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       卑弥呼の時代からの大陸への玄関口 若狭・北近江の「若狭街道」 2008.9.1. 
9. 大陸・朝鮮半島の鉄をもとめて続く若狭・北近江の 「和鉄の道」を訪ねる 


1.  北近江 琵琶湖北岸の饗庭野丘陵地 「 高島市 熊野本 」     0810wksa01b.htm
      安曇川左岸 饗庭野丘陵 「鉄の加工工房があったという弥生の熊野本集落遺跡」
1.1. 大和に前方後円墳が作られ始めた時代に築かれた「熊野本古墳群」
案内場から少し登ってゆくと 右側の整備地 古墳群のある場所への道が出てくるが、立入り禁止の綱が張られている。
道が見つからねば、ここから再度登り直すことにして、先へ進むと別荘の家並みのあるY字路。 
左手の道は左側の丘を別荘地に整備され家が建ち並ぶ居住地を巡る道で この丘一体が熊野本遺跡が出土したところ。
右手の道はそのまま浅い谷筋をつめる道で、右側にうっそうとした雑木林が広がる丘で この中が古墳群の丘陵地である。

   弥生の向地性集落 熊野遺跡がある南の丘(左)と古墳群のある北の丘(右)との別れ周辺  正面に見えるのが南側の丘
そのまま、二つの丘の間の道を登りつめ、右の丘の頂上の方へ回り込むと右手のブッシュの中に「熊野本6号墳」と書かれた
立て札が倒れかけで立ち、その傍をブッシュの奥に消えかかった細い道がある。 おそらくこの古墳を巡る道だろう。  

     熊野本古墳群が広がる北の丘へ登りつめたところに熊野本6号墳がありました  2008.9.1.
6号墳は卑弥呼の時代に作られた前方後方墳で、是非見たかった古墳で、 立て札にはその概要が次のように書かれている
熊野本6号墳の概要を示す立看板 
熊野本6号墳
6号墳は全長約28mの前方後方墳で 標高165mの丘陵上に立地。
この古墳からの見晴らしは大変良く 平野部や琵琶湖までを
一望することができる。
墳丘は南斜面の幅を広く築造していることから、
生産基地である平野部を意識して築造されたと思われる。 
この被葬者の権力を壮大に見せる工夫と考える。
前方部かは破砕された土器と焼土が出土。
古墳時代前期の湖西地域の首長の墓と考えられる。
立て札の前の踏み跡を頼りブッシュの中をかき分けながら登ると雑木林の中の幅の細い尾根筋のこぶの上。
ここがどうも一番高い所で、高低さで見ると前方後方墳の前方部のようですが、良くわからない。
目を凝らすと細い尾根筋が北の方に伸び、東側から明るい日が差し込んでいる。北にも下りながらたどれそう。
でこぼこがあちこち林の中に見えるが、古墳なのかどうかは判然としない。この古墳も前方後方墳の形は良くわからない。
尾根筋を北へ少し幅の広くなったおそらく後方部と思われるあたりに降りてゆく。 林の中ではあるが、東側がオープンになり、
木々の間から遠く高島平野から琵琶湖が見える。この古墳が作られた時には高島平野から琵琶湖の大パノラマが一望でき、
下からもこの古墳がよく見えたのだろう。この地が日本海側へ抜ける若狭街道・琵琶湖の交通の要衝であったことが頷ける。
この地域を支配した首長たちが、権力の象徴として 若狭街道を行く人たちに自分の権勢を見せ付けた王墓だったのだろう。


.卑弥呼の時代に築造された前方後方墳  この地域の首長墓  熊野本6号墳
前方後方墳は 卑弥呼の時代 大和に前方後円墳 出雲に四隅突出墳がそれぞれの地域の首長の墓として築かれてゆく古墳時代の
前期にこの近江から東海地域作られ始め、日本各地で大和が勢力を伸ばしてゆく過程で、その支配地の首長の墓として築かれるよ
うになり、次に前方後円墳に置き換わってゆく。
大和の王権に遅れて加わった地域首長が築造を許された形だとか 大和王権の中心勢力 物部氏が地その支配勢力地を広げる過程
で築いたとの説もあり、その詳細は良くわかっていない。ただ、大和王権の勢力が巨大化してゆく過程で、大和王権を構成してゆ
く地域首長などの墓であることは間違いない。
もし、この6号墳が古墳時代の初期 3世紀前半に築かれたとするとこの重要地点をにらむ地域首長が早くから存在していたことに
なる。この熊野本が大陸と大和を結ぶ「鉄の道」の重要ポイントであることを示す重要な遺跡である。
  ( 前方後円墳の出現は3世紀末から4世紀初頭 東海からとする説も有力であり、
    この6号墳の年代についてはどうも 確定されていないようだ。)
このまま尾根筋を下れば、この地が開発された時に作られた道に出られそうですが、道のないちょっと荒れ果てた状況の中では先
へよう行けず。古墳分布図があった入り口まで引き返し、立ち入り禁止の綱が張られたところからこの北の丘一帯に入りなおした。

道路が整備され 開発が放棄された北の丘 今は道も雑草に  2008.9.1.
道はアスファルト舗装された道がまっすぐ奥へ伸びているのですが、アスファルト破れ、道の真ん中にも雑草が覆い始めている。
道の両側の林も全く手入れされた形跡もなく、あれるに任せたままで、うっそうとしたブッシュと雑木の森が覆っている。 
自然の森よりももっと厳しくて、この森の中へ入り込む勇気がわかない。
この森の中の尾根筋に分布している古墳をそがそうと道路脇から林の中に入り込む道探すのですが、良くわからず。
30分ほど、道路から森の中を覗き込んだり、少し入ってみたりと舗装道路をぐるっと一周しました。
造成地が破棄されてしまうと、その中を通り抜ける道もなく凄いことになることを実感しました。
熊野古墳群が分布する北の丘 前方後円墳があるあたり  2008.9.1.


熊野本6号墳の概要を示す立看板
踏跡を見つけて、ブッシュの中に入り、踏み跡を頼りにこんもり盛り上がった場所を探す。いくつもそんな場所があるのですが、
古墳であるかどうか確かでない。 この辺りに 大きな円墳 前方後円墳がある辺りなのですが、結局良くわからずに出てきました。
元の道を引き返して、入り口に下ってゆくとこの森の向こうに琵琶湖と高島平野がひろがっさていました。
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