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縄文のウッドサークル「能登川正楽寺遺跡」と近江八幡 「左義長祭り」を訪ねる
2009.3.15. 09spsiga00.htm  by Mutsu Nakanishi
2. 湖東 春到来を祝う 近江八幡 左義長祭


琶湖湖岸から東近江に広がる広大な近江平野に春到来
 能登川の愛知川左岸の田園の中に ウッドサークルを中心に仮面の祭りを行っていた縄文の集落かあったという
また、琵琶湖湖岸 近江八幡では 春到来を祝う「左義長祭り」
東近江の田園の春と縄文のウッドサークルの出た周辺の景色をながめたくて東近江を風来坊

      2. 湖東 春到来を祝う 近江八幡 左義長祭    09spsigab00.htm
 

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1. 近 江八幡 左義長祭り Walk 2009.3.15.
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  〔昼 日牟礼八幡宮境内 左義長どうしの「けんか」〕
2. 写真アルバム 近江八幡 左義長祭り    
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信長 にルーツを持つ 滋賀県近江八幡 左義長祭  
写真は3.15. 昼 日牟礼八幡宮境内 左義長同士の組み合わせ(けんか)

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1. 近江八幡 左義長祭り Walk     〔昼  日牟礼八幡宮境内 左義長どうしの「けんか」〕
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近江八幡 左義長祭り   近江八幡観光物産協会HPより

近江八幡 左義長祭りの由来等概説 近江八幡市HP・観光協会HPなどより
左義長は元来新年に行われる火祭行事を指し、大阪では「どんとやき」と呼ばれる。旧正月を中心に14日 夜か15日朝、正月の飾り物などを広域に集めて焼く行事であり、1年の無病息災を祈って現在でも全国各地で行われる。
近江八幡左義長祭りは毎年3月14・15日に近い土・日に行われ、今年は3月14日・15日。400年 以上の歴史があり、毎年正月に安土城下で盛大に行われていた左義長祭に織田信長が変装して加わり踊った安土城下の祭りが起源とされている。
新年 旧正月の行事がなぜ3月に八幡で行われるのかと いうと、織田信長が亡くなった後、豊臣秀次が八幡城を築き、安土から多くの町人たちを招いて城下を開町した折に、既に4月に行われていた氏神八幡宮の例祭 「八幡まつり」の荘厳さに驚き、これに対抗し、移住してきた町人たちを中心に新進気鋭の悦びと感謝の意を込めて、3月 左義長を八幡宮に奉納したのが八幡 左義長ルーツと伝えられている。
左義長の本体は新ワラで編んだ高さ約3メートルの三角 錐のたいまつですが、その上に竹を立て、細長い赤紙や薬玉、巾着、扇などで飾られます。 また、左義長の中心に据え付けられた「だし」はその年の干支(えと)にちなんだものを海の幸(海産物)や山の幸(穀物等)で作られている。
左義長の担い手は踊子と呼ばれ、その服装は、揃いの半 纏を羽織る姿が一般的です。
近年は少数になりつつありますが、女物の長襦袢を着用 したり、化粧をするなど、変装した格好で左義長まつりへ参加するものも少なくはありませんでした。これには、諸説ありますが、織田信長が自らの正体を隠す ために派手な出で立ちで参加したとの話を、近世の人々が変装するものと解釈したのではないかと言われています。
初日の午後は日牟礼八幡宮に参集した十数基の左義長が 市内巡行しますが、翌日はそれぞれが町を練り歩き、「けんか」と呼ばれる左義長同士の「組み合わせ」を繰り広げ、二日目の夜には八幡宮境内で次々に燃やさ れる。
燃え盛る左義長の周囲で女装した若衆が乱舞するのが、 祭りのクライマックス。
その様は織田信長の気性を想像させるといわれる。

