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大和の進出による新旧勢力交代による 国づくりの始まりを示すのか  ??? 

   「伊弉諾神宮 国生み神話の島」 淡路島で 大量の埋納銅鐸出土 2015.5.20.
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国譲り神話の出雲の大量の埋納銅鐸出土(加茂岩倉・荒神谷遺跡)とそっくり
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1506doutaku00.htm     2015.6.1.     by Mutsu   Nakanishi 

7個もの銅鐸が集中して見つかった南淡路市松帆 
国譲り神話の「出雲」・ 国生み神話の「淡路」で起きた弥生時代の末の大量の銅鐸埋納

   脚光を浴びる淡路の古代そして淡路の鉄 れは ヤマトの進出など鉄の新しい勢力への覇権移行を示すのか?  


5月20日の朝 「南淡路から大量の埋納銅鐸出土」のニュースが関西の新聞紙上を大きく飾った。

すぐ 頭に浮かんだのは同じ弥生後期 北淡路から出土し、まだその性格がよくわからぬ国内最大級の鍛冶工房村
五斗長垣内鍛冶工房遺跡のこと そして 同じ頃 出雲で起こった大量の埋納銅鐸・銅剣出土のこと。
埋納されていた銅鐸は 弥生時代前期末から中期初頭(BC2世紀頃)の最古級の銅鐸で、
まだ埋納された時期は定かでないにしても、この淡路島での埋納銅鐸の状況はそっくり出雲と同じではないか・・・・・

淡路・出雲 どちらも国生み・国譲り神話の国
そして、それぞれの国の象徴 伊弉諾神宮・出雲大社が
あり、新たな鉄器文化の勢力進出があり、日本の国づく
りに大きな役割を果たしたのではないか???。
しかし、淡路では神話はあるが、それを示す遺跡・遺構
がほとんどない。
この大量銅鐸の埋納は弥生時代の成熟から古墳時代の始
まりへと続く日本の国づくり。
邪馬台国連合・大和初期王権へと続く新しい国づくりの
始まりを示す遺物の出土??
.
俄然 淡路の鉄・北淡路で出土した弥生時代の国内最大
級の鍛冶工房村 五斗長垣内遺跡の役割がクローズアッ
プされてくる。
弥生時代の後期になっても 実用鉄器が広く普及してい
たわけではなく、畿内の実用鉄器普及はまだこれからの
時代である。
北部九州で始まる実用鉄器普及の東進最前線は[播磨・
淡路・阿波]と言われていた時代のその最前線の淡路で
出土した大量銅鐸の埋納と国内最大級の鍛冶工房村。
そして、この時代に実用鉄器の覇権を連合の絆とした
邪馬台国連合・初期大和王権へと日本の国づくりが始
まる。
弥生中・後期から末期 淡路で何が起こっていたのだ
ろうか???
信憑性は何とも言えないが、鉄のロマンが大きく広か
るニュース。
考証できた話ではありませんが、
日本の古代と鉄に和鉄の道・Iron roadのロマンを重
ねて、次々頭に浮かんでくる勝手な鉄の夢を淡路に描
いています
 
南淡路 三原平野が広がる淡路島の中心地   
    .
北淡路 平野の少ない丘陵地 
 松帆銅鐸が出土した南淡路市松帆

  南淡路は三原平野が広がる淡路島の中心地で

  淡路島でいち早く開け、在地の勢力の根拠地
  そして 松帆はその瀬戸内海に面した淡路の玄関口である
国内最大級の鍛冶工房村 五斗長垣内遺跡

   五斗長垣内遺跡は北淡路 瀬戸内海を見渡せる丘陵地にあり、
   同時期 この北淡路の丘陵地に数多くの高地性集落が出現し、
   次の時代には五斗長垣内遺跡と同じく消えていったと聞く

