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【速報】
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 淡路島北部の津名丘陵の弥生後期の山間地集落遺跡群群の中心集落
 鉄器の交易をなりわいか?「淡路市 舟木遺跡」
近くの五斗長垣内遺跡を上回る
新たな「弥生の鉄器拠点とみられる国内最大級の鍛治工房跡」が出土
2017.1.26. 神戸新聞他の朝刊より 
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1702funaki00.htm  2017.2.5.  by Mutsu Nakanishi 
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 ( 記事拡大版 pdf file )
2017.1.26.関西の新聞朝刊各紙に淡路島で 
近くの五斗長垣内遺跡を上回る新たな「弥生の鉄器拠点とみられる国内最大級の鍛治工房跡」が
出土したと大々的に報じられた。 

アウトインを神戸新聞Next の記事から拾うと下記の通り。

◎ 神戸新聞Next
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   近畿最大?淡路に鉄器工房跡 弥生時代の舟木遺跡 2017/1/25 20:30

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兵庫県淡路市舟木にある弥生時代の山間地集落遺跡「舟木遺跡」の発掘調査で、新たに鉄器生産工房跡と、
手工業品を生産した可能性のある工房跡、鉄器57点などが見つかったと兵庫県と同市の両教育委員会が
25日発表した。

過去に同市で見つかった近畿最大の鉄器生産遺跡「五斗長垣内遺跡」(同市黒谷)を上回る規模と推定され、
専門家は「弥生時代、淡路島が鉄器の製作や保有の地として有力視されていたことを裏付ける発見だ」と指
摘する。

同時に出土した土器の年代から、工房があったのは2世紀後半とみられる。
見つかったのは4棟の大型の竪穴建物跡。うち3棟は敷地が円形で直径が10メートルを超える大型で、
うち1棟から4基の炉の跡が確認された。柱が外側に寄り中央部が広いことから、作業をする空間だった
と想定される。また4棟全てから鉄器製作に使ったとみられる石器を多数発見。
鉄器は計57点あり、鍛冶関連のほかに針状鉄器など小型工具が出土した。

針状鉄器は小さいものでは長さ4ミリ、幅1ミリで、愛媛大学東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通
センター長は「小型工具を使って何らかの手工業品を生産する大規模な工房群が存在した可能性がある」と
指摘する。作られた物は出土していないが、木製品や皮革製品などが想定できるという。

2009年に工房12棟と鉄器127点が見つかった五斗長垣内遺跡では、鉄鏃(てつぞく)(矢尻)など
の武器類が多く出土した一方、舟木では明確に武器と認められるものはなかった。
二つの集落はわずか約6キロの距離でほぼ同時期に存在していたが、生産物に違いがあることが判明。
五斗長垣内が消滅した後も舟木で鉄器生産が続けられていたことも分かった。(切貫滋巨)


炉の跡が確認された工房の遺構。
土が赤っぽく焼けている
=淡路市舟木(撮影・内田世紀)
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   近畿で最大規模とみられる鉄器生産跡が見つかった
   舟木遺跡周辺。現場は木々に囲まれている
   =淡路市舟木(撮影・内田世紀)
多数見つかった工具やナイフとみられる小型鉄器 
 【舟木遺跡】 
  弥生時代後期〜末期(1世紀〜3世紀初頭)に存在したとみられ、1966(昭和41)年に発見された。
  面積は推定約40万平方メートル。
  91年の調査で見つかった出土物が、古代の中国で製作された青銅製の中国鏡の破片であることが明らかになっていた。


               ◆ 参考 「 淡路島舟木遺跡で 弥生後期の鍛冶工房出土を伝える2017.1.26. 朝刊各紙報道ファイル 」      
 
◆ 淡路島北部の弥生時代後期の山間地集落遺跡群 舟木遺跡から鍛冶工房跡が出土の新聞記事を読んで 
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                                                                                                           2017.1.26.  Mutsu Nakanishi                    
                
弥生時代後期 国内最大級の鍛冶工房村と報じられた「五斗長垣内遺跡」。
それを上回る鍛冶工房跡が同じ津名丘陵のすぐ近く、北淡震災記念館など西海岸を見下ろせる淡路市舟木の
標高200m弱の丘陵の上舟木遺跡から出土したという。 

淡路島の丘陵地から弥生後期の鍛冶工房が出土した!! 凄いと思いながらも やっぱり出たと。 
五斗長垣内遺跡一つの点しかなく、新しい展開が見えなかった淡路島の鉄生産工房が線につながり、広がってゆく。
さらなる調査で、淡路島の関与が明らかになれば、
ブラックボックスだった卑弥呼の時代の畿内への鉄器流通経路がクリヤーになってくるだろうか・・・・ 
そうなれば、国生みと大和王権誕生への道が見えてくる。
うれしい舟木遺跡での鍛冶工房の出土だ。

