神戸六甲の山裾の縄文遺跡 篠原遺跡から出土した東日本系の縄文土器片と遮光器土偶
西神戸 神戸市埋蔵文化財センター企画展、「神戸古代史探検−縄文から古墳時代へ-」で 2011.5.3.
5月3日 ぶらっと次の歴史講演会の予定をチェックしようと西神戸ニュータウンにある神戸埋蔵文化財センターを覗くと、「神戸古代史探検−縄文から古墳時代へ-」を開催中でした。思いもかけず、縄文晩期[3000年前]の篠原遺跡から遮光器土偶(部分)がほかの東北系縄文土器片と共に展示してあるのを見ました。
東北津軽の亀ヶ岡文化を代表する遮光器土偶がなんで 神戸で…。
それも 神戸六甲のすぐ下の市街地で????。
余り良く知らなかった神戸の縄文時代。急峻な六甲から流れ出る川が作る山裾の扇状地周辺の森に縄文早期から、数多くの縄文人が暮らしていた。現在はいずれも神戸の中心市街地ですが、山裾に長田・生田・そして 篠原・岡本へと数多くの縄文遺跡が点在する。また、神戸三宮駅のすぐ東 雲井遺跡からは縄文早期の土器片が出ている。
今回展示されていた遮光器土偶や縄文土器片・石棒等が出土したのは縄文晩期の「篠原遺跡」
六甲・摩耶山を見上げる阪急六甲駅のすぐ西側六甲川と杣谷川が合流てし都賀川となる合流点付近。縄文の交易というと翡翠・黒曜石・サヌカイトなどの流通にかかわる日本海・瀬戸内の交流路のイメージが強いのですが、津軽の遮光器土偶が神戸で出土していてるとは・・・・・。
学芸員の人に聞くとこの遮光器土偶は出土の状況から、間違いなく東日本で作られた土偶で、神戸での出土は遮光器土偶の最西端だと聞きました。また、なぜ 神戸で出土したのか どんな交流があったのかはよく判らないという。
夢にも思えない東北を代表する遮光器土偶の神戸での出土。それも 本当に身近な神戸の市街地の遺跡で・・・・・。
もう びっくり。今さらですが、本当に縄文時代 日本列島全域をつなぐ広い交流があったのだと思いました。
縄文というと「火焔土器と縄文のビーナスの中部山岳地域から新潟」「三内丸山遺跡の大集落とストーンサークルに土偶・漆の東北」がイメージされ、関西には有名な遺跡がなく、あまりなじみがない。
でも 日本全土につながる広い交流の足跡を示す面白い縄文が神戸にもあると。
まだまた よく知られていない縄文が関西にはあるのだと。
そういえば、土偶というと東日本出土のイメージが強いが、日本最古の土偶は鈴鹿山脈をはさんだ滋賀と三重で出土している。
また、前回紹介した古代伝承の地「神出」の雌岡山と雄岡山に挟まれた金棒池周辺も縄文人の地である。
でも 神戸の縄文遺跡と言っても とっさには思い浮かばず。
そもそも 縄文人が神戸周辺に住んでいたのかどうかも 私にはあやふや。
そんな眼で神戸市埋蔵文化財センター企画展「神戸古代史探検−縄文から古墳時代へ-」を見ると
神戸市内 六甲連山の山裾周辺には 縄文時代の初めから縄文人が住み着き 実に数多くの縄文遺跡がある。
この篠原遺跡のある六甲下の篠原都賀川流域 生田神社の森 長田神社の森 等々
びっくりでした。