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アフリカで初めて製鉄技術を手に入れ、繁栄した黒人王国 古代スーダンのメロエ=クシュ王国(BC6世紀〜AD4世紀) エメロの王都やピラミッド群の周辺には大量の鉄滓の山がいたるところにあり、鉄に換算すると5000トンを超えるといわれ、エメロ王国では年間5トンを超える製鉄が行われていたという。
---- インターネット 「ウィキペディア」等より整理
1年半ほど前「何もないスーダンの砂漠の中に ゴロゴロあるんです。 鉄滓と思うのですが・・・・・」とアフリカ スーダンの考古学研究をしておられるSさんから、拳大の真っ黒なスラグ状塊を見せてもらった。ほぼガラス状で
かなり高温で形成された塊。
「砂漠の中とは不思議 本当に周囲に遺構がないのか・・・
ひょっとして溶岩塊が持ち運ばれたのかなぁ?????」などと勝手な話をしたことがありました。
昨年12月に そのSさんから簡単な講演まとめ資料を送っていただき、むその後の調査で あの黒い塊が鉄スラグであること再度 スーダンの現地調査をおこなったことやこの場所が「鉄の都」と呼ばれるスーダンのメロエ遺跡で、この遺跡内のハルツーム大学の調査で大量の鉄滓の山と共に複数の製鉄炉遺構が出土していることや 今 これらの調査結果を論文にまとめ中であることが記されていた。
先頭に戻る インターネットで「鉄の都メロエ遺跡」の検索 ●ネットサーフィンした主要サイト ●ネットサーフィンで採取した 古代スーダンの鉄の都メロエ遺跡 スーダンのエメロ遺跡は製鉄を始めたヒッタイト・その後の鉄の王国アッシリアの勢力圏に近いナイル川流域にあることと「鉄の都」という言葉に惹きつけられて、インターネットの検索に「エメロ遺跡」を入れると、なんとこの「エメロ遺跡」は「スーダンメロエ島考古遺跡」の中心遺跡として昨年(2011.6.26.)世界遺産に登録されていました。
登録理由はこの地を中心に形成された巨大なクシュ王国は、地中海からアフリカ中心部まで広がっており、 それぞれの地域の芸術、建築、宗教、言語などの交流を証明する遺産。 独特の鋭い形をしたピラミッド群や王都遺構の写真とともに 紀元前6世紀から紀元後4世紀にかけて現在のスーダンの首都・ハルツームの北東 ナイル川中流域東岸の肥沃な地に、一時はエジプトをも支配し、アッシリアとの戦の中で手に入れた製鉄技術とナイル川を使った公易で繁栄した大黒人王国があったことがわかりました。 ヒッタイトがはじめた製鉄技術は鉄鉱石を完全には溶かさずに精錬する塊錬鉄直接製鉄法の製鉄技術。 日本独自の製鉄法と呼ばれるたたら製鉄もこの塊錬鉄直接製鉄法。 でも アジア大陸を横断して中国に入った製鉄技術は早くから高温で鉄鉱石を溶融して精錬する溶融製鉄法(炭素が高い銑鉄となるので再度高温脱炭して鉄を作る間接法)で、たたらのルーツを訪ねるのですが、いまだよくわからない。 (たたら製鉄が日本独自の技術といわれる所以でもある) 一昨年、見せていただいたこのエメロ遺跡出土の真っ黒な塊・鉄滓は「かなり高温」と推定され、このメロエ=クシュ王国の時代(紀元前6世紀から紀元後4世紀) この地の製鉄法もすでに高温溶融の製鉄法になっていたのだろうなどと勝手に推察します。 「鉄の国ヒッタイト・アッシリアに直接対峙するアフリカの鉄の大王国 このメロエ=クシュ王国をたどれば ヒッタイトの塊錬鉄法の根元まで、ルートをたどれるかもしれないし、また まったく知らないアフリカの製鉄が見えてくるかもしれない 」と期待大です。
初めて聞いたアフリカの古代製鉄関連遺跡に興味深々でネットサーフィンしたので、その概要を皆様にもお知らせしました。
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メロエ遺跡 メロエ=クシュ王国の時代(紀元前6世紀から紀元後4世紀)の王都 ロイヤル シティー メロエ遺跡 独特の形をしたピラミッド群 |
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