インターネットなどで調べると 下記のような2013年12月14日付けの新聞各紙の掲載記事が踊っていました。
「壱岐市の弥生集落カラカミ遺跡で 日本で初めて、鉄生産用の地上炉跡が複数確認された」と壱岐市教育委員会が明らかにし、「弥生の鍛冶工房・鍛冶炉それも日本の製鉄開始ににつながる精錬炉が出土
日本での製鉄開始が大幅に早まる可能性 」との記事が紙面におどっていました。でも「製鉄の開始」を示すのなら、もっと騒がれるはず。
それに、出土遺物の中に操業で出た大量の高温鉄滓・炉の底や鞴に付着する椀型滓・木炭 それに製鉄原料も情報がない。
弥生の鍛冶工房が出土した淡路島の五斗長垣内遺跡や芦屋の会下山遺跡とおなじような弥生時代の鍛冶工房を持つ弥生の高地性集落なのかもしれないとふと思い浮かべる。
日本で製鉄につながる高温の精錬鍛冶の痕跡が見つかるのは半島交易の本拠地が壱岐から博多湾の博多へ移った後の古墳時代前期4世紀で、しかも半島交易の新たな拠点となった博多遺跡である。また、日本での製鉄の始まりを示す製鉄炉の痕跡は5世紀後半から6世紀。しかも いまだに 大陸から日本への製鉄技術伝来ルート・時期は謎だらけ。
そんな中で、魏志倭人伝に記された弥生時代の朝鮮半島と北部九州をつなぐ交易路の真っただ中、半島交易の拠点として繁栄する炉の構造から製鉄炉ではないと疑問視する見方もあるが、壱岐で製鉄炉が見つかった意義は大きい。
新聞では日本の製鉄の起源が大幅に遡れると騒いだようですが、どうも鍛冶炉のようだ。
興味津々でカラカミ遺跡と出土した製鉄炉についての資料を送ってもらったり、インターネットで調べたり。
自分なりの現状把握の資料整理を行いましたので、弥生中・後期 壱岐の半島交易の拠点集落での
弥生の鍛冶炉の出土の状況など含め、壱岐の半島交易拠点集落 カラカミ遺跡について
得た情報を私なりにまとめてご紹介。