2月
陽だまりハイク 工都 尼崎 を支えた「尼崎港閘門(尼ロック)」Walk
2009.3.5.
「工都 尼崎」を支えた南部工場地帯 尼崎閘門・尼ロックを歩く.
3. 尼ロックを歩いて 100年近い鉄の街 尼崎の工場群が語るもの
0903amrk03.htm
「工都 尼崎」から「公園都市 尼崎」へ。
「尼崎の街の光景はすっかり変わった」といわれながら、十数年足を向けなかった南
部尼崎の工場街。
「三本煙突」も消えたし、「南の関電の発電所」も消えた。そして 「工都 尼崎」の看板も「公園都市」へ
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もう 昔 水害におびえた尼崎 防潮堤と尼崎
港閘門が支えた「鉄の街・工都尼崎」の繁栄というか猛烈な時代を知る人も少なくなりました。
街の記憶がなくなる前にそんな「工都 尼崎」
の工場街を歩いて しっかり記憶にとどめておきたいと。
尼崎の工場街を自分の手でファイルに収めてお
きたいと いつも ふいに 頭にもたげるこの思い 今回やっと実現できました。
日本の高度成長を支えた工都 鉄の街 尼崎。
パナソニックが来たと沸き、工都がマイナスイメージでしか捉えられず、強欲弱肉強食のエレクトロニクス・自動車がもてはやされる産業界。
でも このパナソニックも それほど勢いがあるかどうか 疑問の時代。
50年をはるかに越える時代を生き抜き、地域を支えた鉄の街がある。 そう簡単に
は崩れない。 今も しっかりと街を支えているだろう。
次の工都を支える産業・製造業を 今 考えねばらぬ時代・・・ そんな知恵が「鉄の街」にはあるだろう・・・と。
「百年を生きる企業にはそれを生き抜いてきた「知恵」が必ずある」 そんな知恵を
調べた本を読んだことがある。
「理念」と「行動指針」というと薄っぺらになりますが・・・・・・
「鉄の街は今?」である。
屁理屈を言うとそんなところで 一日 尼崎を支えてきたシンボル 尼崎港閘門・尼ロックを中心に南部尼崎の工場街をほっつき歩きました。
まずびっくりしたのは「工都 尼
崎」 工場街の変身。
「工都 尼崎」から「公園都市へ」といっても
そんなに簡単に街のイメージがかわれるのか?と内心思っていました。
しかし、「公害・煤煙・騒音そして薄汚れた街」そんな「工都」に描くイメージは吹っ飛んでしまいました。
「公害・煤煙・騒音そして薄汚れ
た街」など どこにもなしです。
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空と水の青 煤煙・騒音もなく、
砂を巻き上げていた道は緑の並木へ。
鉄の街は完全に変身です。
イメージ的には新しいハイテク工
業団地とまったく変わらない。
街の中心から 運河・工場街を抜
けて続くwalking road は本当に快適で
私のイメージも変わりました。
激動のこの10数年 企業が変身
したのは当然といえば 当然。
数々の知恵が駆使され、工場街も変身です。
でも 街は変わりましたが、その中身はよく知った昔からの工場がほとんど。
「鉄の街」は変貌を遂げながら、この激動の時代を生き抜いた。
百年企業も数多く含まれる。
住む人たちからも忘れ去られよう
としながらも
尼崎港閘門も 響きが悪いのか? 尼ロックに名を変え、
防潮堤と共にそこにしっかりと尼崎を支えている。
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「鉄の黒光り」という言葉があるが、まさにそれ。
鉄の街に「鉄の黒光りの知恵」それが「ものづくりの知恵」だと。
名前の知った工場を見るたびに そこに通った
仲間・先輩を思い出しながら そんなことを考えていました。
黒光りの鉄が培ったものづくりの考え方が 見
直される時代が 必ず来るでしょう。
それを受け継ぐのが 鉄の街 尼崎 であって
ほしいと。
「工都 尼崎」から「公園都市 尼崎」へとは
なんと軟弱な・・・とおもってきましたが、これは両立できる。
私もこれから「黒光りの鉄」のイメージをこれ
にかぶせようと・・・・・。
名所旧跡もいいですが、自分の身近な工場街が
こんなに素晴らしいリフレッシュ空間になっているとはじめて知りました。
お勧めです。
2009.2.4. 夕暮れの阪神電車の車窓から 「尼」の工場街を眺めながら
Mutsu Nakanishi
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2月 陽だまりハイク 工都
尼崎 を支える「尼崎港閘門(尼ロック)」Walk
〔完〕
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