大量の埋納銅鐸出土地 松帆
五斗長垣内遺跡と同時期 北淡路に出現した弥生の遺跡群.
.
弥生時代は戦の時代と言われるが、時代の成熟と共に、集落からより大きな地域集団そして国へと抗争を繰り返しつつも、
国づくりが進行してゆく。
そして、益々巨大化する国づくりが進む弥生時代の後期から終末期、その力の源泉となる鉄・鉄素材の需要は急速に高ま
ってゆく。

弥生時代の早くから、朝鮮半島や大陸から鉄器が日本に持ち込まれてきたが、日本で鉄は作れなかった。

日本各地に興った国々の国づくりに実用鉄器は必須であり、朝鮮半島の鉄を求めての安定供給ルートづくりは不可欠
特に北部九州と違って、西日本の各地の国では 北部九州に握られていた鉄の安定供給ルートの奪還確保は最重要課題で、
邪馬台国連合 そしてその後の大和初期王権の諸国連合はこの鉄の安定供給ルートの覇権でまとまった集団と言われる。
邪馬台国はどこにあったか知らないが、盟主大和にとって、瀬戸内海・日本海ルートの玄関口にあたる播磨・淡路は
朝鮮半島の鉄入手の玄関口として、重要ホイントである。

また早くから、北部九州または独自ルートで 朝鮮半島の鉄を入手していた出雲は畿内の大和連合にとっては押さえてお
かねばならぬ拠点であったろう。

そして、弥生の戦さ・倭国大乱と呼ばれる戦乱を経て、初期大和王権へまとまってゆく。 
日本黎明の和鉄の道・Iron Road 集落からさらに大きな地域集団そして国への国づくり・弥生の戦と共に石器・青銅器
の時代から鉄器の時代へこの過程の象徴が銅鐸埋納なのだろう。

松帆銅鐸は起源前2世紀頃の銅鐸でその埋納時期も不確かな中で、一機にヤマト連合勢力の展開へ結びつけるのは乱暴で
はあるが、弥生後期から末期 大和連合勢力が拡大する中で、在地の勢力と新大和連合の新勢力とがせめぎ合い、
銅鐸など青銅器の埋納が在地の勢力側にあったのだろう。

実用鉄器の普及のフロントにある淡路そして出雲では その争いは厳しかったろう。
大和連合と在地の勢力との融和が、国生み・国譲り神話であり、また伊弉諾神宮・出雲大社を象徴にしてきたのかもしれ
ない。
 
卑弥呼の邪馬台国 そして出雲・淡路の役割は??  
淡路島の巨大な鍛冶工房村の存在や今回出土した松帆銅鐸そして、まだ淡路の地に眠っている遺跡・考古学遺物等々淡路
が日本黎明の国づくり そして邪馬台国や日本の製鉄の始まりなどをも解き明かしてくれるかもしれない。
あまり今まで脚光を浴びていない淡路の考古学遺物・遺構がクローズアップされている。


  ◆ 弥生の後期 畿内で実用鉄器社会への急変  村から地域集団そして国へ
    畿内で鉄器需要が急増の変化を示す出土石器の急変 (出土石器として砥石の急増)

にわかの淡路島クローズアップに多少こじつけ的ではあるが、弥生時代の終末期になると畿内も急速に実用鉄器時代へと突入
してゆく。
弥生時代といえども、弥生時代後期の初め、大和を中心とした畿内では まだ、実用鉄器が広く普及していたわけではない。
北部九州を中心として広がる実用鉄器文化東進のフロントは阿波-淡路島-播磨を結ぶラインで、畿内の実用鉄器の普及はこれ
からであった。

畿内での国づくりの始まりとともに急速に実用鉄器時代への変化が起こったと考えられ 
畿内での国づくりの展開が鉄器需要の急増をもたらし、ヤマトを中心とした実用鉄器入手連合が展開され、
実用鉄器素材の供給ルートがこの時期に安定して確立してくるのかもしれない。
でも、北部九州による実用鉄器素材の供給ルート支配の中、畿内・ヤマトから朝鮮半島までのルートは長く遠い。

