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孫たちを連れていちもくさん 伊丹空港の滑走路の端へ
2010.9.19.
エアフロントオアシス 下川原公園 東京にいた娘一家が関西に帰ってきました |
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滑走路から 飛び上がってくるのが眺められるエアフロント オアシス 下川原公園 2010.10.19.
この秋 一番のトピックスは娘一家が東京から引伊丹に引越してきたこと。
家の中も いっぺんに華やかに・・・・・。
伊丹を東西に走る国道171号線が南に流れる猪名川を渡る軍行橋の袂は 伊丹空港の北に延びた伊丹空港の滑走路の北正面の端。
滑走路をこっちへ向かって轟音を響かせ 突っ込んできた飛行機が 頭のすぐ上を超えてゆく。
迫力満点の飛行機見物の一番のポイント。
子供のころから 何度も通った場所で、昔は 尼崎や伊丹のこどもたちは誰でも知っている場所である。
9.19.荷物がつく引越しの日「ややこしいから 子供たちを見て」と頼まれ、「まかして」と孫たちを連れて いちもくさん。
伊丹といえば 私の頭にある一番はやはり このポイント。孫たちを連れて 飛行機を見に行きました。
久しぶりに言ってびっくりしたのですが、昔 正面は立ち入り禁止の田圃だったのですが、
エアフロント オアシス 下川原公園として飛び立つ飛行機を見る公園として整備されていました。
さすがに滑走路の真正面は少し外されていますが、飛び立つ飛行機は迫力満点。孫たちも大喜びでした。
昔から国道に車を止めて田圃に入る見物の人が多かったのですが、
今も私だけではなく、多くの子供ずれの家族が見物。
お父さんは皆子供そっちのけで 真上の飛行機にビデオやカメラを向けているお父さんがほとんど。
わたしも そうですが、久しぶりの迫力に浸りました。
家内には「またか・・すきやなあ・・」と笑われたのですが、
この辺りまでは 子供のころのホームグランドやと
遠く記憶からも忘れかけていましたが、はっと気が付いて 今言っても楽しい場所ですよ。
孫たちと出会う機会が増え 3Dの映画もみたし、新しい場所へ行く機会も増えて、うれしい限りです。 |
エアフロントオアシス下川原公園
滑走路を眺められる丘になっていて
子供が遊べる遊具などもある
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◆ 2010.11月の便り from
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実りの秋・秋の花 2010年秋 |
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久しぶりに信州で 北アルプス 穂高連峰・槍ヶ岳を遠望
八ヶ岳連峰 麦草峠 日向大場展望台 2010.10.17. |
10月17日早朝 八ヶ岳連峰を西から東へ越える麦草峠に上がりました。
峠のすぐ下の展望台からは八ヶ岳連峰・南アルプス・中央アルプス・北アルプスが雲の向こうに浮いているのが遠望できました
久しぶりに見る日本アルプス 特に 北アルプスの穂高連峰・槍ヶ岳が見られたのには感激しました
展望台の北西側に北アルプスが望めました 穂高連邦 槍ヶ岳
八ヶ岳連峰 鳳凰三山・南アルプス連峰 中央アルプス
八ヶ岳連峰麦草峠 日向大場展望台からの日本アルプス遠望 2010.10.17.
