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   「鉄」と「銅製錬」&「鋳銑鉄くず」の出会いから  鉄の起源・たたら製鉄の始まりを考える



 ≪1504feroots02.htm≫
2. 魏志倭人伝の時代 1〜3世紀 壱岐からかみ遺跡と出土した地上炉 まとめ
  
      「くず銑鉄片を製鉄原料として鉄素材を作る鍛冶炉 これがカラカミ遺跡の地上炉ではないか」
             2015.3.1. 大阪中之島 壱岐公開講座で 宮本教授講演より

          2005-2008年九州大 カラカミ775区(G)調査 4棟の竪穴住居址と6基の地上炉出土

調査区の表層 5層剥ぎ取り下から、弥生中期から後期の竪穴住居跡が4棟出土。また、住居内床面に焼土や木炭集積
そして、周辺埋土の篩で鉄片や鉄素材などが出土。これらから、出土したのは住居内に鍛冶炉を持つ鍛冶工房とみられる。
この調査区から出土する土器はすべて弥生式土器で、朝鮮半島の土器は出土しなかったという

 カラカミ遺跡 第一地点の遺構 ここから6基の炉跡遺構が出土した    壱岐からかみ遺跡の地上炉と出土鍛冶遺物
               
2015.3.1.大阪中之島で開催された壱岐公開講座で、九州大学宮本一夫教授らは倭国魏志倭人伝の時代 朝鮮半島交易の中心地として
栄えた壱岐のからかみ遺跡の鍛冶工房遺構から出土した他に類例のない地上炉について下記講演。
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 ◎ 炉壁・立派な羽口のある地上炉でありながら、鉄滓・鍛造剥片も少なく、
      また出土する鉄が殆ど未完成のくず小鉄片という特徴をもち、朝鮮半島の対岸の勅島周辺から出土する地上炉の特徴がある。
 ◎ このことから、この地上炉は鉄精練・鉄器加工の鍛冶炉とは考えにくく、
      朝鮮半額島などから集めたくず銑鉄片を製鉄原料として鉄素材を作る鍛冶炉で鉄素材を作った製鉄炉(鍛冶炉)であろう     
   
「くず銑鉄片を製鉄原料として 鉄素材を作る製鉄炉」 
  これがカラカミ遺跡の地上炉ではないかと提案する九州大学宮本教授説
 
 たたら製鉄・塊錬鉄製鉄法の第3のせい鉄原料として「くず銑鉄片」が提案された。
 製錬とは呼べないが、これならば従来よりはるかに低い温度で、鉄素材が作れる。それも まだ 魏志倭人伝の時代に・・・・・
 当初 日本のたたら製鉄の開始が従来より大幅にさかのぼれる発見と伝えられたのも理解できる。

 ラカミ遺跡の発掘調査を続けている宮本教授の九州大学考古学研究室 
 2012年九州大学 100周年記念祭 九州大学考古学研究室活動紹介のラカミ遺跡発掘調査ポスターより、 
 壱岐からかみ遺跡の概要および出土した地上炉の遺構・鍛冶遺物などを以下に整理して示す。


   ◆◆ 壱岐ラカミ遺跡の発掘調査 概要 2012.5.13. 九州大学 考古学研究室資料より ◆◆ 
      九州大三の学100周年記念祭 九州大学考古学研究室活動紹介ラカミ遺跡発掘調査ポスターなどより 
            www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~kouko/100shuunenkarakami1.pdf

九州大学宮本一夫教授らは 過去に部分的調査が行われてきたカラカミ遺跡について、遺跡の全体像を明確にするとともに、壱岐の弥生時代や
対外交流の実態を解明する目的で、2004年〜2008年・2011年に再発掘調査し、さらに壱岐市教育委員会との合同調査も加わって数々の成果を得て、
魏志倭人伝の時代の壱岐が原の辻遺跡だけでないことそして、対外交流で果たしてきた役割を明らかにしてきた。
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カラカミ遺跡とは
長崎県壱岐市勝本町立石東触他に所在。
壱岐島の中央部やや西側に位置する玄武岩丘陵上に立地。→刈田院川が近く、海岸への往来が容易。
壱岐最大の弥生遺跡である原の辻遺跡とほぼ同時期であるが、漁撈具の多さから漁撈的性格が窺われ、
原の辻遺跡の農耕的性格と古くより対比されてきた。
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カラカミ遺跡調査経過と目的
1952年、東亜考古学会によるはじめての本格的な調査。 1977年、九州大学考古学研究室による調査。
→いずれも、正式な報告書は刊行されなかった。(長崎県教育委員会の発掘調査も行われたが、遺跡の全体像は不透明。)
⇒遺跡の実態を解明することにより、壱岐の弥生時代の解明だけでなく当時の対外交流の実態をも理解可能に。
→過去の調査資料の再評価のために、カラカミ遺跡の再調査(2004〜2008年・2011年)を実施。
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調査結果
集落の存続期間は、弥生中期後葉(紀元前1世紀)から後期後半(紀元後2世紀)の環濠に囲まれた弥生の高地性集落である。
環濠は少なくとも南北200m以上に及び、環濠の東北部に半島系土器の出土が集中している。
これは、韓半島と交流した人々、あるいは韓半島系の人々が、集落のこの地区に暮らしていた可能性を物語っている。

