「鉄の起源」や「ユーラシア大陸の東西を結ぶ金属器&鉄文化東伝の道≪Metal
Road & Iron Road≫の探求を進める愛媛大学東アジア古代鉄文化研究所のチームが日本・中国・モンゴール・ロシア・トルコの研究チームなどと積極的に共同発掘調査研究をすすめている。その過程で 愛媛大・モンゴル共同チームが、従来は製鉄技術がないと思われてきた中央アジアの遊牧の民「匈奴」の製鉄炉跡
をモンゴル国内で発見・発掘した。ビッグニュースである。
紀元前3世紀から紀元1世紀にかけて ユーラシア大陸の中央モンゴル高原に起こった遊牧の騎馬民族「匈奴」。
当時中国は「秦」「漢」の時代、この匈奴の侵入を防ぐため、万里の長城を築き、当時の先端技術ですでに大量量産の製鉄技術を
確立していた「漢」はこの技術がほかに流出せぬよう、鉄官などを置き、厳しく国家統制していた(溶融鉄還元間接法)。
匈奴が南の中国と対峙する一方、ユーラシア大陸の西では
匈奴の侵入を発端とするヨーロッパの民族大移動が起こっている。
この「匈奴」の爆発的エネルギーの根源は騎馬民族の「略奪」に支えられていると考えられていたが、今回の発見・発掘で≪匈奴が独自の製鉄技術を有していた≫ことが、次第に明らかになってきた。
また、愛媛大が進めてきた中央アジアでの数々の共同調査で、紀元前12世紀ごろヒッタイトが発明した製鉄技術がユーラシア大陸を東伝して、早くからインド・中国に伝わったばかりでなく、
黒海・カスピ海の北岸からユーラシア大陸中央の草原を通って、西シベリアやモンゴルにまで伝わっていることが明らかになり、
古くからユーラシア大陸の東西をつなぐ、金属器・鉄器文化伝播草原の道≪Metal
Road & Iron Road≫があった
ということも次第にあきらかになってきたという。
---- 村上恭通愛媛大教授「鉄と匈奴」シンポ 基調講演より