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褐鉄鉱(1) もう一つの製鉄原料 褐鉄鉱 あれこれ |
この9月姫路の衣川氏の「夢通信」をお送りいただいて
加越たたら研究会の人たちが、山の湿地にある沼鉄「ソブ」を原料とした製鉄実験に成功されていることを知りました。
早速「たたら研究会」のホームページでその内容を知りました。
■ 衣川良介氏 「夢通信」9月号-ソブによる製鉄-
■ 加越たたら研究会ホームページ「越の大王」
私の照会メールに「加越たたら研究会」からも丁寧なご返事をいただいて、
山の赤土(黄土)・沼鉄・ソブなど 見つけやすい褐鉄鉱系原料でも、
その品位を高める工夫が見つかればやっぱり製鉄原料となりうると。
ちょっと ほかの事にかまけて 忘れて投ったらかしにしていましたが、今一度 調べてみようか…と。
そんな折、インターネットをみていて、褐鉄鉱の宝庫 信州を象徴する諏訪鉄山の場所を北八ヶ岳の蓼科山の山麓に見つけ
先日 旧諏訪鉄山のある蓼科中央高原を歩きました。
また、愛媛大のシンポでは 古代からのベンガラの産地 熊本県阿蘇谷に現れた弥生後期の下扇原遺跡などの
阿蘇谷の弥生後期の鍛冶工房集落遺跡群の話を聞きました。
ベンガラ産地での鍛冶工房にこれは ひょっとして製鉄の痕跡がないかと興味津々でしたが、どうもそんな痕跡はないそうです。
でも この褐鉄鉱原料のことも 頭の中において もう一度見直してみようと思っています。
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信州で拾った褐鉄鉱?? |
沼鉄の初期 湿地に溜った水酸化鉄 |
沈殿した水酸化鉄で赤くなった岩肌 |
以前から 時々頭をもたげるもう一つの製鉄原料 褐鉄鉱
砂鉄・鉄鉱石のたたら製鉄が行われる以前のプレたたらの時代には
もっと簡単に製鉄原料が得られる方法での トライがなされていたのではないか・・・・
そして、その候補として 縄文時代から赤色顔料として使われてきた弁ガラ・高師小僧・鬼板・そして沼鉄など
豊富に存在する渇鉄鉱系の材料を使っていた可能性はないだろ会うか・・・・。
それが 「おすず」や「ササラ」などの伝承となって各地に残っているのでは・・・・と
最近は予備処理のめんどうを考えると褐鉄鉱系の原料をたたら製鉄に使うのは難しいとする人が多い。
一番の課題は 褐鉄鉱系の原料は鉄含有量が低い 品位が悪いこと
たたら製鉄の原料の砂鉄・磁鉄鉱では その鉄分量は 通常 >50%であるのに
褐鉄鉱では20数%〜50%で その種類によっても大きくばらついて 品位が低いこと。
安定したたたら製鉄が行えるには 鉄分量が>40と言われており、
たたら製鉄が可能となる鉄成分がほぼ40パーセントにまで高める技術が必要だなあ・・・・と
例えば 陶芸家が陶土を取るように砕石した後 水でこして 粘土質だけを取り込む作業と同じことをやれば
品位は高められるし、それを焼成すれば、多孔質で品位の高い製鉄原料がつくれるのではと・・・。
また、たたら研究会の皆さん他 多くの人がトライされている「褐鉄鉱を焼いて 磁性を帯びたものを選別する方法」もある。
もっとも 古代 磁石は使えたのであろうか・・・・、
この褐鉄鉱原料も たどってゆくと奥が深い。頭の中に入れておこうと思っています。
◆ 2010.11月の便り from
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褐鉄鉱(2) 赤い岩に緑のビロードを張るチャツボミゴケ
鉄分を含む酸性温泉水が作る赤と緑の渓谷 |
「チャツボミゴケ」って ご存知でしょうか?????
信州八ヶ岳山麓「横谷渓谷」
鉄分を含む川の鉄分が川底や周りの岩肌について 赤い渓谷と思い込んで出かけましたが、川を覗き込んでびっくり。
鉄分がこびりついて赤くなった岩とその岩の上にビロードのように張り付いた緑。そして、その真ん中をしぶきをあげて流れ下る清流。
予想もしなかった素晴らしい鉄の赤い渓谷の景色でした
私はよく知らなかったのですが、この景色を作ったのが「チャツボミゴケ」だという。
硫黄泉などの酸性泉に限って生育する特殊なコケで、
鉄を溶かし込む鉄泉が流れ込む川原にも河原の岩にびっしり付着し、ビロードのように敷き詰められた河原と流れが形成され独特の景観をみせるところがあると。
草津の近く群馬県六合村やこの渋川の緑も知る人ぞ知る群生地だそうだ。
この横谷渓谷ももつとビロードを敷き詰めたようになる時があるという。
川底に沈殿した鉄分が湿地に流れ込み、バクテリアや植物の作用と相まって
沼鉄そして褐鉄鉱床を形成する
でも 鉄の赤い谷には こんな赤と緑そして清流の素晴らしい景色を作る一面も |
鉄分で褐色に染まった岩肌にビロードのように張り付く
「チャツボミゴケ」
鉄の赤い渓谷 蓼科中央高原「横谷渓谷」2010.10.17. |
from
kobe 11月 by Muysu Nakanishi
〔Web file〕〔Pdf
file〕
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縄文がえりの勧め 心優しき縄文の村
. 幼くしてポリオにかかった少女が
縄文の村で みんなに守られ ずっと暮らしていた |
◆ 2010.11月の便り from
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【今月のhome
page 更新記事 概要】
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**************************** 今月の和鉄の道 製鉄遺跡探訪 *************************** |
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■ 1.
みすずかる信濃 信濃の鉄を象徴する褐鉄鉱
旧諏訪鉄山の痕跡を北八ヶ岳山麓
蓼科中央高原に訪ねる 2010.10.17.