この時代に 実用鉄器文化東進のフロントライン(阿波-淡路島-播磨)の淡路に国内最大級の鍛冶工房村が出現する
畿内の実用鉄器素材の供給ルートが固まってきた例証といえるかもしれない。 
同じく、淡路島の北部では鍛冶工房ばかりでなく、数多くの特産品の加工基地に見える高地性集落の急増を含む集落が急増し、
ヤマトの連合支配が安定化してゆく次の時代(弥生の終末期)には、それらはみな消えてゆく。

銅鐸埋納は淡路島でのそんな時代背景の中で起こったといえるだろう。

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日本の国造りの時代  鉄の覇権を求める中央ヤマト連合勢力 と 在地の旧勢力の接触 & 抵抗 ?

1. 出雲で   出雲の在地勢力の荒神谷・加茂岩倉遺跡の銅剣・銅鐸埋納  


 
弥生時代 出雲の首長墓の変遷 古墳時代 山陰の主要古墳の編年
弥生時代 出雲には独自の四隅突出墳が栄えた。
そしてその中心勢力は出雲の西部に始まり、
東部にも中心勢力が起こった。
そして、中期には西部の勢は衰退し、勢力の中心は東部へ。
出雲の四隅突出墳は後期には消え、東部の勢力の墳墓は方墳やヤマトと組んだ勢力の小さな前方後方墳並びに前方後円墳が現れてくる。
なお、加茂岩倉遺跡・荒神谷遺跡の青銅器埋納時期はよくわかっていない。
古墳時代になっても、出雲では他地域のような前方円墳は作られず、
主体は方墳と前方後方墳が主体で、大和初期王権の象徴 大きな前方後円墳
は作らせてもらえず、出雲が警戒され続けたためだとも言われている。
大和王権の影響力の強さがよくうかがえる。

大阪近つ飛鳥博物館の白石太一郎館長は
「出雲は初期ヤマト連合に加わらず、連合に加わったのは東海の前方後方群
 グループや東国のグルーブが加わった時期ではないか」との説を提案し
 ている


   
 
              日本の国造りの時代  鉄の覇権を求める中央ヤマト連合勢力 と 在地の旧勢力の接触 & 抵抗 ?
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    2. 播磨で播磨風土記が記す景行天皇の妻問い - 印南別嬢の「抵抗」
     神戸新聞に掲載された 播磨風土記 編纂1300年「神々の足跡を追う(1)」より
弥生時代なかば  実用鉄器文化東進フロントで起こっていたせめぎ合い 
大和の進出については淡路ばかりでなく、播磨でも。
神戸新聞 播磨国風土記 編纂1300年 「神々の足跡を追う(1)」によれば、 
播磨風土記 加古郡の項に記された「大帯日子命(景行天皇)と印南別嬢(播磨稲日大郎姫)」の記事を政治的に読むと
播磨と大和との政治力学を示すエピソードがあり、
播磨とがスムーズに大和と連合したわけでないこともにも見て取れるという。
     播磨風土記 加古郡の項  大帯日子命(景行天皇)と印南別嬢(播磨稲日大郎姫)
     
八咫剣・八咫勾・麻布都鏡で正装した大帯日子命が印南別嬢へ妻問いに明石郡までやってきたが、
それを聞いた印南別嬢は驚いて南毘都麻島に隠れてしまった。
賀古松原で別嬢を探していると、海に向かって吠えている犬を見つけた。
その犬が別嬢の犬であることを知り、天皇は海を渡った。
妻がなびた(隠れた)島であるので南毘都麻島(なびつまのしま)と呼ばれるようになった。
別嬢と会うことができた天皇は求婚し、夫婦となった。
年月が過ぎ、別嬢が亡くなって日岡に葬られることになった。
遺骸を船に乗せ印南川(加古川)を渡らせていると突風で遺骸が川の中に流されてしまった。
遺骸探したが見つからず、見つかった遺品の匣・褶を埋葬し墓としたため、
比礼墓(日岡陵)と呼ばれるようになった。
天皇は悲しみ、「この川の物は食べない」と言った。
これにより、この川の鮎は贄として出されなくなった。

