その1 このグローバル一辺倒の時代に
長いこと「文芸春秋」など 手に取ったことなかったのですが、久しぶりに読みました。
経済団体のTopで 常々他の人たちとはちょっと違った立場を表明している鉄鋼のトップの対話や
過度なグローバル推進派の自動車の破局の実態 そして かつて内閣側から改革路線を推進し、
今その失敗を表明した学者某氏の記事が一緒に掲載されている。
このへんてこな時代に、軽薄短小型企業の持つ グローバル強欲資本主義的考え方を批判し、
重厚長大型企業の持つ「ものづくり」の考え方への共感を色々書いてきましたので、
自分の考え方と世の中の差を図るにはよい教科書と。
まあ 自分とあまり遠くない論があること また、体制派の中にも行き過ぎに目を向ける人たちが
いることにちょっぴり安心。
激動の中では「何を軟弱な・・・」と切り捨てられてしまうことが、
今 時代を変えようとしていると感じています。
みなさんには どう 今の時代を感じておられるでしょうか・・・・
その2 アカデミー賞受賞映画「おくりびと」と直木賞受賞天童荒太「悼む人」
また 同じ目線で 今の時代を見直す映画と小説が話題をさらっている。
「東北 鶴岡・酒田 日本の原風景がきれいに描かれている」と聞いて以前に観た映画「おくりびと」
アカデミー賞を受賞して、映画のタブーのテーマ「死と向き合うこと」と取り組み
「忘れていた日本人の心のふるさとを描いた」とか
「亡くなった人と一緒になった空間を美しく描いている」などと
賛辞が送られている。
暗い映画はいやだなあ・・と思いながら、足を運んだのですが、そんなところ微塵もなく、
東北の自然の風景の中で歌舞伎のしぐさでもみているような美しさが描かれ、
逝った人との対面がこんなに美しかったのかと・・。・
もうひとつ 同じく直木賞受賞「悼む人」を書いた天童荒太氏のインタビューが
先日夜
NHKで放送されていて、逝った人と空間をひとつにするには
『そのひとが誰を愛し、誰に愛されたか そして誰かに感謝されているか?』それを知ることだと。
その3. われら同窓会世代
嵐山光三郎さんの短編集「同窓会奇談」のあとがきにある。
「人々が同窓会へ出かけて、交錯した時間の糸をたぐり寄せ合うのは、
昔の自分に出会おうという無為の作業である。」
▼同窓、同郷というだけで打ち解ける。
共通の時代や景色の中に「昔の自分」をしばし重ねられるからであろう。
育ててくれた土のにおいを確かめ、まっさらの希望を懐かしむ。
財界でも大小の成功者を「土の絆」を結びつけることがある。
▼キャノンの工場建設をめぐる脱税事件で捕まった会社社長・・・・・・・・
・・・・・・・省略・・・・・・・・・・
▼財界総理が「長年の友人だったが弁護する気もない」とした容疑者は、
ゆりかごの足元でうごめいた黒い影であろう。
実像がかすんだにせよ、ゆがんだにせよ、「レンズの曇り」は世界ブランドらしくない。
故郷、旧友。優しきものとの交わりは、心地よいゆえに、難しい。
朝日新聞 「天声人語」より 抜書き |
常々違和感を持っていた財界総理の「長年の友人だったが、弁護する気もない」との発言が
強く耳に残っていた。
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「解」はないのだろうけど、浪花節といわれようと「これはない」と。
天声人語が日本人なら 誰しもある同じ心情をとりあげてくれた。
人それぞれでしょうが、同窓会世代には人生が見えてくる。
時代が殺伐としている中で、価値観が大きく変動している。
マスコミの「みんなが・・・・」の根拠のない偽装やそれがローカル
村社会といわれても 目もくれず、それが日本人の心情ではないか、
4000年を越える日本人の知恵 「自分なりに」では・・・・・
これぞ「縄文」の底に流れる心
殺伐とした時代に「縄文がえり」がブームになるかも 知れません。