2.1. 御所野遺跡の概要
縄文中期後半(4000年前)の縄文の村がそっくりそのまま出てきた 御所野遺跡 岩手県一戸町
ストンサークルを中央に土屋根が載る竪穴住居群が取り囲む 縄文の代表的な集落
御所野遺跡は馬淵川が両側に起伏の激しい山並みが連なる狭い山間地を北に流れ下る岩手県北部にあり、
この川の東岸に張り出した標高約200メートル、東西500m、南北120mの細長い舌状の河岸段丘上に位置する縄文時代中期後半(4,000〜4,500年前)の大規模な集落遺跡。
65,000uの台地のほぼ全面に中央部・東・西の三つの村があり、中央部は中心の広場と配石遺構、墓坑の外側に大きな掘立柱の建物が巡り、U字型に住居跡が囲む。そして、縄文の村を形成する600棟以上の竪穴住居跡がそっくりそのままみつかり、また、竪穴住居の屋根には土が載っていたことも明らかにするなど縄文の村の様子や社会構造を明らかにする貴重な遺跡で国の史跡に指定されている。
また、段丘の中央部の一番低い平坦部には中央のむらの中心広場があり、180メートル×80メートルの範囲にわたって小配石遺構が連なって、大きな環状の配石遺構(ストーンサークルをつくっている。ここからは底部に穴のあいた深鉢土器が発見され、下部に墓が確認され、墓域であったと考えられる。また、その周りを掘立柱建物が取り囲むとともにその傍らにモノ送りが行われたらしき盛土があり、このストーンサークルを中心に祭祀が行われた遺構と考えられている。
縄文中期後半の大集落 御所野遺跡の概要をまとめると次の通り。
1.
配石(ストーンサークル)と盛土遺構があり、簿域である中央の広場を中心に東・中央・西と3つの集落が計画的に
配置された典型的なむらでその住居は600棟を越える縄文時代でも最大級の集落遺跡
遺跡の周辺には現代的な建造物が全くなく、縄文時代の集落跡がほぼ完全に残っている稀な遺跡
2. 発掘調査で西の村から多数の焼失住居が見つかり、
この調査から縄文時代に土屋根の竪穴住居があったことが初めてわかった遺跡
3. 配石遺構(ストーンサークル)は、中央部の段丘の低い所、180メートル×80メートルの範囲で発見。
小配石遺構が連なって、大きな配石遺構をつくっている。
さらに底部に穴のあいた深鉢土器が発見され、下部に墓が確認されている。
4.御所野遺跡のムラは、墓域を中心に営まれ、様々な祭祀が行われたと考えられている。
その核となるのが前述のストーンサークルです。ストーンサークルを取り囲むように掘立柱建物がいくつも建てられ、
その隣では、モノ送りの儀式が行なわれたらしき盛土遺構が広範囲にみられます。
5. また、この御所野のムラでは、竪穴住居の中でも祭祀が行われていた。
西のムラの中心的な建物では、内部の奥の方に「石棒」が立てられ、その周辺からトックリ形土器や彩色土器、
あるいはミニチュア土器など、実用的ではない土器が8点、完全な形でまとまって出土。
なお、岩手・青森県境を北上山地北端から八戸湾へそそぐ馬淵川流域は
縄文時代の遺跡を多く残す地帯で、御所野遺跡を含め、特に中期後半から晩期にかけての特出した遺跡が多く、
盛土遺構、環状列石、などの際だった文化様式を示すものや亀ケ岡文化の優品、貴重な資料が数多く出土している。
これらの遺跡の出土品についても、御所野遺跡縄文博物館に展示紹介されている。
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北東北縄文Walk 【2】
縄文の森に抱かれて 600を越える土屋根の竪穴式住居群 縄文の村がそっくりそのまま残っていた
ストーンサークルを取り囲む土屋根の竪穴式住居群 御所野縄文遺跡 探訪
【完】