卑弥呼の時代からの大陸への玄関口 若狭・北近江の「若狭街道」
9.
大陸・朝鮮半島の鉄をもとめて続く若狭・北近江の「和鉄の道」を訪ねる
2. 若狭「上中 熊川宿 & 脇袋
」
0810wksa02c.htm
2.2. 5世紀 大和と結ぶこの地を治める王の墓群「脇袋古墳群」
若狭ではじめて築かれたた前方後方墳・前方後円墳群
若狭で最初の前方後方墳・前方後円墳群築かれた若狭の王城の地 脇袋の郷 膳部山遠望
熊川宿をゆっくり歩いて、午後2時過ぎの小浜行のJRバスで小浜線上中駅へ。
バスは日本海沿岸に向かって田園地帯が広がる中をまっすぐ走る。15分ほど北川沿いに下って、
山裾を抜けて日本海側に広がる平地に出たところで、
北川の中流で、右手 東から敦賀から走ってきたJR小浜線や国道を合流する。
この合流点から1km弱 下ったところが上中駅でここでバスを下車したが、
若狭街道・小浜線はそのままさらに北川沿いを日本海への出口小浜へ向かう。
5世紀この若狭北川流域を支配した首長たちが築いた前方後方墳・前方後円墳を築いた往生の地
「脇袋」は先ほどの合流点から反対に敦賀の方へ1kmほどいった北川右岸の山裾である。
熊川宿からまっすぐ北西へ北川沿いを走る
北川の対岸 右手の山々の山裾が脇袋
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上中駅近く敦賀からの道との合流点
右手から敦賀からの道を合流するとJR上中駅
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JR上中駅で脇袋古墳群のある「脇袋」への道を確認して歩き出す。脇袋の郷は駅から約5km敦賀よりの北川対岸の山裾。先ほどバスで通過した敦賀との道との合流点を敦賀の方へ進み、北川を渡って山裾の中へ回り込んだところが脇袋の郷である。国道沿いに脇袋の郷のお寺への石塔が立っているからすぐわかると聞く。
車がひっきりなしに通る国道を避けて、小浜線を渡って反対側にでると「脇袋」のある山の山裾まで黄金色の田圃が延々と続いている。
交通の便がないので、歩くより仕方なし。
西の方向 小浜側に広がる田園地帯 東の方向 三方側に広がる田園地帯 これから向かう山裾が遠くに見える
JR上中駅の北側に出ると流れ下る北側沿いに 西の小浜側から東の三方・敦賀側へ広大な秋の実りをつけた田園が広がる田園の中を30分ほど歩いて、小浜線鉄橋・国道橋のそば 北川の土手に登ると 上流側に先ほどバスでくだってきた若狭街道の田園地帯が若狭・近江国境の山々を背に広がっている。
近江/若狭 国境の山々を背に とうとうと緑の中を流れ下る北川
この景色が若狭街道の出入口の昔から変わらぬ光景なのだろう。
上中町 北川の土手から若狭街道熊川宿方面の遠望 2008.9.1.
土手から国道の橋に出て 橋を渡って北川の右岸にでる。右手に随分近くになった膳部山をながめながら、ゆるいカーブを描きながら橋から下ってゆく国道をお寺の石塔を見落とさないように注意して歩く。
橋から15分ほどで、石塔のあるT字路。石塔の横に「脇袋古墳群」の案内板も立っていて、凹字にくぼんだ膳部山の中央部へ田園の中をまっすぐな道が続き、その懐に脇袋の集落がみえる。
集落の家並みと古墳がかさなっているようで、ここからは古墳がどれか良くわからないが、集落の手前に見える森が古墳かも知れぬ。
国道から脇袋の郷へ入る入口で 田園地帯の奥 膳部山の凹字型の山裾に脇袋の集落がある 2008.9.1.
国道のT字路から、田園の中を山に向かって まっすぐの道を進むと脇袋の集落。集落は膳部山の山腹で凹字型に囲まれた山裾の傾斜地にへばりついて家々が密集してあり、その前面に広く田園が広がっている。
また、集落の一番奥に国道に石塔があったお寺があった。古墳群はこの集落の中や集落に近い田園部に点在。
いずれも民有地なのだろうか、古墳の上が畑になっていたり一部が取り崩され、形が大きく変化しているもの 集落の中の民家の庭にあるものなどである。でも この集落は裕福なのだろう。一つ一つの家が大きく、古墳も形が崩されてはいるもののきれいに整備されて残されている。
また、静かで落ち着いた集落 これが
5世紀の若狭の王墓群とともに暮らしてきた証のように感じた。
5世紀の若狭の王墓群とともに暮らす脇袋の集落 2008.9.1.
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