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 平安遷都1300年祭で賑わう奈良 Walk    大遣唐使展・若草山・平城宮大極殿 

3. 平城遷都1300年祭 平城宮跡 復元朱雀門と大極殿 walk


■平城京とその中心 平城宮・大極殿
平城京は現在の奈良の町の西方にあり、710年元明天皇が藤原京より遷都してから桓武店頭が長岡京に移るまでの都で、唐の都長安に習って作られ、東西約4.3` 南北約4.8`の規模で東西・南北に規則正しく並べた道路で 碁盤の目のように区切られていた。  
平城京北端中央に 天皇の住処や政治や国家的儀式を行う政庁などがある大内裏(平城宮)があり、貴族役人の住まい・大寺院などが建ち並び、庶民の住む茅葺の家や田畑も広がっていた。
そして、都が長岡京に移ると次第にさびれ、農地になっていった。


       平城宮跡 建物配置図    現在の奈良の地図に正確ではありませんが  平城京の大きさを重ねました
平城京のメインストリートは、京の南門である羅城門から北にまっすぐにのびる幅約74mの朱雀大路。
朱雀大路をはさんで西側を右京、東側を左京と呼ぶ。左京には北の方で東にさらに張り出しがある。 
平城京の住民は4〜5万人とも10万人ともいわれますが、天皇、皇族や貴族はごく少数の百数十人程度で、大多数は下級役人や一般庶民たちだったといわれる。


朱雀大路の北端には朱雀門がそびえ、朱雀門をくぐると天皇の住居であり政治や国家的儀式を行う平城宮で、周囲には大垣がめぐり、朱雀門をはじめ12の門がありました。また、内部には政治・儀式の場である大極殿・朝堂院、天皇の住まいである内裏、役所の日常的業務を行う曹司、宴会を行う庭園などがあった。
内裏は、奈良時代を通じて同じ場所にありましたが、奈良時代前半に朱雀門の真北にあった大極殿(通称、第一次大極殿)は、740年恭仁京に都が移り、難波京、紫香楽京と転々とした後 745年に平城京に再び戻ってきた時 一次大極殿の東側の区画に建てられた(通称、第二次大極殿)。

現在 この平城宮跡は文化庁による「特別史跡平城宮跡保存整備基本構想」に基づき、遺跡の整備・建造物の復原を進められ、第一次大極殿(2010年竣工)・朱雀門(1998年竣工)・宮内省地区・東院庭園地区の復原が完了。
平安遷都1300年に当たる2010年(平成22年)4月23日 旧暦3月10日、第一次大極殿の完成記念式典が行われ、よく4月24日より11月7日まで、この平城宮・大極殿をメイン会場に奈良県各地で平安遷都1300年祭が開催されている。

 ■平城宮跡・復元された大極殿 walk
若草山を降りて午後3時過ぎ 平城宮跡へ向かう。朝 電車から見た平城宮跡には大勢の人やバスがつらなっていたが、夕方近く 人ごみも減って、ゆったり見られるだろう。奈良の山々を背景に遮る物のない緑の野っ原に真っ赤な朱雀門・大極殿が建っている。 
また、大極殿の屋根の向こう生駒連山の肩に沈む夕日が見られるかもしれない・・・・と。近鉄西大寺駅で降りて 東へ線路沿いの道を引返す。「今から行っても 4時までで もう建物の中に入れんよ。」と道々に立つ警備・案内に立つ人に教えてもらうが、イベントを見に行くつもりなく平城宮の野原をゆっくり歩けて、私にとっては好都合でした。
やっぱり 一番南の朱雀門から入って真っ直ぐ北の大極殿へ行って北側から帰ろうと線路の南側平城宮の一番南側に廻って玉手門から入って駐車場を抜けて 朱雀門へ。
近鉄の線路の南側手前半分は車やバスの大駐車場・バスセンターになっていて、その南側に真っ赤な朱雀門。其の向こうから、線路の北側にかけて 広大な野原が広がり、 其の一番北に大極殿が見えている。
バスセンターの南側の端平城宮歴史館建物手前に遣唐使船が復元展示されているのが見えるがもう閉館しているので、そのまま朱雀門へ向かう。歩く道の両側はがっしり縞々模様の交通整理の三角帽子と縞々棒で規制されていて、この道以外に歩けない。ガチガチの歩行規制。まあ こっちは車との共存なので仕方ないのですが、線路の北側の平城宮の広い野っ原にもこの縞々模様で歩行規制され、どこを見てもこの強烈な 赤白や緑白の縞々模様が、眼に入って閉口する。

    駐車場越しに 北側の大極殿       復元展示されている遣唐使船   西側から朱雀門 背後に若草山が見える

    大極殿・若草山を背後に近鉄特急が平城宮跡内を走り抜けてゆく  平城宮 近鉄線路の南側  2010.6.11.
     朱雀門 
雑踏の人並みが消え ゆったりと平城宮の中が歩ける。 
平城宮のど真ん中に立って、野っ原の両端に建つ朱雀門と大極殿の写真を撮って帰ろう。
ここを走り抜けてゆく阪神なんば線の電車と大極殿の写真にもトライしようと北へ向かう。
       大極殿の概要図  2010.6.11.        