また、舟木遺跡は五斗長垣内遺跡を発掘調査され、
同時にこの津名丘陵地に広がる淡路島山間地集落遺跡群の発掘調査を進められている淡路市教委伊藤宏幸氏が、
その中心的な遺跡として注目されてきた遺跡。 

「淡路島北部の丘陵地に広がる弥生後期の山間地遺跡群は稲作を行っていないが、
 弥生の高地性集落とは性格を異にする生産工房群の色彩が濃い遺跡群。そしてその中心的存在が舟木遺跡」
と何度か伊藤氏の講演をお聞きした。
「この山間地集落群の中で、鍛冶工房跡が出ればなぁ・・・・ 」との思いでいつも気になっていた淡路島の山間地集落遺跡群。
その中心と聞く舟木遺跡から鍛冶工房が出た。 
しかも この舟木遺跡は弥生の終末期 卑弥呼の時代には消滅するのにその時代にも続いた遺跡と聞く。
卑弥呼の時代につながる鍛冶工房跡が淡路島から出土した。

淡路島が日本の国づくりに関与したのかもしれないと考えると胸ワクワク。。
2月5日に北淡震災記念館で発掘調査の報告会があるという。
ぜひ参加し、また、できれば舟木遺跡も見てこようと思っています。 

舟木遺跡の詳細報告は2月5日発掘調査報告会に参加した後で、作成したいと考えています。

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弥生時代後期 淡路島北部に現れた
淡路島特有の生産工房を有する山間地集落群 & 周辺集落の推移
五斗長垣内遺跡や舟木遺跡もそんな山間地集落群の一つである

    2016.5.28.大阪弥生文化博物館2016年春季特別展セミナー 

淡路市教育委 伊藤宏幸氏講演資料より

   津名丘陵周辺 稲作が行えぬ高地に出現した軍事的性格を持たぬが、
   生産工房など多様な生活様式を営む弥生時代後期の集落遺跡群。 
   島では海岸よりも<山間地を貫く方が幹線道路として機能しやすかった事情で生まれたとする向きもあり、
   流通の拠点集落と考えられている 五斗長垣内遺跡も山間集落群の一つ 
   また舟木遺跡は終末期までも続く山間地集落遺跡の中心とみられている。


◎ なお この淡路島の山間地集落遺跡群や舟木遺跡・五斗長垣内遺跡について 
  昨年5月大阪で伊藤宏幸氏が講演の超高記録並びにレジメ資料の整理して、HPにも参考掲載させていただきました。 

  今回発表された舟木遺跡から鍛冶工房跡出土以前の昨年の資料ですが、
  淡路島の弥生時代後期 津名丘陵に現れた 五斗長垣内遺跡や舟木遺跡などを含む山間地集落群の紹介
  並びに五斗長垣内遺跡から出土した鍛冶工房での具体的な鉄器づくり作業の復元検討等
  今回の舟木遺跡での鍛冶工房出土との関連を考えるベース参考資料です。


    1. 参考資料【1】
     淡路島舟木遺跡で 弥生後期の鍛冶工房出土を伝える2017.1.26.朝刊各紙報道ファイル
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      ◆ http://www.infokkkna.com/ironroad/2017htm/iron13/1702funakiR1.pdf

  2. 参考資料【2】 和鉄の道・Iron Road  2016 
     【スライド動画】 大阪弥生文化博物館2016年春季特別展第3回考古学セミナー  
     淡路市教委 伊藤宏幸氏講演「淡路島 五斗長垣内遺跡にみる弥生時代の鉄器生産」 
            聴講 まとめ by Mutsu Nakanishi 2016. 5.28. 
      弥生後期の五斗長垣内遺跡 <発掘調査と実証実験で見えてきたこと>
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      ◆ http://www.infokkkna.com/ironroad/2016htm/iron12/1607awaji00.htm
  

  3. 参考資料【3】
     淡路文化資料館 淡路市教育委員会 伊藤宏幸氏講演資料
   「淡路島の弥生時代と山間地集落  五斗長垣内遺跡と舟木遺跡 」 2015.12.12. 
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       ◆ http://www.infokkkna.com/ironroad/2017htm/iron13/1702funakiR3awajiregime.pdf

 


 
 
 
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1702funaki00.htm  2017.2.5. by Mutsu Nakanishi.