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「 発掘された日本列島2013展 -新発見考古学速報- 」に見る
昨年度発掘された製鉄関連遺跡の紹介  2013.6.15.
1. 弥生時代 幅・津留遺跡 熊本県高森町・南阿蘇村
 阿蘇カルデラ北の阿蘇谷のほか 南東部 南郷谷にも鉄器を集積した集落遺跡があった
環濠・倉庫・工房・墓を備えた中期〜後期の中九州拠点集落   石器から鉄器へ  道具の変遷も明らかに

               阿蘇のカルデラ内 石器中心の西の村から 鉄器中心の東の村へ 弥生時代 道具の変遷が見られる遺跡 幅津留遺跡
阿蘇カルデラの北部 阿蘇谷 弥生後期の「狩尾遺跡群」に先立つ弥生中期
阿蘇谷東南部の「幅・津留集落遺跡」から鉄器工具の集積が見つかった。
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阿蘇カルデラの北部阿蘇谷のベンガラ原料阿蘇黄土が出土する狩尾地区には弥生時代後期 周囲の遺跡に先立って鉄器を大量に集積した弥生集落遺跡群「狩尾弥生遺跡群」がある。
しかし周囲の遺跡にはない先進の鉄器を集積した理由は良くわからない。阿蘇黄土は渇鉄鉱で品位は低いが製鉄原料になりうるかも知れず、製鉄との関連性も考えられる。
そんな阿蘇カルデラの東南部南郷谷にある弥生中期から後期の弥生集落遺跡「幅・津留集落遺跡」からも鉄器工具が出土した。       
しかも集落の移り変わりが石器から鉄器への工具変遷を明確にしめし
ているという。
阿蘇カルデラ内の弥生の村の鉄器集積の謎を解くカギになるかもしれな
いと興味深々です

     昨年出かけた阿蘇谷 ベンガラ原料の阿蘇黄土が広がる弥生時代後期鉄を集積した狩尾弥生後期の集落遺跡群
    蘇谷に大量に埋蔵される渇鉄鉱  ベンガラ原料の「阿蘇黄土」 これが日本での製鉄の開始と関係していないか???
    是非一度阿蘇谷に行って「阿蘇黄土」に出会いたいと・・・・
【参考】 【和鉄の道・Iron Road】私の阿蘇谷「阿蘇黄土」を訪ねる 古代の製鉄原料???  2012.11.1.& 11.2.
  阿蘇谷にベンガラの原料・「阿蘇黄土」を訪ねました。また、日本一美しいダム 豊後竹田白水ダムへも  .
   URL: https://www.infokkkna.com/ironroad/2012htm/iron8/1212asodani00.htm
   URL; https://www.infokkkna.com/ironroad/dock/iron/12iron11.pdf



     <<  弥生時代 幅・津留遺跡 熊本県高森町・南阿蘇村2013日本列島発掘新発見展より >>



                         阿蘇のカルデラ内 石器中心の西の村から 鉄器中心の東の村へ 弥生時代 道具の変遷が見られる遺跡 幅津留遺跡
道路建設途中に発見されたこの遺跡、全長1300m幅14mの区域で、竪穴建物・高床倉庫・環濠・墓・居住区と墓を区画する溝・祭祀土坑などを有する時代の異なる二つの集落跡を確認。
 西のムラ =弥生中期後半の西側の集合集落 
 東のムラ =弥生後期後半に出来た東側の集合集落
人口増加に伴い東に移動したと思われるが、様子はちょっと違う。     
西の村では環濠を備え、外部から容易には進入できない。 一方、東の村には区画溝があるが、浅いものでいつでも入れ、東の村が形成されたときには激しい戦いはなかったのかもしれないという。
また、西の村では磨きあげた石鏃など石の道具が中心なのに東の村では鉄器が道具の中心であった。
これだけ道具の変遷がわかる遺跡は大変珍しい。    

遺構配置(東のムラ)
東西どちらのムラも溝で居住域と葉回帰が区画されており、
東のムラの墓域では木棺墓や土坑墓が焼く290平方?内に107基発見された。
また、倉庫域内にも小さな木棺墓があり、子供の墓を家の近くに作ったもの
と考えられている。 
高床倉庫は東西どちらのムラでも標高が最も高い位置にあり、
意識的に高い場所を選択していたと考えられる


 
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1308shinhakkenten01.htm  2013.8.5.  by Mutsu Nakanishi