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鳥浜貝塚  縄文の時代観を換えた「縄文のタイムカプセル」 を若狭に訪ねる

1.「縄文のタイムカセル 鳥浜貝塚 福井県若狭町三方」を訪ねて 2008.8.5.

                                         0809wksa01.htm   2008.9.1. by Mutsu Nakanishi
   鳥浜貝塚遺跡とその背後を東西に伸びる椎山丘陵              三方五個のひとつ 三方湖 
         鳥浜遺跡の西南側 南北に流れる蓮川の土手の一帯は縄文草創期・前期 北に広がる三方湖が広かる湖畔
神戸から新快速「敦賀」行に乗って、湖西線を経由して、2時間ちょっとで敦賀に着く。 ほとんどの人が東へ 北陸へ向かう福井や金沢行きの電車に乗り継ぐ。一方、西へ若狭小浜へ向かう小浜線は乗継がなく、約1時間待ちである。
三方は敦賀から西へ5つほど 原発のある美浜の隣町で、小浜と敦賀のほぼ中間にあり、三方五湖観光の中心地であるが、
すこぶる便が悪い。 帰路 実際にやってわかったのですが、三方へは湖西線の近江今津から国鉄バスで上中町まで出て小浜線に乗り継ぐのが一番近い。
どうせ バスの本数も少ないと思っていましたが、小浜と近江今津を結ぶ国鉄バスは幹線で本数も多く、待ち時間なども入れると敦賀周りよりも1時間以上の短縮。近江今津から小浜へ抜けるルートは古墳時代からの幹線ルートであるが、
今も生きていること実感しました。 
やっと 11時過ぎに三方駅につきましたが、駅員さんのほかには誰もいない駅。
平日の昼前ということもありましたが、駅に降りる観光客もなく、学生数人と下車。ええ・・・・・でした。
 
夏はシーズンオフ それに 今はほとんどが観光バスか車での観光。
三方駅の三方五湖の観光基地としての三方駅のイメージは吹っ飛んでしまいました。
駅には観光案内所も併設されていましたが、クローズで、待合室に昼寝を楽しむ人 一人のみ。のどかな田舎町の駅です。

周辺地図を棚から取って、鳥浜貝塚の方向を聞いて出発。 
駅があるのは南側にある山の裾で、見方の集落がこの山裾に沿って広がっている。有名な三方五湖の湖 そして、鳥浜貝塚はこの駅から、真っ直ぐ北の方角。道標があるだろうと思っていましたが、全くなし。
やっぱり 儲からない縄文遺跡には金がかけられないようだ。
 

南北に走る小浜線の駅の直ぐ南でガードをくぐって、地図を見ながら、
西に出て、集落を抜けるとどこまでも続く広い田園。 
この秋の実りをつけた稲穂が広がっている。
 この田圃の向こうが、三方湖で、 鳥浜貝塚があった縄文時代には 
このあたり 駅のある山裾まで、「古三方湖」が広がっていた場所である。
その西端の山の周辺のあたりが、かつて、湖に西から突き出た半島の岬が突き出たところで、その麓が鳥浜貝塚。 そんな目っこをつけて、田圃のあぜ道に入ってゆく。

                                       三方駅の西北側の若狭湾の方角 三方湖との間に広がる田園地帯   2008.8.5.
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田圃のあぜ道を真っ直ぐ突き抜けると東西に走る交通量の多い広域農道に出る。
この道を広大な田園地帯の南の端の出口にあたる山際の集落へ向かうと、まもなく、正面を東西に横切る国道16号線「鳥浜」交差点にぶちあたり、常神レインボーライン・若狭三方縄文博物館への標識など数多くの案内標識が見える。
( この国道162号線は小浜線の東側を南北に 敦賀と小浜を結ぶ国道27号線から三方駅の直ぐ南側の集落の中で別れ、
   西側へ三方五湖とその北側の日本海に突き出た常神半島を結ぶ。)
振り返ると後ろには 通ってきた広域農道を中心軸として この「鳥浜」や「三方駅のある山裾」
そして 道の反対側敦賀方向の山裾を楕円状に取り囲む田園地帯が広がっている。
これが縄文時代の「古三方湖」の広がりで、右手の山が湖に突き出していた岬。現在の地図では南から田園地帯に蓮川が流れ込み、この山の端を回りこんで西の三方湖へ向かう。鳥浜貝塚はこの岬の南側の山裾の当たりである。
 
国道162号との鳥浜交差点 
 古三方湖の広がり 今は田園地帯      縄文時代の古三方湖の広がり
この鳥浜交差点の直ぐ右に曲がると南からで橋を渡ると先ほどから眺めてきた山の端にぶち当たる。
地図によるとこの山の端の左側が鳥浜貝塚周辺で右側が常神半島・三方五湖そして若狭縄文博物館へ行く国道162号線である。
また、この鳥浜の交差点の左手に小さな鳥浜の集落が広がり、端を渡ったところの山に神社が祭られている。
この川が蓮川でこの川の改修時に鳥浜貝塚が現れたという。
橋を渡っていると左手の川向こうに大きな縄文人の像のモニュメントが見え、鳥浜貝塚公園と知れる。

大きな縄文人のモニュメントが建つ 鳥浜貝塚  2008.8.5.                   鳥浜交差点の東側 蓮川の橋.

