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弥生後期から卑弥呼の時代へ ベールを脱いだ「弥生のIron Road 和鉄の道」
淡路島 五斗長垣内遺跡の謎 シンポ2010.11.21. 聴講 して
 1.五斗長垣内遺跡の概要 
 2.五斗長垣内鍛冶遺跡の役割と時代的位置づけ

 3.「播磨灘と五斗長垣内遺跡を考える 瀬戸内をめぐる交流・地域間関係」
 4.弥生時代後期 近畿でも急速に実用鉄器化が進んだことを示す石の刃物の変化
 5.まとめ
1. 五斗長垣内遺跡の概要 
伊藤宏幸氏(淡路市教育委員会)講演「五斗長垣内遺跡と淡路島の弥生遺跡」より整理

     1. 五斗長垣内遺跡の位置と遺構概要
弥生時代後期初め AD 20・30年頃からAD200年頃 後期末まで 淡路島北部 津名丘陵の西側 播磨灘を望む海岸から約3km入った標高200m播磨灘を見下ろす南北の尾根筋の西面から東西に延びる枝尾根上 南北 約50m 東西約500mの範囲で約170年間継続的に維持された集落遺で、23棟の竪穴住居のうち13棟に鍛冶遺構がある国内最古・最大級の鍛冶工房村遺跡。
この遺跡で一番古いSH-204はどうも石器工房でこれがスタートで、その後 鍛冶工房へ移って行ったと考えられている。
約170年間で5期にわたり 2〜3棟の鍛冶工房が枝尾根上を移動しつつ維持されたとの報告であった。
但し、通常の集落と異なり、生活臭の痕跡は見られず、鍛冶工房を営む高地性集落とみられる。
 

              五斗長垣内遺跡の遺構配置図    赤○内の数字は 遺跡出土建物跡を約30年刻みに5期に分けて時代を区分した数字
                                                                     伊藤宏幸氏(淡路市教育委員会)講演より
     ◆ 形 状  円形 16棟 方形 or 長方形2棟 隅丸長方形5棟
  ◆ 規 模  最大規模 SH-302 直径10.5m 10本柱
      ◆ 炉跡のある建物 12+1 13棟  
      ◆ その他  掘立柱建物跡1〜2棟・溝・土坑
     ● 炉跡構造 掘り込みのない床面をそのまま炉底とした構造(村上分類W類)で羽口出土せず
     2.五斗長垣内遺跡周辺の集落
 
五斗長垣内遺跡のある淡路島北部のこの津名丘陵周辺では 五斗長垣内遺跡と同様に この1〜2世紀 丘の上の高地性集落と麓の集落が数多く出現し、2世紀末頃消え去る。( 卑弥呼の時代である3世紀後半にはこの丘陵地周辺の大半の集落はすべて消えてなくなる。)
また、この淡路島北部丘陵地にある高地性集落群の中で 五斗長垣内遺跡が「鉄」 舟木遺跡が「塩」 穴郷遺跡が「イイダコ」の生産工房だったらしい。  

弥生時代後期 淡路島北部の弥生集落遺跡の興亡 
五斗長垣内遺跡も含めこれらの高地性集落や山麓の集落は ともに弥生後期末には消え去り、卑弥呼の時代には引き継がれない
3. 五斗長垣内遺跡 出土品 
      1. 120点を越える鉄製遺物が見つかり、そのうち70点以上が弥生時代の建物跡から出土
             鉄鏃などの小型の製品とともに板状・棒状の鉄片や裁断片などの鉄素材が多数出土し、鍛冶作業が行われていたことを示す。
             また、竪穴建物跡SH-303から出土した大型鉄製品は板状鉄斧であった
       2.   石  器 ; 叩石・台石・砥石など
       3.    弥生土器 : コンテナ約200箱に上る土器片が出土
              壺・甕・鉢・高杯・器台などの一般的器種(小型土器・絵画土器を含む)
 
● 小型鉄製品と数多くの裁断片が出土し、かつ 炉の構造や刃口が見つからぬことなどから、
      鏨切り加工が主の鍛冶工房とみられる。 
  また、出土した大型鉄製品は、「板状鉄斧(てっぷ)」と呼ばれる鉄製の斧と確認された。
  鉄斧は長さ17・9cm、厚さ1・3cm、刃部幅が4・9cm、基部幅が3cm、重さ約263g。
  基部が狭く刃部にかけて広がるバチ型をしている形状と、両側面から丁寧な鍛打が施されている製作技法などの
      特徴から、国内で製作されたものではなく朝鮮半島南部で製作された可能性が高いと新聞で知りました。
● コンテナ約200箱に上る土器片が出土し、土器片の解析などをもとに個々の竪穴住居の年代が検討された。
  土器に年代幅があることなどから、1世紀中頃〜3世紀初めにまたがる遺跡であることが確認された。
  また、一つの高坏の土に着目し、に注目し、「これは丹波系」との見方があり、鉄素材の輸入ルートとして朝鮮
       半島からの直接ルート、九州や瀬戸内経由のほかに、日本海ルートも今後、検討する必要があるという。
              (五斗長垣内遺跡の出土品調査状況の淡路市教育委員会発表を伝えた新聞記事より)
伊藤氏は講演のまとめとして 五斗長垣内遺跡の位置づけを「五斗長垣内遺跡の発掘を含め、淡路島では 遺跡の状況が弥生時代の中期と後期で大きく変化することが明らかになってきつつある。
この後期の大きな変化の中で この五斗長垣内遺跡を考えることで、今後 この五斗長垣内遺跡の時代的位置づけや役割が今後明らかになるだろう 」と結んだ。

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1012gossa01.htm   2010.12.15.  by Mutsu Nakanishi