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琵琶湖交通・北陸や美濃・尾張・伊勢など東日本と畿内をつなぐ交通の重要な結接点
近江の彦根から 纏向遺跡に匹敵する大型建造物のある鉄器物流を担う拠点都市集落が出土弥生末から古墳時代前期(3世紀〜4世紀) 「鉄」で栄えた近江の中心都市集落 稲部遺跡
3. 稲部遺跡 第6次・第7次 発掘調査現地説明会 参加記録 2016.10.22.
1612inabe02.htm 2016.12.5.
by Mutsu nakanishi
3.1. 第6次調査域 稲部遺跡の中心部【1】 祭祀の区画ほか
大型建物3棟を含む掘っ立て柱建物6棟以上 竪穴建物20棟以上 排水溝4条 大溝1条などを検出。倉庫・儀礼施設とみられる大型建物3棟23.80u以上 30.70u以上 推定50.60uの独立棟持柱建物が、弥生時代週末から古墳時代前期(3世紀中葉から後葉)にかけて連続して同じ場所に立てられる集落の中心的な儀礼空間。儀礼施設や居館の可能性のある方形区画とほぼ同じ時期。3.2. 第7次調査域 稲部遺跡の中心部【2】 方形区画と大型建物と鍛冶工房群
.
鍛冶工房の可能性が高い竪穴建物23棟以上を含む竪穴建物30棟以上・排水溝2条・方形区画の一部である溝、
塀の可能性がある柵列を検出。
弥生時代終末から古墳時代初頭(3世紀中葉には、倉庫・儀礼施設や居館の可能性がある方形区画とその内側
の大型建物1(独立棟持柱建物43u)が出現し、方形区画の南側では大規模な鍛冶工房群で鉄器鉄製吹や農工
具)の生産が行われる。その後、古墳時代前期前半から後半(3世紀中葉から4世紀)にかけて、方形区画を切ってさらに新しい大型建
物2(63u)・超大型建物1(188u)・超大型建物2(145u)が柵(塀の可能性もある)をともなって出現。特に超大型建物1は纏向遺跡第166次調査の超大型建物(238.08u)に次ぐ日本列島屈指の規模。大型建物2・超大型建物1は居館域の一部を構成する建物であり、超大型建物2は王権の関与する巨大な倉庫
である可能性が考えられる。
稲部遺跡
第7調査域鍛冶工房が密集して存在した弥生時代終末から古墳時代初頭3世紀中葉と 大型建物・超大型建物があった古墳時代前期前半から後半3世紀中葉から4世紀時代二つの時代が重なるので、現説資料より整理して 空からの写真にプロットして見やすしてみました。 少し見やすしました。
弥生時代終末から古墳時代初頭3世紀中葉には、方形区画の内側に独立棟持柱建物43uである大型建物1が出現し、 方形区画を取り囲む南側ではでは、大規模な鍛冶工房群密集して存在し、で鉄器(鉄製吹や農工具)の生産が行われ
ていた。都市集落の中核部に多数の鍛冶工房。当時大陸・朝鮮半島から手に入れた鉄素材をここで鉄器加工して、日本各地に供給したと推定される。 まさに国造りの権威の象徴が「鉄」と言われた時代を象徴する光景だと思える。でも 全くこの鍛冶工房群からは鍛冶炉が出土しておらず、どんな鉄器加工・鉄器生産が行われていたか?
今、それらを論ずることはできない。これからの重要な課題であろう。そして、古墳時代前期前半から後半3世紀中葉から4世紀)にかけて、ヤマト王権が日本各地の国を取り込み国家形成を図る時代になると この稲部では、集落の中心部にあった鍛冶工房群に替わって超大型建物が建つ時代になり、稲部遺跡はますます栄えてゆく。
方形区画を切って、 さらに新しい大型建物2(63u)・超大型建物1(188u)・超大型建物2(145u)が柵(塀の可能性もある)をともなって ずつと維持されながら出現してゆく。特に超大型建物1は纏向遺跡第166次調査の超大型建物(238.08u)に次ぐ日本列島屈指の規模であり、稲部遺跡の首長はヤマト王権下でさらに勢力を伸ばし、当時日本の物流の結節点 近江にあって、当初の鉄器供給基地から「鉄」のみならず、物流拠点として ヤマト王権とともに歩んだのであろう。この稲部の北にある荒神山山頂部には4世紀末の巨大な初期前方後円墳があり、この稲部の首長の墓ではないかと考えられている
稲部遺跡の中心部に建つ超大型建物のイメージ図いままで、 この地の重要性 そしてここを拠点とする勢力が取り出されたことはないが、
稲部遺跡の出現によって、大きくこの地がクローズアップされることとなった。 3.3. 発掘調査域から出土した遺物 日本各地の土器片&鍛冶関連遺物
1. 土器と土器片
大和・伯耆・越前・湖南地域・美濃・尾張・伊勢・東遠江から駿河の土器土器片が出土していることから、
交流の要、物流の中心地であったことが、裏付けられる。
朝鮮半島の渡来人との関係を示す乾式時も出土している。これらの各地の土器片の出土と近江・伊部遺跡の地理的な位置づけを考えると、2.鍛冶遺物
「 北陸や美濃・尾張などの東日本方面と畿内の大きな地域をつなぐ、
