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テキスト ボックス: 2.
弥生時代後半  国内最大級の鍛冶の村「垣内遺跡(鍛冶工房跡)」 現地説明会 Walk
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国生み神話の淡路島で、弥生時代後半 卑弥呼の時代の大鍛冶工房村が出土した
倭国から初期大和王権誕生へ 日本誕生の謎を解き明かすかも・・・
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淡路島 淡路市黒谷 2009.1.25. 0903kaito00.htm by  Mutsu  Nakanishi

2. 弥生時代後半の大鍛冶工房村 垣内遺跡 Walk . 発掘調査現地説明会に参加 2009.1.25.

  2.1. 弥生後半の鍛冶工房村遺跡の全体を眺める  0903kaito02a.htm

        瀬戸内海・朝鮮半島へと続く鉄の道を描いて


遺跡の中心部から北西方向 遺跡中心部から海岸方面  写真位置 (2)          

       標高約200m黒谷 五斗長地区の丘陵地尾根筋の垣内遺跡発掘調査現場  2009.21.25.
        遺構図の番号がついているのが、竪穴建物で 赤色がついているのが、鍛冶工房跡

    遺跡の一番下から南東方向 尾根筋の上全体に遺跡が広がる  ( 撮影位置 (1) )
 
遺跡の中心部であるテントの縁に立ってぐるりと見渡し、遺跡全体を眺める。
後ろ側は尾根筋 緑に覆われた山の下、今ブルーシートが架けられたところまでが、垣内遺跡。
前に広がるのは2008年度発掘調査された遺跡中心部。 

ここからは見えないが、この下方 圃場整備中の段々畑が広がる尾根筋の端にある集落の墓場があるこんもりとした丘まで
が遺跡範囲である。
海岸から約3km 奥にはいった山裾の小さな尾根筋に1世紀から3世紀にかけて、約170年間確認された実数で17棟の竪穴建物 
そのうち 鍛冶炉が見つかった鍛冶工房建物が10棟の大専業鍛冶工房の村があり、
その後古墳時代になると消えてしまうという。


この遺跡の最上部 尾根筋の上のところへ上ると垣内遺跡のある尾根越しに海岸部から播磨灘が見通せる。
下の写真に示すとおり、舌状台地?とでも言うべき周囲が崖上の小さな尾根筋が遺跡の広がる場所で、
この台地からは海岸の向こうに広がる播磨灘・瀬戸内海が見渡せる。正面には播磨灘に浮かぶ男鹿島
右手には姫路の工業地帯が見える。

  遺跡最上部から播磨灘そして播磨灘に浮かぶ男鹿島を遠望する  2009.1.25.
 

これは どう考えても要害の地 弥生後期には「戦」に備えた「高地性集落」が作られたが、
ここも まさにそんな要害の地。
ここから 瀬戸内海に続く道筋をたどれば北九州から朝鮮半島へと「鉄の道」が続いていたことが、
ストレートに納得できる。
読売新聞は「まだはっきりしない朝鮮半島の鉄素材の持ち込みルート解明されるかもしれない」と報じ、
朝日新聞は「大和への入り口に朝鮮半島の鉄素材ルートを持つ大勢力があったことは 
この時代の邪馬台国論争に一石を投じる」と。 

    垣内遺跡のある淡路市黒谷の鳥瞰図と瀬戸内海から朝鮮半島に続く「鉄の道」

卑弥呼を女王にした邪馬台国の連合体 そして 古墳時代 大和王権成立に関与した出雲・吉備・東海そして大和の連合体

それらをつなぐキーワードは「鉄(朝鮮半島の鉄素材・鉄の道)」だという。
 
この淡路島も古事記・日本書紀に登場する「国生み神話」の島。
いずれ、これらがつながる時代がくるかもしれないし、また それを繋ぐのが、
この淡路島に出土した弥生後期の大鍛冶工房村「垣内遺跡」かもしれない。
 
この垣内遺跡に続く「鉄の道」をひょっとしたら鍛冶遺跡が多く出土する四国・阿波とのかかわりから、
淡路島の南からのルートかもしれないとも思いましたが、
正面にぽっかり浮く男鹿島を眺めるとやはり 瀬戸内の讃岐・播磨との関係がホイントではないかと思えてくる。 
これに 吉備の地がどのように関連するのだろうか・・・
 
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0903kaito02a.htm  2009.3.5.  by  Mutsu Nakanishi