是川遺跡・風張遺跡のある「是川 縄文の里」は、地図によると八戸市の市街中心部から南へ約4キロ離れた所
市街地を取り囲む丘陵地の一角にある。
岩手県北部北上山地から北流して八戸市で太平洋に注ぐ新田川が八戸の平地に出る手前のところで
新井田川が丘陵と丘陵の間中を縫って流れ、その両側になだらかな傾斜の段丘が広がり、
この左岸の傾斜地一帯に是川遺跡、右岸の高台に風張遺跡がある。
是川遺跡はこの新井田川左岸の傾斜地にそれぞれ隣接して遺構が存在する3つの縄文遺跡の総称
● 中居遺跡=約45,000u、 縄文時代晩期 卓越した縄文漆の木工品・土器が多数出土
● 一王寺遺跡=約18,9000u 縄文時代前期−中期の円筒土器がはじめてみつかた遺跡
● 堀田遺跡=約1,1000u 縄文時代中期の遺跡
特に川に接する一番低い段丘に卓越した赤漆塗りの漆工芸技術を示す植物性遺物(弓、櫛、腕輪、藍胎漆器などの木工品類ほか)や土器など是川遺跡の中心遺跡中居遺跡から出土し4000点をこえる出土遺物は工芸的にも優れ、「縄文の漆」を代表する遺跡として全国的に注目される。
この是川中居遺跡の横に是川縄文学習館と歴史資料館があり、是川遺跡の出土品が展示されていると言う。
また、新井田川をはさんで対岸,是川遺跡から500mのところに縄文後期の集落遺跡で合掌する土偶が出土したことで有名になった風張遺跡がある。
合掌土偶と共に私の興味は墓域がある広場の周囲を環状に竪穴住居が取り囲む縄文環状集落の大遺構。
日本人の心のルーツ 縄文人の心を映すサークルがどんなところに配置されているのかを見るのが一番の楽しみ。