 
   3. 香芝市二上山博物館 「ふたかみ邪馬台国シンポジュウム6  邪馬台国時代の阿波・讃岐・播磨と大和」
   4. 村上恭通著「古代国家成立過程と鉄器生産」
   5. 徳島県埋蔵文化財センター ホームページ  http://www.tokushima-maibun.net/
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1003awa04.htm   2010.3.5.  by Mutsu Nakanishi