               〔 平城宮跡の南北の中心軸の中央部で 南の朱雀門 北の大極殿を眺める 〕

       
                         平城宮 大極殿側から南の朱雀門    
       
                平城宮中央(第二次大極殿跡から 東 奈良の山々 中央が薄緑の山が若草山
       
                         平城宮 朱雀門側から北の大極殿
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     大極殿南門前より 西側 生駒山を望む
      逆光でかすんでいる 2010.6.11.
平城宮中央(第二次大極殿跡から西側 大極殿 2010.6.11.
大極殿の上にうっすら生駒山がかすんでいるのですが、
逆光で写らず 
    
                          大極殿 南門前より 西側    2010.6.11.
    
      東南側より 大極殿  大極殿に入るのに12あったという門のひとつが中央に見える     2010.6.11. 

             〔 復元された大極殿の東側 第二次代極殿跡からの眺め 〕

       
                     復元大極殿の東側 第二次大極殿跡より南側
    
           復元大極殿の東側 第二次大極殿跡より西側から北へ  正面生駒山 
    
             復元大極殿の東側 第二次大極殿跡より東側  正面 若草山
    
               復元大極殿の東側 第二次大極殿跡より北側 内裏跡  
この一条通りを使って 奈良の市街地と平城宮をつなぐ祭が行えれば、祭が麺に広がり、この復元された大極殿が奈良の人達にとってのシンボルとなり、祭が奈良の人達のものになるのに・・・などと考えている間に西大寺駅に到着である。
朱雀門と大極殿とがそろうと平城京が本当に真っ直ぐ南北の軸を中心に造営されたこと、また その東西に聳える若草山と生駒山の山並みの中にすっぽり納まっていることもはっきり見えてきました。
そんな遮る物のない野っ原の緑の中に赤い大きな古代建造物が建っている。
頭にえがいていたイメージどおりの光景が見られて本当に満足。
これから さらに この中に次々奈良時代の建造物が復元されていくというのも楽しみ。
久しぶりの奈良 どっぷり一日の奈良
あまりよく知らないところを歩けてラッキーでした。
「大遣唐使展」もおもしろかったし、若草山の頂上からの展望の素晴らしさも。ゆっくりと平城京の中を南から北へ  
立ち止まったり 振り返ったり デジカメでパチパチやりながら約1時間 平城宮を楽しみました。
大極殿の北側の国道に出るともう日も傾きかけた夕方 でも 西日がまぶしい。
この東西に伸びる県道を104号を東に取れば 法華寺のところ東に真っ直ぐ伸びる平城京一条通りで、東大寺の門前にいたる。
また、反対側の西に行けば近鉄西大寺駅に出れる。
この道を西へ夕日に向かって、坂を西大寺に下って帰路に着く。
 復元大極殿の北西側から 南の朱雀門を眺めながら帰る 2010.6.11.夕


若草山の旧の名前が「三笠饅頭の三笠山」だと後で思い出しましたが、「国のまほろば 大和」全体を眺める素晴らしい展望台であること本当に知りませんでした。
奈良や生駒の山々をバックに朱雀門・大極殿がのっばらの緑に建つ平安京 古代ロマンを掻き立てる写真もピンボケながら撮れました。久しぶりの奈良にどっぷりつかった1日 平城遷都1300年祭を楽しんで帰りました。

平城遷都1300年祭の奈良を久しぶりに訪れて 
      帰路 神戸への直通電車の中で 一日を思い浮かべながら
            2010.5.11.  by  Mutsu   Nakanishi

大極殿の北側に出て 西の広い道を西大寺駅へ下ってゆく もう夕方 日が傾きだした 2010.6.11.
この道を反対の東へ行けば、平城京の一条通りに繋がっており 真っ直ぐ東大寺の門前である。
ただひとつ 気になりましたのは 平城宮の中の歩行規制に使われた縞々の三角帽子の多さには本当にびっくり。
車の通らぬ内部一杯に張り巡らされた縞々模様 復元された建物のまわりにも。。。
車が通らぬ中にど派手な規制具ガ居るのかと首を傾げました。

           平城宮跡の遺跡内には縞々模様のどぎつい三角帽子と横棒がやたらに使われ、
         古代のロマンを求めてやってくる人には本当にめざわりと思うのですが・・・・・
 
どうも平城宮跡の野原はイベント会場への道としてしか考えられていないのではないか・・・・と。
この野原が 1300年前の平安京を思い起こさせるロマンの景色と考えているのは私だけだろうか・・・
奈良の古代のロマンを求めてやってくる人のイメージとはかけ離れたイベント主義に感じるのですが・・。
奈良の人はどうおもっているのだろあか・・・と。 
「そんなこというのは お前だけ」やと言われそうですが、 でも 奈良の観光の姿勢がかいま見えました。
気持ちのよい奈良が低俗なイベント主義にならぬよう。
また、古代のロマンを奏でるこの場所が 奈良のみんなが楽しみにする祭の場に発展すれば、よいのに・・・と。 
京都御所が四季を通じて京都市民に愛され、親しまれているように。
ここから東大寺大仏殿や若草山をつなぐ道を使った沿道の人達みんなが参加する祭が展開されれば
この復元大極殿も生きるのに・・・とついつい いらぬお世話の一言。
          平城宮の遺跡内の通行規制と
          車道規制に使われる縞々の三角帽子のあまりに安易な使われ方にびっくりして
              2010.5.11.  by  Mutsu   Nakanishi
 
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大遣唐使展・若草山・平城宮大極殿

〔完〕

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平安遷都1300年記念 大遣唐使展   奈良国立博物館で
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