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10. 青森 初秋の風物詩 岩木高原「嶽キミ」Walkと三内丸山遺跡「縄文のお月見」 【2009和鉄の道】 初秋の青森・秋田風来坊 【1】
2. 三内丸山縄文遺跡「縄文のお月見」 2009.9.5.2. 2009年度発掘調査 西盛土 現地見学会 〔0910sannai02.htm〕
2009年発掘調査地 第33次調査区西盛土現地調査現地説明資料 より
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/excavation/image/20090905_gensetsu.pdfなんとか本年度の発掘調査区の現地見学会に間に合った。調査区は収蔵庫のすぐ南側 樹木が生茂る小高い丘 西の盛土。
三内丸山遺跡のストーンサークル 環状配石墓が出土した墓の道が南北へ続く山裾北側の端の丘の上である。「西盛土の大きさは東西60m、南北100m以上で最も厚い部分は丘陵頂部付近で約1.8m。
盛土が作られ始めたのは縄文時代前期末葉(今から約5,000 年前)頃で最上部の中期末葉今から約4,000 年前)まで
約1,000年間にわたる土の堆積。
今年度の調査では、盛土の外縁部に竪穴住居跡(家)が内部には埋設土器(子どもの墓)が重複して見つかり、
それぞれがつくられた年代と、盛土の 土層に含まれている遺物の内容等から西盛土の成り立ちや広がりについて調査
-現地説明会資料より- 」
と概要の説明を受けて、2ケ所ある西盛土発掘調査地のうち、収蔵庫に近い盛土の南端に位置するCトレンチに上っていった。
三内丸山遺跡では数多くの糸魚川産ヒスイの加工品を見たことがありますが、
砕片が見た記憶なし。
三内丸山遺跡にも原石が持ち込まれ、加工されたのだろうか?一旦盛土を出て収蔵庫の横の道に出て、再度 西盛土のA トレンチヘ登る。
こちらは樹木に包まれた盛土の頂上部に近い上部に近い傾斜地である。
西盛土の頂上部に近いAトレンチ
西盛土 Aトレンチ 上部 無数の土器片・石皿・石棒などが見える埋設土器〔子供の墓〕 土器埋設炉
■ 参考 【現地説明会資料】
第33次調査区西盛土現地調査資料http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/excavation/image/20090905_gensetsu.pdf
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0910sannai02.htm 2009.10.5. by Mutsu Nakanishi