このやかたの前の道からやかたの北東部を東へくぐり抜けると緑の美しい並木道
布留の丘を南北に走る広い県道51号線(天理環状線)の豊井町のT字路に出た。 この道の東側角にも立派な天理教の建物(天理大学の学寮のようだ)が建っている。
やかたの中を通り抜けたので、遺跡調査地点に気づきませんでしたが、この地点は古墳時代 布留川の山から扇状地への流れ出し部近くで、布留川分流が西へ流れ下った北岸の地であるという。
ぐるりと周りを見回しながら、地図と見比べる。この地点は西へ張り出す小さな尾根の上のようで、県道51号線とT字で交わる西への道はなだらかな坂。また、この県道も南に少し行けば、布留川が流れ下る布留の交差点であるがなだらかな坂のようだ。この豊井宇久保調査地区からは 古墳時代の掘建柱建物・井戸・土器溜まり遺構 と中世の濠が出土し、土師器高杯(60以上)・壷・甕・須恵器甕・滑石製模造品(勾玉・管玉・剣型石製品・有孔円板・白玉)・鉄鎌などミニチュア農工具など祭祀に使われたものが遺物として出土している。
東の布留へゆるい坂道 県道51
字路に建つ天理教施設
T字路を西へ下る坂
布留遺跡の北東端周辺にあたる豊井町周辺
この交差点南西隅は布留川分流の北岸に当たり、掘立柱建物遺構や数々の遺物からここにも物部氏の居館があったと推定され、この豊井地区から南西側三島地区の氾濫原そして布留地区へと広大な布留川北岸の傾斜地に物部氏の中枢部 居館・祭祀の場・生産工房がつながっていたとイメージされる。
扇状地の中央 神殿の広場から なだらかな傾斜地を布留川の北側地区を東の山端まで登ってきたことになるのですが、巨大な建物が立ち並ぶ天理教本部の敷地内を抜けてきたので、のぼりの傾斜地に気にづきませんでした。
この交差点のすぐ北側は建物が途切れ、山裾を巻いて道が続いているのが見えたので、今歩いてきた扇状地全体を見たくて 少し北へ寄り道する。
天理教本部の敷地の中は直接見られる場所はなかったのですが、なだらかな傾斜地に緑の樹木が広がる果樹園の向こうに神殿はじめ 諸施設の屋根が見え、遠く 葛城・二上の山並がみえ、やっぱり随分登ってきたようだ。天理教本部の施設の大屋根が木々の間から見え、その向こうに 葛城・二上山 の山並が見えずいぶん高い丘に登っていることに気がつきました
県道51号線 豊井町の少し北側から見る布留川の扇状地の景色 2012.5.19.
豊井町から南へ
緑に包まれた中の大きな天理教の施設が点在する広い道。なだらかな起伏をいくつか超えると布留の標識に見覚えのある布留の交差点で、谷筋を東奥へ入る道に、石上神宮の案内板が見える。ここより東の山側は 布留川が流れ下ってくる細い谷筋で、布留川に沿って 谷の奥から布留の古い集落が続いている。
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布留の交差点
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また、すぐ南の橋の下 狭い谷を布留川が西へ流れ下り、谷の向こうの枝尾根の森の中に石上神宮がある