帚木蓬生著「国銅」に物づくりの思いを見る
奈良の大仏を作った長登の銅の周辺で
0809kobe00.htm by Mutsu Nakanishi
8月の更新で 奈良大仏の銅を産出した山口県美祢市美東の「長登銅山」をご紹介しましたが、
先輩・友人諸氏より
「帚木蓬生氏著の『国銅』に奈良の大仏建立と長登銅山の銅生産の様子が丁寧に描かれている。」
とのメールをいただきました。
長登周辺の秋吉カルスト台地の自然とともに 「丁子」として働いた「国人」という人物を通して、
長登銅山の鉱石採取から銅製錬の様子 そして 奈良の大仏建立の様子が克明にえがかれています。
面白くて 一気に読みました。
長登銅山竪坑での鉱石採取 たたら踏みと炉吹き製錬製錬家庭での亜硫酸ガスとの戦いの厳しさ
そして鋳かけによる克明な巨大第仏の建立等々
少しは知っていましたが、プそれらにたずさわる仲間・組織と操業プロセスがその作業歌とともに克明に描かれていて、古代のたたら衆の山の作業の様子がありあり。
銅製錬の工程を書き出すと本当に数行の無味乾燥なものになってしまいますが、
実際の作業となると それこそ数々の知恵が詰まっている。
硫化物鉱石の亜硫酸ガス抜きの工程は知っていましたが、1ヶ月以上もかけて、鉱石を焼き続けて 「焼ハク(金篇に白)」を取るなど、実際の作業は知りませんでした。
銅の製錬では 銅鉱石を溶融させた時に出るスラグをカラミ 溶銅成分をカワ(金篇に皮と書く)というのですが、なぜ溶銅成分が「皮」か 不思議でした。
ふいごを吹き、風と火が廻ると鎔けて湯になり、銅分は沈み、その他の滓が浮くのでこれを流し出して棄てる。
銅分がたまるとこ
れを冷やすと平べったい瘡蓋状の硫化銅の塊が出来る。
それで 「カワ」(金篇に皮)といい、また、溶出させたスラグをカラミという。
やっとわかりました。
また、なぜ 亜硫酸ガスをかぶる危険を冒してまでも 火の中を見続けるのか 単に温度コントロールだけかと思っていましたが、
そうではなく鉄抜き、不純物抜きを見続けていることを知りました。
硫化鉱の中から亜硫酸ガスが抜けてくると同時に溶銅の中から酸化鉄スラグとなって表面に沸き出てくるを見つづけている。核心の大事な技術です。
鉄スラグが出てくる工程が収まり、終わると、溶けた硫酸銅の温度をゆっくり下げながら 表面に空気を吹きかけて硫黄分をさらにガスにして取り除く。 そして、慎重に水を吹きかけ、表面を凝固させて脱硫された薄皮の銅成分(荒銅)のみを取り出す。
( イメージ的には金属版の生湯葉製造のイメージ
もっとも表面は酸化するので 生湯葉のようにやわらかく曲がることはありませんが・・・・)
うっかり 「どどっ」と水が入れば、それこそ大爆発。 丹念に溶銅の表面に水を拭きかけるなど、危なくて とても考えられぬ技。
そんな技で品質の良い荒銅を作り出す。本当に物づくりのすごい技。
どれもこれも「国銅」に描かれた「吹屋」での命がけの作業です。
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鉱石を焼いて硫黄を飛ばす
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焼いた鉱石を火床で溶融し、
鉄分と硫黄を飛ばして
硫化銅画趣のカワにする
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カワを再度溶融
硫黄を飛ばして
荒銅を作る
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別子銅山「鼓銅図録」より
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坑口の中を走る銅鉱脈
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主要硫化銅系鉱石 黄銅鉱
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銅滓 カラミ
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荒銅
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また、奈良の大仏の建立の技術にも 私には思い入れがあります。
私が溶接のエンジニアとして 仕事を始めた当初
諸先生諸先輩から 「溶接は奈良の大仏に始まり 宇宙まで延々と続く物づくりの基盤技術」
物づくりの知恵の結晶 常に先人たちの知恵を受け継ぎ、先端を行くと教えられました。
「奈良の大仏はどてつもない鋳掛けの鋳造技術」と知ってはいたものの あの巨大な大仏の鋳掛け作業
「どないするのだろうか・・・・ いつか きっちり調べてやろう」と。
この鋳掛の作業も実に丹念にその工程が書き込まれていました。
大仏製作の同じ段の銅の同時鋳込み。100を越えるこしき炉で溶解された銅が合図ひとつで 一斉に鋳込みを始める図など思いもらずでした。大仏の建立もまた鋳型製作作り等も含め、巨大ブロジェクトを内から支えた知られざる物づくりの技。
長登・秋吉から三隅へ 古代の大鉱物資源帯であるカルスト台地の山々。
そして 奈良の大仏を作り上げて 山口長登へ帰る道筋
琵琶湖 若狭から 竹野 出雲 浜田 益田 そして 野並瀬・三隅 古代日本海側に続く「和鉄の道」
本当に丹念に準備された筆。
長登での銅製錬 そして 奈良での 大仏鋳造を通じて、物づくりの苦労とそして 物づくりから得られる喜びが苦労が生き生きと描かれています。
古代の物づくりというと浮浪・俘囚などを使った「苦役」のイメージがついて回るのですが、「物づくり」の真髄というか 面白さが描かれ、物づくりを通じて得られる真の技術とは何か?物づくり技術として伝えたいことががふつふつと浮かんできます。
帚木蓬生氏が『国銅』の著で描きたかったのは何だったのか?
別子銅山の作業を描いた「鼓銅図録」の工程絵図を重ねながら「吹屋」での物づくりの作業描写に夢中でした。
鉄と同じくフイゴを踏む「たたら」衆
この銅製錬の吹屋で歌われる作業歌も印象的ですね。
機械に名前をつけ、歌を歌って調子をとる。
そんな時代はるか彼方に消えてしまいました。
「機械が物を作る」
「機械とマニュアルがあれば 効率よく物が作れる」
そんな 現在の管理社会。
うつろに響く「物づくり」技術の大事さをお題目のようにとなえても・・・・
物づくり技術で何を伝えないといけないのか・・・・・
マニュアルでは判らん作業の中に生きる知恵
物づくりは この知恵なしに 出来ないだろう。
材料屋としての思いいれもあって、ちょっと異質な見方かもしれませんが、
全編にわたり そんなイメージで 一気に読みました。
教えていただいて 本当にありがとうございました。
2008.8.20. by Mutsu Nakanishi |
東播磨
妙見山 石垣山遺跡 2008.8.21.
加古川の中流 多可町
日本古来の吹屋の遺構賀出土
当時の吹屋の諸施設配置
操業の様子を明らかにした
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