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1. 諏訪と信州佐久を結ぶメルヘン街道
北・南八ヶ岳の鞍部 麦草峠へ
2. 沈殿する鉄で赤い鉄の谷「横谷渓谷」に紅葉と滝そして鉄の痕跡を訪ねる
3. 旧諏訪鉄山跡の遺構と鉄山に湧き出た「石遊の湯」を訪ねる
google earthの衛星写真で八ヶ岳連峰を眺めると北八ヶ岳連峰の西側山麓にそこだけ山襞がなく緩やかな傾斜で山麓に延びる平らな高原がある。
これは人工的な台地ではないか・・・と。
現在の蓼科中央高原 太平洋戦争時の鉄不足を補う褐鉄鉱鉱山旧諏訪鉄山で、現在は森に包まれた高級別荘地が広がっている。
また、この台地の右端を麦草峠から流れ下る渋川が作る渓谷「横谷渓谷」では岩肌や川底に鉄分が沈着して鉄の赤い渓谷を作っていると。
地形の面白さと赤い鉄の渓谷 そして 信濃の枕詞「みすずかる」「鉄」の関連語で信濃の褐鉄鉱を象徴する
何度も諏訪鉄山の名は聞いていましたが、それがどこにあるのか知りませんでしたが、八ヶ岳連峰の西山麓にみつけ、しかも地元の人たちによって 探訪ガイドまで作って遺構保存活動を続けている。
ちょうど紅葉が始まった10月17日早朝から1日かけて、旧諏訪鉄山跡並びに鉄の赤い渓谷「横谷峡」を歩きました。
もうほとんど旧諏訪鉄山の痕跡はごくわずかですが、
この台地の現在地形や赤い鉄の渓谷が大鉄山だった旧諏訪鉄山を示しているのかもしれません。
素晴らしい高原歩きの一日 旧諏訪鉄山Walkでした |
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◆ 2010.11月の便り from
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■ 2. この秋 二つの弥生時代後期の製鉄関連遺跡の講演会を聞いて
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「阿蘇谷の大量の鉄を集積した集落下扇原遺跡」と
「淡路島 西日本最大級の鍛冶工房村 五斗長垣内遺跡」
■ 10月9日 愛媛大学東アジア古代鉄文化研究センター第6回 アジア歴史講演会
「弥生時代の小さき鉄製加工具たち―阿蘇・下扇原遺跡の出土品から―」
■ 10月31日 ふるさと発掘展「弥生の鍛冶(かじ)工房・五斗長垣内遺跡への道」(連続講演会第一回)
「鉄と青銅 -近畿弥生社会における鉄器生産-」森岡秀人(芦屋市教育委員会)
弥生時代後期 阿蘇山の外輪山の内側の山裾 熊本県阿蘇谷のベンガラ産地に下扇原遺跡など鉄を大量に集積した
鍛冶工房を持つ集落が幾つも出現し、大和王権の成立過程で なぜかよく判らないが、一斉に消えて行った。
その出現と衰退は 淡路島に出現した西日本最大級の鍛冶工房村 五斗長垣内遺跡とよく似ている
このような鍛冶工房村の位置づけをどう考えたら よいのか…
また、大和王権の成立・日本誕生に大きな影響を与えたのだろうか・・・・・
これらの疑問への答えは どうも 一筋縄では行かないようだ
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弥生後期大量の鉄を集積した集落群
熊本県 阿蘇谷
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弥生後期の大鍛冶工房村
淡路島 五斗長垣内遺跡 |
◆ 2010.11月の便り from
Mutsu へ
**************************** 今月の風来坊 Country
Walk **************************** |
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■ 1.【写真アルバム】 花で追う2010年の秋 小さい秋 みつけた
1. 山田錦の郷 三木市吉川 灘の酒蔵の旗がはためく実りの秋
2010.9.6.
2. 新しい兵庫の蕎麦の郷 加古川市志方町野尻・小野市小野町
2010.10.1
3. 稲穂が揺れる田圃の畔に彼岸花 加古川市志方町で
2010.10.1.
4. コスモスの里 加古川市志方町広尾西・東中コスモス畑
2010.10.13.
5. 一足早い渓谷の紅葉 信州蓼科中央高原「横谷渓谷」
2010.10.17.
暑い夏がながびいて 秋が来るのかなあと 季節感の乏しかった今年の秋
花の咲くのが 待ち遠しかった秋ですが、あっというまに 木枯らし一号
そんな秋 ことしも 花の秋を訪ねました
BGM付のppsスライドとPDF写真アルバムで、少し時間がかかるかもしれません。
◆ 2010.11月の便り from
Mutsu へ
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