1.[琵琶湖北岸の北近江高島 鉄素材が出土した弥生の高地性集
落「熊野本遺跡」]
朝鮮半島との交流の玄関口「若狭」と琵琶湖を結ぶ北近江琵
琶湖北岸の饗庭野丘陵地「高島市
熊野本」
比良山塊から
琵琶湖へ流れ下る安曇川の北岸 饗庭野丘陵の南端にある弥生の高地性集落「熊野本」で鉄素
材や加工の痕跡のある鉄が出土しているという。そして、その後この地には地域の首長が存在
し、前方後方墳など大型の墳墓群を築いたという
たたら製鉄の
ルーツをたどるうえでも、また 古代の朝鮮半島交易の窓口「若狭」を考える上でも重要な遺
跡。
大陸・朝鮮半
島への玄関口 若狭街道の要衝の地にあるこの熊野本遺跡・熊野本古墳群はどんなところだろ
うか・・・・
出土した鉄素
材はどんなかたちなのだろうか・・・・・。
現地に電話して、照会するのですが、
「雑木林に覆われた丘陵地を別荘地として開発した場所で、遺
跡は残っているが、草に覆われ、行っても何もなく、
整理され た資料も現地にはない」という。
でも 朝日新聞 日本の原像に大きく取り上げられた遺跡であ
る。
情報は滋賀県埋蔵文化財センターの簡単な学習シートとみ。
場所は新旭駅のすぐ近く西側の丘陵地の上の弥生の高地性集落
で、この集落が消えた後、この地域を治める首長が小さな谷を隔てた隣接地に次々とこの地の首長
が大和との密接なつながりを示す前方後円墳や大型墳墓を築いたという。
この琵琶湖北岸から西岸にかけては、その山中に鉄鉱石があ
り、数々の渡
来人の痕跡とともに「鉄」関連遺物が数々出土している日本で一番先に製鉄を始めた先進地のひと
つ。 牧野や古橋に古い製鉄遺跡
群が残るこの北近江。
弥生時代にも きっと重要な鉄の痕跡があり、日本での製鉄の
始まりにも
大きな役割を演じたのではないか・・・・・
「鉄」の流れを紐解く上で、欠くことのできぬ所だ。
とにかく どんなところか 見に行こう。本当にどんな
鉄素材が出土したのかも
知りたいと。
今
年の夏 若狭の縄文時代の貝塚「鳥浜貝塚」を訪ね、この地の縄文人が丸木船を駆使して日本
海沿岸の集落と広く交流していたことを知りました。また、この若狭の地は古代大和の時代に
は 瀬戸内海と並ぶ日本海沿岸から若狭を玄関口。
琵琶湖から大
和へ結ぶ大陸・朝鮮半島との重要な交流路。まだ鉄素材を作れ
なかった日本への朝鮮半島の鉄の流入路。
瀬戸内海経由
と並ぶ最重
要路「大和の鉄の道」 今も「若狭街道」の名で若狭と近江・京都を結ぶ重要路でもある。 |