蓮川の向こう左手 鳥浜貝塚遺跡 その背後に椎山丘陵地が続き 右手端の向こうが丘陵地の端 2008.8.5.
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三方五湖・常神半島へ続く国道162号線は橋を渡って右手をこの椎山丘陵地を巻いて西へ流れる蓮川沿い
また、 この蓮川の改修工事で鳥浜貝塚が出土した

橋を渡って、左へ蓮川に沿ってこの椎山丘陵の端の山裾を南へまわりこむと、この椎山丘陵の南側を丘陵地に沿って西から流れこむ高瀬川と蓮川の合流点に鳥浜貝塚がある。

北側から歩いてきた時には良く判らなかったが、この椎山丘陵の南側にも丘陵地や山に取り囲まれて広大な田園地帯が広がり、
縄文時代 椎山丘陵の端が岬のように古三方湖に突き出していたことが良く判る。

 
鳥浜の南側  南西側 蓮川と椎山丘陵地 東側  高瀬川沿い
古三方湖の南側部分 こちらにも広い田園地帯が広がる    鳥浜貝塚のある蓮川と高瀬川の合流点周辺より
古三方湖の中に広がる平坦な田園地帯の川の合流地点 今は蓮川と高瀬川がきれいに整備されているが、
改修までは湿地帯がずっと保持されてきたのだろう。
その中に鳥浜貝塚が埋もれ、この湿潤環境の中に埋もれていたことが、木製品や種子など有機物質の遺物が多数残り、
その遺物の数々がこの鳥浜の縄文の生活を生き生きと浮かび上がらせ、「縄文のタイムカプセル」と呼ばれた。
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高瀬川の小さな橋を渡るとY字の合流点の中が鳥浜貝塚公園として整備されているが、最近は人があまり入らないのか、
雑草が生え朽ち果て気味である。 
その中に立つ縄文人のモニュメントが異様に見え、また「鳥浜貝塚」の碑と解説の案内板が立っているのみである。

縄文のタイムカプセル 鳥浜貝塚   2008.8.5.
この縄文のタイムカプセル 鳥浜貝塚の出土遺物や概要については、この遺跡の北西 三方湖のすぐそばにある若狭三方縄文博物館の図録や小浜市若狭歴史民俗資料館のHP資料等から、下記の「縄文の時代観を書き替えた「縄文のタイムカプセル」鳥浜貝塚 概要」項にとりまとめました。
また、この遺跡周辺の写真や三方湖の写真スナップを「鳥浜貝塚 & 三方湖周辺の写真」の項にまとめています
 
   ■ 縄文の時代観を書き替えた「縄文のタイムカプセル」鳥浜貝塚 概要
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      1. 縄文時代像を塗り替えた鳥浜貝塚出土遺物
        2.日本最古の栽培植物「ひょうたん」の種子と皮
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   ■  鳥浜貝塚 & 三方湖周辺の写真

