ユーラシア大陸の北部の森林限界の山裾を縫う草原 そこは「遊牧民の世界」今 この草原から数々の鉄文化の痕跡を示す遺跡や鉄遺物が点々出土し、西アジアで生まれた人工鉄の東遷の痕跡と考えられる地下式製鉄炉も点々と随伴。
人工鉄・鉄技術・鉄文化の伝播 ユーラシア大陸東遷の鉄の道がベールを脱ぎ始めた。
シルクロード以前に ユーラシア大陸を東西に結ぶ鉄の道「アイアンロード」が存在した。
ユーラシア大陸の中央森林限界に沿って草原の道を東遷してきた鉄は東アジアに入ると、
それぞれ独自の鉄イノベーションをもとに鉄の軍事大国となった「匈奴・モンゴル」と「中国」
この2つの国が覇を争う展開に。
そして この2国の鉄のイノベーションを通じて、この東アジアで、
鉄東遷の道は2つに分岐し、一つは南へ中国から朝鮮半島から日本へたどる道。
もう一つはそのままモンゴルから東へシベリアへ。
東遷から分岐して中国へ入った鉄の道は朝鮮半島を経ていよいよ日本へ
日本は長い縄文の時代がおわり、弥生時代。
朝鮮半島と日本を隔てる海の間にあり、いずれにもつながり、双方の物品・人が行きかう海の中継点 壱岐対馬。日本は初めて、ここで鉄に出会い、国内へと運ばれたのだろうか。壱岐のカラカミ遺跡からは数々の鍛冶加工された鉄器や鉄素材が出土している。
壱岐などの中継地を経て 日本国内の交易品として日本各地に
運ばれる。
鉄の交易ネットワークが広がるにつれ、鉄の入手がさらに容易になり鉄は日本各地で飛躍的な社会変革を成し遂げる原動力となった。
強靭で扱いやすい道具に加工された鉄は日本各地で農耕地の拡大・水田稲作の定住の
暮らしを飛躍的に推し進めると共に、住居・灌漑・特産品などの日本各地で物づくり
革命を起こしつつ、大陸・半島交流も含め、ヒト・モノの社会の交流ネットワークを
さらに発展し、弥生の新しい時代へ
鉄は日本でもまた弥生の新時代を展開する原動力 日本のたたら製鉄の源流です。 |