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         縄文後期・晩期には  関西にも日本列島をつなぐ広い縄文交流路がつながっていた
テキスト ボックス: 6. 神戸でも北の縄文と交流 遮光器土偶[部分]が出土した神戸篠原遺跡
                2011.5.13. 1106sinhra00.htm by Mutsu Nakanishi
 
1. 神戸でも北の縄文と交流 遮光器土偶[部分]が出土した神戸篠原遺跡  
2. 篠原縄文遺跡概要 と 神戸市の主要縄文遺跡分布図
3. [写真アルバム] 遮光器土偶が出土した神戸篠原遺跡周辺 Walk
参考 神戸の遺跡から見た縄文
平成23年5月21日 西岡誠司氏「縄文時代の神戸」講演 要旨・図面抜粋
  神戸市埋蔵文化財センター歴史講演会「神戸の歴史探検」
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縄文後期・晩期には関西にも日本列島をつなぐ広い縄文交流路がつながっていた

東北亀ヶ岡遺跡の代表的な土偶「遮光器土偶」が出土した篠原縄文遺跡(縄文晩期)
篠原遺跡から出土した
遮光器土偶(部分)
青森亀ヶ岡の遮光器土偶
篠原遺跡出土 
縄文晩期の石棒
神戸六甲の山裾の縄文遺跡 篠原遺跡から出土した東日本系の縄文土器片と遮光器土偶
        西神戸 神戸市埋蔵文化財センター企画展、「神戸古代史探検−縄文から古墳時代へ-」で 2011.5.3.

5月3日 ぶらっと次の歴史講演会の予定をチェックしようと西神戸ニュータウンにある神戸埋蔵文化財センターを覗くと、「神戸古代史探検−縄文から古墳時代へ-」を開催中でした。思いもかけず、縄文晩期[3000年前]の篠原遺跡から遮光器土偶(部分)がほかの東北系縄文土器片と共に展示してあるのを見ました。
 

東北津軽の亀ヶ岡文化を代表する遮光器土偶がなんで 神戸で…。 
それも 神戸六甲のすぐ下の市街地で????。
余り良く知らなかった神戸の縄文時代。急峻な六甲から流れ出る川が作る山裾の扇状地周辺の森に縄文早期から、数多くの縄文人が暮らしていた。現在はいずれも神戸の中心市街地ですが、山裾に長田・生田・そして 篠原・岡本へと数多くの縄文遺跡が点在する。また、神戸三宮駅のすぐ東 雲井遺跡からは縄文早期の土器片が出ている。
 
今回展示されていた遮光器土偶や縄文土器片・石棒等が出土したのは縄文晩期の「篠原遺跡」
六甲・摩耶山を見上げる阪急六甲駅のすぐ西側六甲川と杣谷川が合流てし都賀川となる合流点付近。縄文の交易というと翡翠・黒曜石・サヌカイトなどの流通にかかわる日本海・瀬戸内の交流路のイメージが強いのですが、津軽の遮光器土偶が神戸で出土していてるとは・・・・・。
学芸員の人に聞くとこの遮光器土偶は出土の状況から、間違いなく東日本で作られた土偶で、神戸での出土は遮光器土偶の最西端だと聞きました。また、なぜ 神戸で出土したのか どんな交流があったのかはよく判らないという。 
夢にも思えない東北を代表する遮光器土偶の神戸での出土。それも 本当に身近な神戸の市街地の遺跡で・・・・・。
もう びっくり。今さらですが、本当に縄文時代 日本列島全域をつなぐ広い交流があったのだと思いました。

縄文というと「火焔土器と縄文のビーナスの中部山岳地域から新潟」「三内丸山遺跡の大集落とストーンサークルに土偶・漆の東北」がイメージされ、関西には有名な遺跡がなく、あまりなじみがない。
でも 日本全土につながる広い交流の足跡を示す面白い縄文が神戸にもあると。
まだまた よく知られていない縄文が関西にはあるのだと。
そういえば、土偶というと東日本出土のイメージが強いが、日本最古の土偶は鈴鹿山脈をはさんだ滋賀と三重で出土している。
また、前回紹介した古代伝承の地「神出」の雌岡山と雄岡山に挟まれた金棒池周辺も縄文人の地である。
でも 神戸の縄文遺跡と言っても とっさには思い浮かばず。 
そもそも 縄文人が神戸周辺に住んでいたのかどうかも 私にはあやふや。
そんな眼で神戸市埋蔵文化財センター企画展「神戸古代史探検−縄文から古墳時代へ-」を見ると
神戸市内 六甲連山の山裾周辺には 縄文時代の初めから縄文人が住み着き 実に数多くの縄文遺跡がある。
この篠原遺跡のある六甲下の篠原都賀川流域 生田神社の森 長田神社の森 等々
びっくりでした。

 
神戸市内から出土した縄文時代の遺物
西神戸 神戸市埋蔵文化財センター企画展、
「神戸古代史探検−縄文から古墳時代へ-」で 2011.5.3.

縄文後期 生田遺跡出土土偶部分
 
     (上の写真とおなじものの写真です)  

5月21日この神戸市埋蔵文化センターで今回の展示にあわせ、「縄文時代の神戸」の講演会があるのを申し込んでいたので、これも楽しみ。また、この遮光器土偶を出土した篠原遺跡は三宮から新神戸を通って阪急六甲へのバス道の途中。
良く知った場所ですが、記憶では 北に摩耶・六甲を見上げ、南に下ってゆくスロープ上に広がる市街住宅地の向こうに神戸港・大阪湾を見渡せるロケーション。完全に神戸の市街住宅地地の中に埋没してしまっているなあ・・・・と。
地図でみると六甲ケーブルの下で六甲の山が少し奥へ引っ込んで傾斜地が少し広がったところ。
それぞれの谷筋を流れ下ってきた六甲川と杣谷川が谷筋を出て合流して都賀川となり、扇状地・氾濫原を形成していた場所に見える。やっぱり 景色のいい場所である。
実際にどんなところなのか しっかり見てこよう 
長いこと六甲ケーブル下から六甲山へ登る油コブシのハイキング道も長いこと歩いていないので、合わせて歩こうとと5月20日の午後出かけました。
また【篠原縄文遺跡 概要】と5月21日神戸市埋蔵文化センター講演会「縄文時代の神戸」資料より、神戸市内の縄文遺跡の分布図とリストを掲載しました。
 

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神戸でも北の縄文と交流 遮光器土偶[部分]が出土した神戸篠原遺跡
1. 神戸でも北の縄文と交流 遮光器土偶[部分]が出土した神戸篠原遺跡  
2. 篠原縄文遺跡概要 と 神戸市の主要縄文遺跡分布図
3. [写真アルバム] 遮光器土偶が出土した神戸篠原遺跡周辺 Walk
参考 神戸の遺跡から見た縄文
平成23年5月21日 西岡誠司氏「縄文時代の神戸」講演 要旨・図面抜粋
  神戸市埋蔵文化財センター歴史講演会「神戸の歴史探検」
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1106shinhra00.htm     2011.6.5.  by Mutsu Nakanishi