  これらの資料より「縄文のタイムカプセル」といわれる鳥浜貝塚を要約するとおおよそ下記の通りである。

テキスト ボックス:              鳥浜貝塚が明らかにした示縄文前期の村の生活丸木舟をあやつり、湖、海での網を使った漁、かごを使っての山菜や木の実の採集、それに狩猟の生活のなかで、栽培植物も利用して道具や衣類を作り、食用にあて、漆工芸品を作りました。衣服を着て漆塗りの櫛を髪にさし、真珠や骨角や石のアクセサリーで鮮やかに身を飾っていた。これらの生活維持のため、ほかの集団との広い交易も行っていたことが遠隔地産の石器石材や他の地方の影響をうけた数々の土器などからわかります。このように、厳しい自然のなかで定住生活をいとなみ、舟を操り、これらの高度な文化をもっていたことが明らかになり、鳥浜貝塚に続く新保チカモリ遺跡や、三内丸山遺跡などのより高度な縄文文化への発展の土台は、すでに鳥浜貝塚が代表する縄文前期にはできていたといえる。1. ゴボウ・アサ・アブラナ・リョクトウ・シソ・コウゾ・漆作りに関連するエゴマなどの種子や、ヒョウタンの種子と果皮などが出土。○ これらは野生種ではなく栽培種とみられ、縄文前期にはすでに食用のものをふくむ栽培植物があった。 ○ 日本を原産としないこれらの植物は、大陸からもたらされたの 大陸との広い交流がすでに、日本にも及んでいたことを示す。2. 丸木舟・櫂・弓・石斧の柄・鉢・櫛など、木製の道具の種類や量の豊富さ、高度な製作技術○ 高い文化水準と集団としての交流が伺える。3. 木製品や土器に塗られた赤や黒の漆の技術。    そのルーツはまだよくわからないが、少なくとも縄文前期から独自に高度な発展をしてきたものと考えられる。  4. 大麻の糸、アカソのアンギン(編布)、ヒノキの細割り材を使った漁網・かごなどが出土。    ○ 湖、海での網を使った漁、かごを使っての山菜や木の実の採集、 緻密な工芸・装飾品と多彩で豊かな定住生活が垣間見える。 
                              若狭歴史民俗資料館HP 資料より
しばし、遺跡の中や蓮川の土手から周囲の景色や椎山丘陵を眺めながらのWalk。
それにしても、アフリカ原産のひょうたんがもう縄文草創期には栽培されていたとは・・・。 その道のりにビックリ。
二上山のサヌカイトなどの石材も・・・・・・
また、何艘も出土した丸木舟 イメージした丸木舟よりも浅いのですが、これでは 日本海は渡れないだろうが・・・・
でも、大陸・日本海沿岸をつなぐ交通の要所 古代 渡来人もこの地を渡ってきたし、鉄」も。
そんな日本海沿岸の交通路が すでに縄文前期には整備されていたとは本当にビックリで、「今の頭で考えたらあかん」と。
 
後で訪れた若狭三方縄文博物館にはこの鳥浜貝塚を中心に縄文の世界の展示がなされていた。
また、小浜市の若狭歴史民俗資料館には この鳥浜貝塚から出土した遺物が整理して展示されていると聞きましたが、
今回は行けませんでした。 
貝塚から元の橋のところまで戻って、丘陵地を回りこんで西へ蓮川沿いの国道162号線を三方湖に向かって進む。
15分ほど歩くと国道の右手によく整備された公園の中に立つ、小山状の建物が見える。
それが、蓮川の三方湖の河口まで広がる広い公園の中に立つ若狭三方縄文博物館だった。
...

三方湖へ向かう蓮川沿いの道 
正面の山は三方湖の対岸に聳える梅丈岳 ほどなく右手に緑の小山に作られた若狭縄文博物館 2008.8.5.

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若狭三方縄文博物館と縄文博物館の小山から眺めた三方湖 2008.8.5.
この若狭縄文博物館では 鳥浜の縄文を中心に縄文の世界を判りやすくジオラマなどで展示している。
また、この地の縄文の拠点として、数々の活動や活動の場を提供している。
鳥浜貝塚が「縄文のタイムカプセル」といわれることに重きがあるためか、展示が縄文世界 鳥浜貝塚のレビューなど縄文の理解に重点が置かれていて、縄文世界と鳥浜とがごちゃまぜ。 
欲を言うと鳥浜貝塚とその周辺状況そのものを知る上では ちょっと物足りない。
少なくとも 鳥浜貝塚のしっかりした図録がほしいなあ・・・・・と。
(ちなみに 貝塚公園の解説案内も時間がたち 一部消えたり老朽化が進んでいる。)

どこまでも静かな三方湖(1)何もないがゆったりとした時間が過ぎてゆく    2008.8.5.

縄文の初めより、多くの人々とともに多くの文物がこの湖を渡り、今の日本のルーツとなったのだろうか
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どこまでも静かな三方湖(2)  何もないがゆったりとした時間が過ぎてゆく    2008.8.5.

でも、静かな三方湖の湖岸に立つと一挙に喧騒を忘れ、遠い昔に引き込まれて、
博物館で見た一つ一つを思い浮かべながら、遠い昔のイメージが膨らんでくる。鳥浜貝塚・若狭縄文博物館は「関西の縄文」 縄文の世界を知る上でも ぜひお勧めの場所である。
帰りは 隣町上中より、熊川宿・近江今津から湖西線で    

                           2008.8.5 Mutsu Nakanish     

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鳥浜貝塚  縄文の時代観を換えた「縄文のタイムカプセル」 を若狭に訪ねる 
【完】
 
1. 福井県若狭町三方「縄文のタイムカセル 鳥浜貝塚」を訪ねて walk.
2. 縄文の時代観を書き替えた「縄文のタイムカプセル」鳥浜貝塚 概要

  1. 縄文時代像を塗り替えた鳥浜貝塚出土遺物
  2. 日本最古の栽培植物「ひょうたん」の種子と皮

3.
【参 考】
1.若狭三方縄文博物館 常設展示図録
2.若狭歴史民俗資料館HP 資料
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0809wksa01.htm  2008.9.1.   by Mutsu Nakanishi