雲南市吉田 中世の製鉄炉が4基出土し
た「大志戸U製鉄遺跡」現地説明会に参加
4.
まとめ 数々の知見が得られた松江道延伸工事現場から出土した製鉄遺跡
この「大志戸U製鉄遺跡」では同じ狭い谷筋に時代はす
こしづつずれていますが、8基もの中世炉が密集して存在することや
周囲に数々の製鉄遺跡が広い時代にわたって分布していることを考えるとこの地域が古く
から、
中国山地のたたら製鉄地帯の中心地のひとつであったことは間違いない。
古代に始まったたたら製鉄ではその炉の大きさなどは
ほぼその古代でほぼ決まってしまいますが、江戸時代 鉄山として企業
経営されるまで、発展を続けますが、中世を経て江戸期の「鉄山」に脱皮するのに大きな役割を果たしたのが中国山地のたたら
といわれる。あまり良く知らなかった中世のたたら。
大和王権がたたら製鉄の安定量産炉と
して開発した鉄アレイ型の製鉄炉。
これが基本となって、たたら製鉄が日本各地で行われるようになって、
中世には製鉄炉ばかりでなく、原料・精錬・鍛冶に至
るたたら製鉄全体の
設備・システムがさらに磨かれてゆく。
芸北のたたらや西播磨安積山製鉄遺跡
そして今回の奥出雲大志戸U製鉄遺跡 これらは かつて出かけたことのある平安末期から中世の製鉄遺跡であるが、
これら中国山地でのたたら製鉄を経て、
近世 野だたらから高殿の鉄山経営 永代たたらへと脱皮してゆく。
そんなプロセスの始まりが、この奥出
雲中国横断道路の建設で出土した製鉄
遺跡群にもあったのか・・・・。
そして、周囲の数々の技術を組み入れ
つつ成長し、この地帯での鉄山経営を
中心に大富豪になった「田部」家や江戸期隆盛を極めた田部家「菅谷たたら」
へとつながっていったと考えてよいだろう。
もう少し古い古代の製鉄と出雲との関係について期待していましたが、
今回は残念ながら良くわからず
でした。
でも 今後 この奥出雲や奥石見から、日本で製鉄が始まる初期の頃の遺跡が
派遣されることを期待しています。
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「 ベールを脱いだ古い製鉄遺跡が
そっくりそのまま見られる
それもたたら製鉄の先進地で 今でないともう見られなくなる 」
興味津々 いろいろなことを思い浮かべて この奥出雲に出かけてきましたが、
いろんな知見を得て本当に満足な一日でした。
この奥出雲 掛合は実家が酒造業を営む竹下元首相のおひざもと 道の駅に立ち寄るといろんな酒が並んでいました。
でも 買うとなると やっぱり奥出雲は「たたら」でしょう
掛合ではなく 同じ出雲 安来の焼酎「たたら」についつい目が行って、
それを買って後は高速道路をひた走り
次はさらに古代製鉄の謎を解き明かす製鉄遺跡の出土を期待。
そんなことを期待しながら 奥出雲を後に
2007.10.13. 夕 松江自動車道を走りながら
ひさしぶりに出かけた 雲南市吉田町 菅谷たたら
2007.10.13.
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