地理的に重要な位置にある3世紀の近畿北部の中心的な集落 」
としての姿がここからも見えてくる。
鍛冶関係の遺物についは 現地説明会の資料には全く触れられ
ていないが、現場には箱に詰めて整理された鉄滓や鉄片・鍛冶具
などが展示されていました。
詳細はよく判りませんが、 新聞では次のように報道されている。鉄器工房は30棟以上ある竪穴建物群で、各棟は一辺3.5〜5.3メ
ートルの方形。うち23棟の床面から鉄片や鉄塊が見つかった。一部に土なども含んだ状態だが、全体の重さは計約6キロに上る。
同時に鍛冶や鉄を加工する際に使った台石や、鉄製矢尻2個など
も見つかった。 また、稲部西遺跡で青銅製の鏃や稲部遺跡の二次調査で棒状の青銅や青銅製品を鋳込む鋳型の外枠が見つかっており、青銅器の生産にもかかわっていたとみられるが、詳細は不明である。
3.4. 今回の6次・7次 調査まとめ <現説資料まとめの整理転記>「北陸や美濃・尾張などの東日本方面と畿内の大きな地域をつなぐ、地理的に重要な位置にある3世紀の近畿北部の中心的な集落」で、鉄器流通を中心に 祭祀都市・政治都市としての面を強く持ち、工業都市としての面も併せ持つ近江の巨大勢力・クニの中枢部であり、3世紀の国内の国内屈指の遺跡。3世紀前半を中心とするヤマト政権が成立しつつある時代の重要な時期の大集落で、日本列島における倭国の成り立ちを考える上で 今までにないきわめて重要な遺跡である。また、稲辺遺跡では その後のヤマト政権成立後も、大きな勢力を保持して、大型建物・超大型建物や独立棟持柱建物(首長層が居したり、儀礼に使用したと考えられる建物)と区画が時代を経るごとに出現し、王権との関わりによって、政治色を強めていく過程を示している。
これらから、日本列島における国の成り立ちを考える上で 今までにないきわめて重要な遺跡である。1. 稲辺遺跡は直径数百m面積約200000uの弥生時代中葉(2世紀)から古墳時代中期(5世紀)にかけて
継続する巨大集落。
大和・伯耆・越前・湖南地域・美濃・尾張・伊勢・東遠江から駿河の土器土器片が出土していることから、
交流の要、物流の中心地であったことが、裏付けられる。
朝鮮半島の渡来人との関係を示す乾式時も出土している。これらの各地の土器片の出土と近江・伊部遺跡の地理的な位置づけを考えると、
「北陸や美濃・尾張などの東日本方面と畿内の大きな地域をつなぐ、地理的に重要な位置にある
3世紀の近畿北部の中心的な集落」としての姿が ここからも見えてくる。2. 青銅器の鋳造・朝鮮半島から運ばれた鉄素材をもとに鉄器の大規模な生産を行っており、大型建物・
超大型建 物や独立棟持柱建物という首長層が居住したり、儀礼に使用したと考えられる建物
と区画が時代を経るごとに出現し、王権との関りによって政治色を強めていく過程を示している。
???まだ推論が多い3. 祭祀都市・政治都市としての面を強く持ち、工業都市としての面も併せ持つ近江巨大勢力・クニの
中枢部であり、3世紀の国内の国内屈指の遺跡。
3世紀前半を中心とするヤマト政権が成立しつつある時代の重要な時期の大集落で、日本列島に
おける倭国の成り立ちを考える上で 今までにないきわめて重要な遺跡である。また、3世紀にとどまらず、、4世紀〜5世紀には 巨大倉庫の出現によって物流拠点として発展・継続し、
韓式土器が出土するなどから、半島交流を通じ、先端技術を渡来人から導入していた可能性がある。4. ヤマト政権を前提として 荒神山古墳の築造に関わる巨大勢力の本拠である可能性を含め、
荒神山古墳との深いつながりを持つ遺跡である。5. 「邪馬台国のほか 魏と外交関係のあるが30ヶ国ある」とて魏志倭人伝に書かれており、
稲部遺跡もその一つの可能性がある。まだ 稲部遺跡の発掘調査は全体の2割程度。まだまだ明らかにせねばならぬ点も多く、
今回のまとめもまとめも、希望的推論に元ずくところが多々見られ、
今後の展開が待たれる。
◆ 参 考 参考1 荒神山と荒神山古墳と稲部遺跡
稲部遺跡のすぐ北の琵琶湖湖岸の荒神山山頂近くの尾根に
この地域の首長の墓と思われる4世紀末の前方後円墳がある。参考2. 稲部遺跡に先立つ大型建物や巨大祭祀空間のある
巨大集落遺跡「伊勢遺跡」
稲部遺跡に先立って、弥生時代の後期(1世紀〜2世紀) 近江に
纏向に匹敵する大型建物や巨大祭祀空間を有する巨大集落遺
跡「伊勢遺跡」が琵琶湖交通や畿内交通の要衝 守山市の琵琶
湖岸近くに成立していた。参考3. 淡路島五斗長垣内遺跡にみる弥生時代の鉄器生産
淡路市教育委員会 伊藤宏幸氏講演 より
参考1 荒神山と荒神山古墳と稲部遺跡
.参考2. 稲部遺跡に先立つ大型建物や巨大祭祀空間のある
巨大集落遺跡「伊勢遺跡」参考3. 淡路島五斗長垣内遺跡にみる弥生時代の鉄器生産 淡路市教育委員会 伊藤宏幸氏講演 より
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