◆カラカミ遺跡とは
長崎県壱岐市勝本町立石東触他に所在。
壱岐島の中央部やや西側に位置する玄武岩丘陵上に立地。→刈田院川が近く、海岸への往来が容易。
壱岐最大の弥生遺跡である原の辻遺跡とほぼ同時期であるが、漁撈具の多さから漁撈的性格が窺われ、
原の辻遺跡の農耕的性格と古くより対比されてきた。
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◆カラカミ遺跡調査経過と目的
1952年、東亜考古学会によるはじめての本格的な調査。
1977年、九州大学考古学研究室による調査。
→いずれも、正式な報告書は刊行されなかった。(長崎県教育委員会の発掘調査も行われたが、遺跡の全体像は不透明。)
⇒遺跡の実態を解明することにより、壱岐の弥生時代の解明だけでなく当時の対外交流の実態をも理解可能に。
→過去の調査資料の再評価のために、カラカミ遺跡の再調査(2004〜2008年・2011年)を実施。
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第1地点では弥生中期後葉あるいは弥生後期前半の4つの竪穴住居址が鍛冶炉などとともに、鉄素材や鞴などが発見されており、
鉄加工をもとに交易を行っていた可能性がある。
そして、鍛冶などの生産地は第1地点という集落の一部の地域に限られていた可能性が考えられる
2号住居址および出土炉壁
鍛冶炉遺構(炉壁の出土や焼土跡等から地上炉)および 出土炉壁
出土鞴羽口
出土鉄素材および鉄滓
からかみ遺跡の地上炉の性格を示す製鉄炉跡と出土鍛冶遺物
イエネコや大型ニワトリの出土など、動物骨においても外来系要素が確認された。
また、鯨骨製のアワビオコシや卜骨の出土により、遺跡の漁撈的、祭祀的性格が明らかになった。
カラカミ遺跡出土イノシシ頭骨 鯨骨製アワビオコシ
カラカミ遺跡出土 卜骨
◆壱岐 環濠を有する弥生の高地性集落 からかみ遺跡まとめ
弥生中期後葉に突然に出現したカラカミ集落は、勒島交易に代わる壱岐島での交易拠点として造成された海人集落であり、
鉄生産や干しアワビなどの交易品を用いた交易拠点として、弥生後期後半まで存続した特異な環濠集落であった。
カラカミ遺跡の始まりは楽浪郡設置(紀元前108年)以降であり、
その終末は史書に言う倭国の大乱(紀元後2世紀後半)に相当する。
壱岐原の辻遺跡が周辺部に広い平野部をひかえ、政治経済を含める対外交流の拠点都市であるとともに
稲作をも広く行なわれていたのとは対照的に、カラカミ遺跡は丘陵地の頂上部にある高地性集落で、稲作は殆どおこなわれず、
生産工房を有する交易都市の性格を強めた壱岐の拠点集落で、半島交易の中心が壱岐から博多に移るとともに消えてゆく。
◆からかみ遺跡から出土した他に類例のない地上炉 まとめ
日本にまだ製鉄技術がなかった倭国
魏志倭人伝の時代に
このカラカミ遺跡から出土した炉壁を持つ地上炉は立派な羽口が出土する
一方、鉄滓・鍛冶剥片が少ないことや、出土する鉄器は未完成の小鉄片ばかりという当時他に類例のない製鉄炉。
その後の発掘調査の成器の果もふまえ、発掘調査を行った九州大学 宮本一夫教授は このカラカミ遺跡出土の地上炉は
「くず銑鉄(炭素量が多く、融点が低い鋳物銑鉄の小塊)を製鉄原料として、鉄素材を作った鍛冶炉ではないか」
日本への製鉄技術伝来・たたら製鉄の源流に
砂鉄・鉄鉱石とともに
第3の製鉄原料くず銑鉄を原料とした製鉄技術が
この半島交易の中心壱岐にあったのではないかと提案している。
九州大学100周年記念祭 九州大学考古学研究室活動紹介ラカミ遺跡発掘調査ポスターを整理
www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~kouko/100shuunenkarakami1.pdf byM.Nakanishi
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