中央のむら・ストーンサークルのところから さらに北西へ少し下って草地から林へ入るとこの舌状丘陵地の先端部で西のむらがあったところである。
ここからは 縄文時代の竪穴式住居が土屋根であったことを明らかにした竪穴式住居の焼失住居が出土したところである。
先端部の一番奥に竪穴住居群が復元されている。また、先端部に近い丘陵地の西端に土屋根の復元住居を再度火をかけ、焼失遺構との関係を調査した実験遺構がそのまま残されていた。
この焼失実験がおこなわれていたすぐ横の崖で発掘調査が行われていて、現在もこの御所野遺跡の発掘調査が続いていました。
資料によると平成8年 この西のむら周辺から縄文中期末(約4000年前)の上屋構造を復元ができる良好な火災住居が4棟出土し、この遺構の詳細な検討から、全国で始めての土屋根の竪穴式住居のであることが明らかとなった。
発見された住居跡は炭化材が竪穴住居の輪郭に沿って散在し、それらの炭化材と炭化材の間には焼けた土の層が重なっていた。
この焼失住居の炭化材の層を部材ごとに分け、丹念に観察検討し、それまでの常識だった屋根の構造を覆して、この御所野遺跡の縄文時代の竪穴式住居が土屋根構造であることを明らかにした。
そして これらの調査結果を元に土屋根の御所野遺跡の竪穴式住居群が復元されている。また、復元した土屋根住居に再度火をかけ、焼失状況の確認実験も行われた。
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