国譲りの出雲・出雲大社 国生みの淡路・伊弉諾神宮 この二つの神話の国で 
多数の銅鐸埋納の出土。
弥生時代なかば 実用鉄器の時代の幕開けが村から地域集団そして国へと各地
で国づくりを急伸させて行く。
実用鉄器文化東進フロントで起こっていた新勢力中央ヤマトの新勢力と在地の
旧勢力の抵抗せめぎ合い 
 
卑弥呼の邪馬台国 初期大和王権と北部九州の鉄の覇権争い 
鉄の覇権獲得でまとまる中央ヤマト連合が次々と西日本の国々を糾合しつつ、
朝鮮半島からの実用鉄素材入手ルートを確立。 さらに東国へも。

そんな過程が急進する中での出雲・淡路の役割はどうなのだろうか・・・・・
今までの定説の見直しがあるかもしれない。 
そして 邪馬台国の謎 日本の製鉄伝来史も書き換えられるかもしれない。   

 
ブラックボックスだった淡路がクローズアップされ、 古代の淡路に次々と思
いが浮かんでくる。
まったく 考証できた話ではありませんが、時代時代の断片を頭に浮かぶまま
に並べました。

日本の国づくりが進む和鉄の道・Iron road で起こった淡路松帆銅鐸の埋納
に 鉄の勝手なのロマン  夢をのせています。       


            2015.5.30.  by Mutsu Nakanishi

 

   【参考 和鉄の道 Iron Road 】

   1. 弥生時代後半  国内最大級の鍛冶の村  国生み神話の淡路島 「垣内遺跡(鍛冶工房跡)」現地説明会Walk 
          倭国から初期大和王権誕生へ 日本誕生の謎を解き明かすかも・・・    2009.1.25.
                http://www.infokkkna.com/ironroad/2009htm/iron5/0903kaito00.htm

   2.  一筋縄ではいかぬ古墳時代の幕開け 激動の時代 淡路島がその鍵を握るのか ????    2009.4.5.
          淡路島で発掘された卑弥呼の時代の日本最大級の鍛冶工房村の位置付けに思いをめぐらす
                 http://www.infokkkna.com/ironroad/2009htm/iron5/repoaw00.htm

   3.  弥生の高地性集落【4】 弥生の高地性集落に「弥 生の戦」・「日本人のルーツ」を探して   2006.10.5.
               http://www.infokkkna.com/ironroad/dock/iron/6iron14.pdf
 

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関連参考 地方創生の成功例  淡路島 五斗長垣内遺跡  】

   神戸新聞2015.5.6.朝刊社説転載  
   たたら製鉄関連遺跡を生かした地方創生の成功例  淡路島 五斗長垣内遺跡

        ≪「伊弉諾神宮 国生み神話の島」 淡路島で 大量の埋納銅鐸出土 ≫の記事にも記した
       弥生時代 国内最大級の鍛冶工房村「淡路島 五斗長垣内遺跡」が「遺跡を中心とした地方創生の成功例」として、
                       新聞に紹介されているのを見つけました。

       製鉄遺跡や製鉄関連遺跡はその時代時代の産業廃棄の跡で、発掘の当初は騒がれ、色々イベントや整備が行われても、
       そのブームが去ると街の片隅でひっそりさらに朽ちて産業廃棄物に・・・・・。そして 街のほとんどが知らないと・・・・。

       そんな中で、地域の人が「地域の宝」といい、継続的な地域活性化展開が進んでいるとの記事。
       私の住む 神戸の近くで、いつも気になる「五斗長垣内遺跡」の今を新聞記事の転載でご紹介。
 

 神戸新聞2015.5.6.朝刊社説より転載  
写真の上でクリックして 拡大してご覧ください   

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2015.6.5.  1506doutaku00.htm   by Mutsu Nakanishi