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北東北縄文Walk 【2】
縄文の森に抱かれて 600を越える土屋根の竪穴式住居群 縄文の村がそっくりそのまま残っていた
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ストーンサークルを取り囲む土屋根の竪穴式住居群 御所野縄文遺跡 探訪
縄文中期後半   岩手県一戸町  2008.10.30..
0902nhe00.htm  2009.2.5.  by Mutsu Nakanishi

1. 縄文の大集落 御所野遺跡 Walk
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1.4. 西のむら  縄文の竪穴住居に土が載っていたことを明らかにした焼失住居跡

                中央のむらから西側の丘陵地の縁に沿って 南から北へ 北の端が西のむら  2008.10.30.
 
中央のむら・ストーンサークルのところから さらに北西へ少し下って草地から林へ入るとこの舌状丘陵地の先端部で西のむらがあったところである。
ここからは 縄文時代の竪穴式住居が土屋根であったことを明らかにした竪穴式住居の焼失住居が出土したところである。
先端部の一番奥に竪穴住居群が復元されている。また、先端部に近い丘陵地の西端に土屋根の復元住居を再度火をかけ、焼失遺構との関係を調査した実験遺構がそのまま残されていた。
 この焼失実験がおこなわれていたすぐ横の崖で発掘調査が行われていて、現在もこの御所野遺跡の発掘調査が続いていました。

資料によると平成8年 この西のむら周辺から縄文中期末(約4000年前)の上屋構造を復元ができる良好な火災住居が4棟出土し、この遺構の詳細な検討から、全国で始めての土屋根の竪穴式住居のであることが明らかとなった。

 発見された住居跡は炭化材が竪穴住居の輪郭に沿って散在し、それらの炭化材と炭化材の間には焼けた土の層が重なっていた。
この焼失住居の炭化材の層を部材ごとに分け、丹念に観察検討し、それまでの常識だった屋根の構造を覆して、この御所野遺跡の縄文時代の竪穴式住居が土屋根構造であることを明らかにした。
そして これらの調査結果を元に土屋根の御所野遺跡の竪穴式住居群が復元されている。また、復元した土屋根住居に再度火をかけ、焼失状況の確認実験も行われた。


20061126042816.jpg20061126042816.jpg
      縄文博物館に復元された焼失住宅遺構  西のむらから出土した中型竪穴住居の焼失状況
                             http://asalab.blog11.fc2.com/blog-entry-772.html より

                  焼失大型竪穴式住居 DF22 の焼失遺構とその復元 資料「御所野縄文公園」より

                    焼失中型竪穴式住居 DF24 の焼失遺構とその復元  資料「御所野縄文公園」より
 
復元 土屋根竪穴式住居の焼失実験跡2008.10.30.

焼失実験跡のすぐ横の崖では現在もこの御所野遺跡の発掘調査が続けられ、インターネットを調べると 
2008年度のこの調査で、中世の墳墓が出土し、その調査が続いていると。
角が丸みを帯びた「隅丸方形」で、直径10メートル前後。400―500年前に造られたとみられ、
少なくとも3体の人骨も発見されたという。

  ■ 岩手日報 2008.11.15.  http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20081115_11 に記載された記事より



         御所野遺跡 2008年発掘調査現場  御所野遺跡西端部中世のものとみられる墳墓が出土いずれも  2008.10.30.
 

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0902nhe01d.htm    2009.2.5.  by Mutsu Nakanishi