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何度か出かけたことがある元岡遺跡群 現在は九州大学伊都キャンパスになっている丘陵地。 その造成工事で古代の多数の製鉄炉が建ち並ぶ元岡製鉄遺跡群や古墳群(元岡・桑原遺跡群)等が見つかり、この地が6・7世紀 大陸・朝鮮半島と緊張関係にあった大和王権の守りの最前線基地であったことが明らかになった。(この時代 新羅が勢力を伸ばし、556年大伽耶を併合 660年百済滅亡 663年大和が大敗北した白村江の戦いなど北部九州には土塁が築かれ、防人が配備された。) 日本で製鉄が始まった5世紀〜6世紀 やっと安定量産技術を確立し、大量の鉄が必要とされたこの地にいくつもの製鉄炉が建ち並ぶ官営の製鉄コンビナートが形成され、大量の鉄が量産された古代製鉄の最前線がこの元岡製鉄遺跡群である。 そんな時代に 古代の先進大製鉄コンビナートがある地の大和と関係深い前方後円墳で、「何回も何回もよく練りきたえた」の意味としてよく知られる「百錬鉄」と同意味と推定された「十二果錬」の金象嵌の文字が刻まれた太刀が発見されたというのである。
. 報道や現地説明資料では太刀に象嵌された太刀製造の年月日が実在する年で、しかも朝鮮半島から伝わった暦使用の国内最古例であることに興味が集中している。しかし、570年という年代を考えると「生産を開始したたたら製鉄技術を大量生産が出来るたたら製鉄の安定量産技術の確立」に大和王権あげて取り組む過程にあった時代である。 私には、そんな時代に日本で製鉄された最先進の鉄を使い、確立された量産製鉄技術に基づいて、後に建設する官営の大製鉄コンビナート建設地の首長がこの太刀を持っていたことに興味がある。
. 北部九州は 大陸・朝鮮半島から一番先に鉄の技術が入った鉄の先進地。
古くからこの地には製鉄技術があり、大和と同じくこのような太刀を鍛える技術が会った可能性もある。
既に先進技術を習熟した技術首長がこの地にいたのか それとも技術を持って この地に大和から技術屋が乗り込んだのかはよく判らないが、大陸・朝鮮半島と対峙するこの元岡の地に国を挙げての官営の大製鉄コンビナートが建設される。
「この元岡に建設された国を挙げての官営の大製鉄コンビナート建設・経営の論功がこの太刀だったのかも知れぬ」と。
【2007.6.に訪ねた元岡製鉄遺跡群 九州大学伊都キャンバス】
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1404motookakofun00.htm 2013.4.5. by Mutsu Nakanishi