3月15日午後JR近江八幡駅に降り立つ。 近江八幡へは何度か来たことがありますが、
左義長祭りを見るのは初めて。
駅前に左義長祭りの幟が何本もはためいているが、いたって静か。
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やっぱり、夜左義長に火をかける時でないと盛り上がらないのか?と
思いつつ、まっすぐ北の八幡山へ続く大通りを歩く。
通りにある近江八幡の和菓子屋「たねや」の前を通って15分ほどで
旧城下に入る。
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ちらほら町を染め抜いた法被を着ている若者や子供が歩いていて、
祭りのムードが漂ってくる。ここまでくるとカメラをぶら下げリュッ
ク姿の観光客も多くなる。
古い町並みが残る中 近江八幡の観光の目玉八幡堀にかけられた橋を
渡ったところに日牟礼神社の大鳥居があり、その中は日牟礼八幡宮の
境内で境内の縁の参道には露店が立ち並び、人でごった返している。
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中央部には左義長が集結し、左義長を担ぐ人の掛け声や左義長の担ぎ
棒の上から指揮を摂る笛・境内を練っている左義長に近づくなと叫ぶ
マイクの声そして、それを取り囲むように見物するぎっしりの人で騒
然。境内の外とは別世界である。
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日牟礼八幡神宮へ入る手前の近江八幡 旧市街 
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日牟礼八幡宮の境内へ入る八幡堀 鳥居前周辺 
 各町々を練り歩いた左義長は八幡山の山裾の日牟礼八幡宮の境内に集結していて、境内を練りながら左義長同士が正面から
 組み合っ て押し合う。そして、左義長が跳ね上げられたり、横倒しになったら負けだといい、これを「けんか」といい、
 境内のあちこちで、これを繰り広げている最中 である「けんか」というのがどうも正式名らしい。びっくり。 
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 日牟礼八幡宮の境内に集結した左義長 同士相手を見つけて正面からの組み合わせる左義長の「けんか」 2009.3.15.
 大阪では 祭りで練っていた地車(だんじり)同士が出会うとぶつかり合い、相手を跳ね上げるのを「けんか」といい、
 胸をわくわくさせながら地車を追っかけ、見物に出かけたものでした。あまりにも危険で禁止されて以来トンと聞かな
 かった言葉です。まだ 本当に正面から取っ組み競う「けんか」が残っているのにびっくり。
 でも 地車のけんかのような殺気だった空気もなく、お互いラグビーのスクラムのぶつかり合いを楽しんでいるような
 空気で、見ている人もそれを楽しんでいる。 
 観光客を意識しないで、昔からの町を挙げて祭りを楽しむこの左義長祭りの伝統が今も残っているのだろう。 
 よう怪我人がでないものだと思うのですが、酒を飲みすぎている風もなく、
 それぞれの左義長があまり無茶をやらないようそれぞれ良くコントロールされている のだろう。 
 子供の佐義長同士でも組み合わせが行われていたのにもびっくりでしたが、
 良くコントロールされているので、怖さはない。
 左義長祭りのクライマックスは夜のようですが、
 昼間 境内の中で行われる左義長同士の組み合わせ「けんか」も子供の頃を思い出す迫力のあるものでした。
 
 この左義長同士の組み合わせ「けんか」を経て 夜それぞれの左義長に順番に火をかけて祭りが終わる。
 火をかける時間が8時頃 全部祭りが終わるのが夜半と聞いて、それを見るのはあきらめました。
 境内には人であふれかえり、熱気ぷんぷんなのに本殿前には人まばら。
 本祭りが4月の「八幡祭り」でほとんど神社臭さがなく、
 観光客に見せるというより、それぞれ町ぐるみで祭りを楽しんでいる風に見えるのも
 そのルーツから の伝統に根ざしているのかも知れません。
 ここにも信長の時代バサラの気風が残っているのかも知れないなあ・・・と。
 おもしろくもあり、うらやましくもある祭り 奇祭である。
 そんな 湖東に春を告げる近江八幡の「左義長祭り」昼の祭りの様子を写真アルバムにしました。


 
 
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