午前10時半 テント前の広場で 現地説明会がはじまった 広場は参加者で一杯
午前10時半 テント前の広場で 現地説明会が始まる頃には広場は参加者で一杯。天候も回復して青空。
この日 朝と午後の2回現地説明会がありましたが、900人以上の参加と新聞が伝えていました。
現地説明会は現地説明会資料に基づいて、発掘の経緯 出土した鍛冶工房跡の見学の見所などが紹介され、
後は各自順路に従って見学することで散会。
散会後 個々に概要説明された淡路市教育委員会の斉藤氏の周りで質問。
【 弥生時代後期の最大級の鍛冶工房村「垣内遺跡」 概 要 】
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1.
鍛冶工房村の特徴
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1. |
弥生時代後期 1世紀〜3世紀 約170年間続いた国内最大級の鍛冶工房跡(出土した土器より確定)
鍛冶炉のある竪穴建物(鍛冶工房跡)1
0棟 鍛冶炉のない竪穴建物 7棟 計17棟の竪穴建物が出土。
出土建物のうち 鍛冶工房跡の割合が高くまた狭い場所に鍛冶工房が密集して存在することや尾根筋近傍には集落が営まれていないことなどから大鍛冶工房村と考えられる。
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2 |
出土遺物は鉄素材と考えられる大型鉄製品1 鏃・鉄片など鉄製品 約45
石槌・砥石・金床石などの鍛冶工具や土器・ミニチュア土器が多数出土している。 |
3 |
垣内遺跡の位置は はるかに播磨灘・男鹿島を正面に見下ろす海岸部から約3km奥に入った平地の端。
標高約200m舌状台地状に伸びる小さな尾根筋の上に時代と共に下から上へ広がった鍛冶工房集落。
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4 |
この垣内遺跡の存在する淡路島北部は山を挟んで反対東海側に西日本最大の縄文集落佃遺跡がありますが、この垣内遺跡が出土する弥生時代の後期まで、あまり集落のないところ。
しかし、この垣内遺跡が出現する弥生後期以降 急激に遺跡数が増加する。
このことから 「鉄」がこの淡路島北部の展開に大きなインパクトをもたらしたかも知れぬ。
(
朝鮮半島・北九州から瀬戸内そして大和へと続く「鉄の道」の重要中継点????
当時 日本では製鉄技術はなく、朝鮮半島から鉄素材を輸入していた時代。
日本各地に興った国々では、 この鉄素材供給ルート確保がもっとも重要な事項であり、
邪馬台国そして初期大和王権誕生の古墳時代へと時代が流れてゆく。 )
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2.鍛冶炉・鍛冶工房の特徴 |
1. |
風が吹き抜け、周囲と隔絶された 尾根筋の上に 直径10m近い円形の大型竪穴建物が密集して存在 |
2. |
竪穴建物の鍛冶工房内部には複数の鍛冶炉跡と見られる被熱場所がみられ、
鍛冶炉跡がないことから床面を炉床としたあまり高温が維持できぬタイプの鍛冶炉が複数存在した。
また、当然ながら 羽口は出土していない |
3. |
鉄素材は厚さのある大型鉄製品が出土。 鍛冶工具は 石鎚・金床石・砥石などが出土
鍛冶ででた小さな鉄片などの鉄遺物が多数出土しているが、現在サビをかぶったままで製品・半製品・鉄片の区別がついていないので 鍛冶加工の詳細はまだよくわかっていない。
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