この鉄穴内遺跡からは南北に伸びる松江道の工事現場がよく見渡されるが、
遺跡
部分は発掘調査された痕跡が少し判る程度で、ほとんどがすでに破壊され、盛土の下になってしまっていた。
インターネットで調べた資料には、ここに奈良時代の後半から平安時代初期にかけて5軒の鍛冶
工房があり、
10基の鍛冶炉
そして、数々の鍛冶道具も出土したと書かれている。
また、もうひとつ注目されるのは古代の役人が付けていた帯の装飾「巡方」が出土したことで、
この鍛冶
工房が役人と密接に関連していたとも考えられている。
この山深い奥出雲の地に早くから 鍛冶工房が営まれ、しかも役人が出入りしている。
この地がたたら製鉄の先進地で 古くから都への鉄の供給基地であったのだろう。
また、ここから南に延びる松江道の道筋にも製鉄遺
跡が立ち並ぶ。
すぐ南には堂々ノ内(2)製鉄遺跡 そして 今
日 現地説明会のある大志戸(2)製鉄遺跡と
続々たたら製鉄の遺跡群が並ぶ。建設中の松江道沿いはまさしく「たたら街道」である。
ちなみに この三刀屋町六重・中野は 古代には飯石郡飯石郷に属していますが、
奈良時代に記され
た出雲風土記にはこの「飯石郡」と「仁多郡」に鉄に関する記載があり、
三刀屋町六重・中野は、製鉄が盛んであると記されている。
「
飯石小川(現在の多久和川)。
源は郡家の正東12里なる佐久禮山(三刀屋町六重東南の山)より出て、北に流れて三刀屋川に入る。
鉄あり。
」
現在は54号線 たたら街道とも呼ばれる出雲(神
話)街道が 中国山地を越えて日本海側と太平洋を結ぶ。
今 この高速道路 中国横断道路(松江道の延伸)
が結ぶ。 この街道はこの地の彼岸だったに違いない。
中野と六重を結ぶ街道が工事現場とクロスする(右) 六重の西側 三刀屋と吉田を結ぶ街道が見
える(左)