「風張遺跡の今は案内板があるだけで 何もなし。 行かれても・・・・」と聞いて、ちょっとがっかりですが、
いつもながら、遺跡は周囲を眺められる丘の上。この風張遺跡のある丘もきっと素晴らしい景色が見られるに違いない。
どんなところだったのか 思いはワクワクです。
余談ですが、風張遺跡の「合掌土偶」は昨年 大阪であった青森まほろば博で見たことあり。
縄文のお産を示したものだとの説もある土偶ですが、ちょうど膝のところが壊れていて、
ここを縄文人がアスファルトで接合修理していると聞いて 接合屋の私にはさらに身近になった土偶。
また、一部欠けて出土するものが多い土偶は「祈りとして、欠くのだ」との説が通説ですが、
この土偶はアスファルトで修理し、しかもゴミ捨て場から出土したものでな、住居跡から出土した土偶です。
国宝となった風張の合掌土偶が出土した丘 興味深々です。
新井田川に架かる橋を渡って、何も残っていないと聞きましたが、風張遺跡がある向かいの丘陵地に登ってゆく
中居遺跡北の十字路を東へ新井田川に架かる橋があり、それを渡って、向かいの丘陵地に登ってゆく道が伸びている。
この道を真っ直ぐ登ってゆけば、風張遺跡の眠る長生園を経て丘陵地の上へ出る道である。
歩くにはちょっときついなあと思いつつ歩き出す。また、交差点の直ぐ北側の奥 田圃が縄文中期の掘田遺跡である。
橋からは長生園の青い屋根が見えているので、それを目指して歩く。
是川中居遺跡から新井田川の橋を渡って 風張遺跡のある丘陵地へ 2008.10.30.
是川記念碑の丘より眺めた丘の右端に風張遺跡があった老人ホーム |
長い坂道 振り返ると是川の里が見える |
橋を渡って、急な坂道を登るとY字路になっていて、そのY字の上が風張遺跡があった新井田川に張り出した
尾根の先端。建物が見えているのですが、左側から回り込んでこの尾根筋へ登ってゆく。
直ぐ 尾根の上へでられると思いましたが、切通しの中を真っ直ぐのきつい坂道が続く。
ぶらぶらと登って20分ほどで、一段上の丘にあがって、視界がひらけ、この道の右手に長生園の建物が見え、
入口の直ぐ横に風張遺跡の案内板が立っていました。
|
|
風張遺跡へ登る道のきつい切通し道
|
きつい切通しを登りきると丘陵地の中段視界が開け、
長生園の建物と風張遺跡の案内板がありました
|
風張遺跡が地下に眠る長生園 2008.10.30.
風張遺跡の丘に登れば 新井田川を挟んで、風張遺跡のある丘の先端部から是川遺跡側が見通せると思っていましたが、
残念ながらこの道筋からは見通せませんでした。 長生園の中へ入れば 見通せたのでしょうが、見送り。
是川遺跡記念碑で眺めたのと同じような真ん中を南北に流れ下る新井田川
そして、ちょうど対岸には 丘陵地の森をバックに川へ出られる湿地を下に持つ高台が見える。
この風張の縄文人たちには 魅力的な場所にみえたのではないだろうか・・・・
時間は10時半 再度 中居遺跡に引き返してもバスを捕まえられそうに無い。
長生園で聞くとこのまま坂を上りきったところで路線バスに乗れると聞いて、そのままこの丘を登りきる。
志民のバス停で時間調べるが、駅方面のバスなし。やはり 本数が少なく、ちんぷんかんぷん。
とにかくこの尾根筋を下ってどこかでバス捕まえるか タクシー探そうと丘を北へ向かって歩き出す。
15分ほど歩いて 八戸南環状道路の八戸是川ICのところでタクシーが捕まえられたので、やれやれ。
八戸市街地をつききって、八戸博物館にたちより、其処からバスで新幹線八戸駅に12時過ぎに到着できました。