西側に伸びる傾斜地 一番奥の高台 是川遺跡全体を見下ろす丘の上に展望台、
是川遺跡記念碑があり、ここからは 是川遺跡を真ん中に広がる是川の里の素晴らしい田園風景が見渡せました。
是川遺跡記念碑
一王寺遺跡からもう少し登り、開墾された田畑地帯と丘陵地の森の境のところに教えてもらった展望台が整備されている。
其処に大正時代始めてこの是川遺跡をみつけ、発掘・保存を精力的に進めた泉山翁の顕彰と是川遺跡の意義を書き記した
是川遺跡記念碑があリました。
ここからは 今登ってきたゆるやかな傾斜地に広がる田園地帯を前景に是川の里とその背後の新井田川と丘陵地が緑の帯となって東西に伸びている。 さらにその奥遠くにただ一線で八戸の市街地そして右端に種市岳がポツンと浮いている。
高度が低いので 海は見えないが 山の向こうには遠く太平洋が広がっている。
舗装道路や自動車やコンクリートの大きな建物など邪魔するものが全く無いのどかな田園風景がいい。
是川中居遺跡の森の背後の丘陵地の中に青い屋根が見えるのが 縄文中期の合掌土偶が出土し、
環状の大集落が営まれていた風張遺跡の上に建つ老人施設長生園。新井田川を挟んで直ぐの丘陵地との上である。
素晴らしい是川の里の田園風景です。
是川遺跡の西の丘から眺める素晴らい是川の里の大展望 2008.10.30.
縄文人もこの素晴らしい田園景色を見たのだろうか・・・
今 田園が広がるこの丘陵のスロープも緑の森が埋め尽くし、
ランドマークとして 種市岳がぽっかり浮いていただろう。
ここでも やっぱり 縄文人は素晴らしい風景の森に集落を営んでいる。
右手奥に遠望されるのが種市岳 おそらく是川にすむ縄文人たちのランドマークだったろう