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Country Walk 巨大草食恐竜「丹波竜」を訪ねる 丹波市山南町上滝 2008.5.15. 氷上回廊の分水界のすぐ南 1億4000万年前の地層「篠山層」が河床に露出する篠山川 2008.6.5. tnba00.htm by Mutsu Nakanishi
1. 国道175号線 加古川沿いを北へ 黒田庄 珍しい茅葺の拝殿がある「兵主神社」に道草
黒田庄から加古川が写真中央を南北に流れる東側多可町方面 2008.5.15.
前日の夜 インターネットで「丹波竜発見場所であるJR福知山線下滝駅周辺の篠山川」 を確認して、5月15日 快晴の朝神戸の家を出る。インターネットで調べた最新の情報では 胴体と首をつなぐ部分の化石が出て、首と足を除いて ほぼ1頭の化石が位置関係がはっきりした同じところから出土。その出土部の地層を切り取って、丹波竜化石工房に持ち込んで、詳細調査中だという。 発掘現場からは丹波竜1頭そっくりそのまま化石が出土する可能性があるという。発掘現場がどんなところなのかまた、丹波竜が埋まっていたという
1億4000万年前の地層が露出しているというが、どんな風なんだろうか・・・まずはこれらをたしかめたい。
化石発見地点周辺へは 何度も50ccのバイクを走らせたことがある。コースは2つ。ひとつは 北へ丹生山を越えて 国道176号線の篠山盆地へ入って、そこから福知山線に沿って、谷川駅の方へ篠山川沿いを下る。 もうひとつは 神戸の西側をまっすぐに北へ伸びる国道175号線を三木・小野を経由して加古川沿いを滝野・社から谷川へ入って、そこから東へ篠山川を遡るルート。先月篠山立杭までいったところなので 今回は 久しぶりに 三木・小野から 谷川まで加古川を遡って、行く道をとり、帰りは篠山から帰るコースを走る。神戸電鉄沿いの神戸三木線を抜け、小野から国道175号線に入り、北へのどかな田園地帯中を約1時間半ほどで、社・滝野ICのところで中国道をくぐると国道は加古川の河岸に出る。このあたりは河床に岩場が露出する流れが瀬を作る 「闘竜灘」。西脇まで岩盤が露出した岩場がつづき、昔はここまで瀬戸内海からさかのぼれたといい、ここから北へ加古川に沿ってさかのぼって、西脇から黒田庄を通って、篠山川が東から加古川に合流する山南町谷川へ。東西に走る中国道を越え、滝野から西脇に入ると国道175号線は川の西側に渡り、まっすぐ加古川の本流沿いを北へ進む。山南町谷川から篠山川沿いの下滝方面に行くには、むしろ道幅は狭くなるが、川の東側の山裾を加古川線と平行して走る県道の方が交通量も少なく近い。のんびり加古川の流れを眺めながら河岸を少し走るとまもなく黒田庄の街。兵主神社は大鳥居からこの道を300mほど入ったところの左手。
黒田庄駅のすぐそばの踏切に大鳥居があり、「兵主神社」の案内板があった。「兵主神社」といえば、製鉄関連地など金属精錬・鍛冶関係の地に祭られる神社のひとつであり、ついつい興味が向く。ガソリンスタンドで聞くと たたらや鍛冶の話はないが、
由緒ある古い黒田庄自慢の社だという。加古川沿いの製鉄関連地は勉強不足で「三木」しか知らないが、これより西の西播磨は播磨風土記に記載がある古代からのたたら製鉄地帯であり、「黒田里」として播磨風土記に記載がある古い里で、「たたらの関連地かも知れない 」と道草して、兵主神社を訪ねました。後で聞いて判ったのですが、大鳥居からまっすぐ東へ伸びる道は 昔、山岳信仰の山だったという白山・妙見山のある門柳集落へ至る道だという。
石柱柵で囲まれた広い境内の真ん中に堂々とした民家と見間違う茅葺入母屋造りの高床式建物が見える。
「この神社の社殿は茅葺なのか???」とびっくりしましたが、この建物の後に本殿があり、この建物は拝殿でしたが、
神社の境内の中心に堂々と座る茅葺の建物は珍しい。「兵主神社にこの建物」である。
西脇市黒田庄 創建748年の由緒ある神社 珍しい茅葺の拝殿を持つ 2008.5.15.境内にある神社の案内板によると主祭神は大己貴命。 延暦3年(784)創建。
宝亀五年(774)一播磨掾を拝し、大和国岡本邑より当地に赴任した岡本修理太夫が兵主神社を勧請したという。
『播磨風土記』には出てこないが、延喜式には記載された古い神社である。
また、拝殿は桃山時代の代表的な茅葺入母屋造りの様式を伝える長床式拝殿。地元では当地出身に連なる黒田官兵衛(豊臣秀吉の側近として仕えた武将)「三木城攻略を記念した奉納金で建てられた」と伝えられる。
なぜ この地に金属精錬・鍛冶と関係の深い「兵主神社」が勧進されたのか、黒田庄の公民館にも訪ねましたが、
よくわかりませんでした。大和の岡本といえば 聖徳太子の斑鳩 岡本宮の地と思われ、大陸との重要交通路 大和川が流れ下る大和平野 国際色豊かな古代の中心地のひとつであったろう。 そこから、この地へ派遣された人物の目的は何だったのだろう。
この兵主神社の東には 古くからの信仰の山といわれる白山・妙見山があり、また、加古川をはさんで西側の多可町中区にも妙見山があり、この山麓は古くからの採銅所。
西播磨の中国山地が鉄であるのに対し、生野から続く東播磨の山麓は銅などの鉱物資源が豊富な場所で、特に妙見山はそんな鉱山と関係が深いという。また、インターネットには「この生野層の上にある多可町中町妙見山、山南町妙見山、黒田庄町妙見山、トンガリ山(今田町妙見山)、能勢町妙見山と「妙見山」が直線上並んでおり、そこには銅山などの鉱山が見られ、妙見信仰と金属探査を生業とする人たちの密接な関係が見られる」という。
そんなことを考えると この地に播磨の長官としてこの地にやってきた岡本修理太夫もこの周辺の鉱物資源の支配・探査に通じる人であったのかもしれない。黒田庄の加古川周辺で 2008.5.15. 黒田庄周辺では 南北に流れる加古川の川幅は広く、その両側の平地に田圃が広がり、
この川筋を隔てる両側の低い山並みの傾斜地に集落が連なっている。
そして、あまり見られなくなった蓮華畑が一面花を咲かしていました。
北側には分水嶺に近い中国山地の山々が連なり、そこから加古川がゆったりと流れ下ってくる。
すぐ北に見える山の麓が山南町谷川のあたりで、その山裾を東から篠山川が加古川に注ぎ込んでいるはずである。
分水嶺に近づいたとは言いながら 山は低く 川は幅広い田園の中をゆっくりと流れくだり、本当にのどかな田園風景。
これが氷上回廊たる所以なのだろう。
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tnba01.htm 2008.6.5. by Mutsu Nakanishi