また、半島系土器とともに、遠賀川以東の土器など外来系の土器が豊富であり、原の辻遺跡と同じ傾向を示し、
西日本内の多元的な地域間交流が窺える。
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1号住居址出土土器
(2007年)


土器出土状況
(2011年度、環濠発掘時)

カラカミ遺跡 環濠検出状況

カラカミ遺跡出土 半島系土器
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弥生中期の貝層からは、カキやアサリなど周辺の海岸環境と同じ貝種が確認されたが、弥生後期にはアワビが集中的に発見され、
干しアワビを交易品としていた可能性がある。土壌のフローテーションからは多量のコムギが発見されたのに対し、
コメはごく僅かであった。
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 発掘されたアワビ
土壌から採取された穀類
 土壌のフローテーション  イネは少なく、小麦が殆ど

カラカミ遺跡は丘陵地の頂上部の高地性集落で、
同じ壱岐の中心集落 原の辻遺跡が広い平野部をひかえ、稲作が広く行われていたのとは対照的である


第1地点では弥生中期後葉あるいは弥生後期前半の4つの竪穴住居址が鍛冶炉などとともに、鉄素材や鞴などが発見されており、
鉄加工をもとに交易を行っていた可能性がある。
そして、鍛冶などの生産地は第1地点という集落の一部の地域に限られていた可能性が考えられる


       2号住居址および出土炉壁

       鍛冶炉遺構(炉壁の出土や焼土跡等から地上炉)および 出土炉壁
   
                 出土鞴羽口                 出土鉄素材および鉄滓
      からかみ遺跡の地上炉の性格を示す製鉄炉跡と出土鍛冶遺物 

イエネコや大型ニワトリの出土など、動物骨においても外来系要素が確認された。
また、鯨骨製のアワビオコシや卜骨の出土により、遺跡の漁撈的、祭祀的性格が明らかになった。

  カラカミ遺跡出土イノシシ頭骨     鯨骨製アワビオコシ    カラカミ遺跡出土 卜骨  

               
壱岐 環濠を有する弥生の高地性集落 からかみ遺跡まとめ
  弥生中期後葉に突然に出現したカラカミ集落は、勒島交易に代わる壱岐島での交易拠点として造成された海人集落であり、
  鉄生産や干しアワビなどの交易品を用いた交易拠点として、弥生後期後半まで存続した特異な環濠集落であった。
  カラカミ遺跡の始まりは楽浪郡設置(紀元前108年)以降であり、
  その終末は史書に言う倭国の大乱(紀元後2世紀後半)に相当する。

 壱岐原の辻遺跡が周辺部に広い平野部をひかえ、政治経済を含める対外交流の拠点都市であるとともに
  稲作をも広く行なわれていたのとは対照的に、カラカミ遺跡は丘陵地の頂上部にある高地性集落で、稲作は殆どおこなわれず、
  生産工房を有する交易都市の性格を強めた壱岐の拠点集落で、半島交易の中心が壱岐から博多に移るとともに消えてゆく。

からかみ遺跡から出土した他に類例のない地上炉 まとめ
  日本にまだ製鉄技術がなかった倭国 魏志倭人伝の時代に 
  このカラカミ遺跡から出土した炉壁を持つ地上炉は立派な羽口が出土する
  一方、鉄滓・鍛冶剥片が少ないことや、出土する鉄器は未完成の小鉄片ばかりという当時他に類例のない製鉄炉。
  その後の発掘調査の成器の果もふまえ、発掘調査を行った九州大学 宮本一夫教授は このカラカミ遺跡出土の地上炉は

「くず銑鉄(炭素量が多く、融点が低い鋳物銑鉄の小塊)を製鉄原料として、鉄素材を作った鍛冶炉ではないか」
 日本への製鉄技術伝来・たたら製鉄の源流に
 砂鉄・鉄鉱石とともに 第3の製鉄原料くず銑鉄を原料とした製鉄技術が
 この半島交易の中心壱岐にあったのではないかと提案している。
 

九州大学100周年記念祭 九州大学考古学研究室活動紹介ラカミ遺跡発掘調査ポスターを整理
  www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~kouko/100shuunenkarakami1.pdf  byM.Nakanishi

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                    1504feroots02.htm  2015.4.5. by Mutsu Nakanishi