.東北と関係深い清水寺にも久しぶりにゆきました
2011.5.22
3. 清水寺 東北エミシの族長アテルイの顕彰碑に詣でる 2011.5.22.
平野神社の境内から 西大路道理に出て、市バスに乗って清水寺へ。東北の復興を祈願してこよう。
清水寺は蝦夷征伐の征夷大将軍坂上田村麻呂が建立した寺で、清水の舞台のすぐ下の境内に東北蝦夷の族長アテルイ・モレの顕彰碑がある。征夷大将軍として東北の蝦夷と戦火を交えた坂上田村麻呂は夷の族長アテルイと副将モレこそ東北経営に最も力を発揮してくれると信じ、ふたりの助命を嘆願する。しかし、願いは聞き入れられず、二人は河内で斬首された。
共に平和を希求し、人々の血を流すことを避けようとした坂上田村麻呂とアテルイとモレ。
この精神は、現代の東北の人々にもしっかりとうけつがれているといわれる。
東北人はこの二人に強く心を惹かれ、北上市の市民憲章には
「 あの高嶺
鬼住む誇り その瀬音 久遠の賛歌 この大地 燃えたついのち ここは北上 」
と誇らしく歌う。
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八坂通りより八坂の塔 |
坂上田村麻呂が建立 清水寺境内にある蝦夷の族長アテルイ・モレの顕彰碑 2011.5.22.
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清水坂 清水寺仁王門前 清水寺 舞台 2011.5.22.
清水坂から清水寺の山門前は日曜日と修学旅行シーズンが重なって、ぎっしりと人の波。やっぱり 京都一番の名所。
でも、この寺が坂上の田村麻呂ゆかりの寺で、境内に蝦夷の族長アテルイの顕彰碑があることを知っている人は少ない。
さすがに 東北と関係深い清水寺 清水の舞台の上 本堂の中央 御本尊の正面に大きく大書された募金箱が設置され、
多くの場所で募金が呼びかけられていました。
私も 東日本大震災に被災した東北の復興を祈願してきました。
清水の本堂を抜けてたところから、石段を下りて 舞台の下にまわった崖の縁の広場にアテルイ・モレの顕彰碑がある。
ここへ来るのは数年ぶり。
多くの人が、顕彰碑の傍を通り過ごして行く中、何人かが足を止め、碑文を熱心に読んでゆく。
ここだけは喧騒から逃れた静かな場所 新緑の中 碑文の横の崖の所に置かれたベンチに座ったり
谷をのぞきこんだり 東北を想う。
清水寺の境内にある 蝦夷の族長アテルイ・副将モレの顕彰碑 2011.50.22.
しばらく 碑の傍で 新緑を楽しんだ後、 東山の山裾を久しぶりに清閑寺まで足を延ばし、帰ってきました。
かつて 何度も歩いた縄文のふるさと・鉄の故地 日本人の心のふるさと東北
北上山地から流れ出る川から算出する[餅鉄] それら材料にして作られた蕨手刀を手に、
理不尽な中央政権に対抗したアテルイと東北の人たち。
そして共に平和を希求し、人々の血を流すことを避けようとした坂上田村麻呂とアテルイとモレ。
「共に生きる優しさ・日本の心」が今も息づく東北
連帯してこの難局に立ち向かっておられる東北の人たちが一日も早く自立・復興の道が開かれてゆくことを願い、祈っています。
今日は「私の東北の日」でした。
2011.5.22.夕 東山大谷の墓所の中を下りながら
by
Mutsu Nakanishi
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京都の新しいパワースポット
磁石が吸い付く平野神社の「すえひろがね・餅鉄」を訪ねる
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東北と関係深い清水寺にも久しぶりにゆきました
2011.5.22
【完】