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天理参考館「大布留展」関連会 関川尚功氏「ヤマト政権の生産体制を探る」の聴講 私の知る布留遺跡のイメージは鉄器工房 でも今回布留へ出かけて、鉄器工房のイメージとは随分違う。
この時代の大和の鉄器工房はもっと先進的がと思いましたが、それはもっと先の時代のようです。
また、今回 gooogleの衛星写真を使って地理的位置を調べましたが、布留遺跡のある天理の位置が、奈良盆地の中で随分面白い位置、
また、中央を流れくだる布留川が、今とは違って氾濫をくりかえす暴れ川であったろうことも。 本当に面白い布留再訪。 ちょっとは 頭の整理ができましたが、新たな疑問も・・・・・ 皆さんには どのように 映るでしょうか ちょっと長い資料になりましたが、図・写真が主ですので、お許しください。
ヤマト王権の軍事部門を担い、兵器庫である石上神宮の祭祀を司り、ヤマト王権の中枢に君臨した物部氏の本拠。 物部氏が居館を構え、多くの渡来工人を集め、「鉄器」や「玉作り」などの生産工房をこの布留で営んでいた。
大和王権にかかわる豪族たちが 国づくりに不可欠な鉄器生産工房を経営し、勢力を伸ばしてゆく。
古墳時代 ヤマトで営まれた有力豪族たちの鉄器工房群のひとつ物部氏の「布留」。 古墳時代の様相を明らかにする遺構や遺物が多数出土し、弥生時代から大和王権が確立してゆく過程を知る重要な遺跡である。
天理市布留には何度かでかけましたが、「布留遺跡」の正確な遺構や遺物の出土位置もよく判らず、出土遺物も垣間見る程度しかない。
本で読んだり話を聞いたたりの知識で作り上げた「布留遺跡のイメージは初期ヤマト王権の鍛冶工房・武器工房」。 「邪馬台国から初期ヤマト王権へ 日本誕生に重要な役割を果たした鉄」とよく言われますが、、
本年5月 天理参考館で「大布留遺跡展」、橿原の橿考研博物館では「三国志の時代 2・3世紀の東アジア展」が開催中。
それぞれで「古墳時代の鉄」・「朝鮮半島との交流」に関係した関連講演内が開催されるのを知って、
しっかり勉強してこよう。特に初期ヤマト王権を支えた物部氏の鉄器生産工房や朝鮮半島交流などしっかり勉強してこようと。 特に布留遺跡の位置は現在天理教本部の諸施設が建つ敷地全体とは聞き、遺跡の位置づけや解析の図は何度も目にしましたが、
遺跡全体を捉える遺跡展はみたことがなく、楽しみで出かけました。
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1206furu00.htm 2012.7.1. by Mutsu Nakanishi