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東北 三陸沿岸のIron Road を訪ねる 震災後初めて 三陸沿岸を再訪  2014.6.7-6.9
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<詳細版> 3. 三陸鉄道に乗って 20数年前訪れた龍泉洞 & 普代・黒崎を訪ねる <スライド動画> 

宮古から久慈へ 大震災・津波の被災地を結ぶ三陸鉄道 北リアス線に乗って 北三陸沿岸をめぐる  2014.6.8. &  2014.6.9.


1409fudai00.htm   2014.9.5.   by Mutsu Nakanishi  < スライド動画へ進む  > < 抜粋写真集へ進む >

 
.  宮古から久慈へ大震災・津波の被災地を結ぶ三陸鉄道 北リアス線に乗って北三陸沿岸をめぐる

3. 三陸鉄道に乗って 20数年前訪れた龍泉洞 & 普代・黒崎を訪ねる 

3.1. 三陸鉄道 宮古から龍泉洞の最寄り駅小本へ

震災・大津波の被災地の今を三陸鉄道の車窓からしっかりと眺める

3.2.  20数年前訪れた岩泉町の龍泉洞  透明なブルーに出会いたくて
3.3. 土砂降りの雨の中 北緯40度の地球村 普代・黒崎へ
3.4. 普代から久慈へ 
普代川の河口の砂鉄浜の今「普代浜 & 普代の街」 and 三陸鉄道の車窓 
3.5. 【資料】 南部鉄を支えた久慈の砂鉄と製鉄 & 旧たたら館
 
 

≪スライド動画≫
 3. 三陸鉄道に乗って 20数年前訪れた龍泉洞 & 普代・黒崎を訪ねる
   宮古から久慈へ大震災・津波の被災地を結ぶ三陸鉄道 北リアス線に乗って北三陸沿岸をめぐる 
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  動画再生中 【7:35  97MB】  動画を拡大で見たい時や動画が再生しない時は ここ をクリックしてください 
三陸沿岸のIron Road Walk 2014.6.7-6.9.

 3. 三陸鉄道に乗って 北三陸沿岸をめぐる
   20数年前訪れた龍泉洞 & 普代・黒崎を訪ねる
   宮古から久慈へ大震災・津波の被災地を結ぶ三陸鉄道 

≪スライド動画の内容≫
3.1.  三陸鉄道宮古から龍泉洞の最寄り駅小本へ
      震災・大津波の被災地の今を車窓から
3.2.  岩泉町の龍泉洞 透明なブルー再訪
3.3. 土砂降りの雨の中 
   北緯40度の地球村 普代・黒崎へ
3.4. 普代から久慈へ 
      普代川河口の砂鉄浜の今&三陸鉄道車窓
3.5.【資料】南部鉄を支えた久慈
     砂鉄と製鉄 & 旧たたら館 
◎ 8月8日午後 宮古→ 龍泉洞 → 普代
  ・三陸鉄道北リアス線車窓乗 & 龍泉洞
◎ 8月9日午前 普代→久慈
 ・砂鉄浜「普代浜」・車窓・久慈の鉄
 動画のPDF版 写真File【169p   67MB】
◎ PDF版File  【23p   8MB】 

≪ Walking Map≫
三陸鉄道20数年前訪れた龍泉洞 & 普代・黒崎訪問
宮古から久慈へ大震災・津波の被災地を結ぶ三陸鉄道

   ◆ 三陸沿岸のIron Road Walk  スケジュール 

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<  3. 三陸鉄道に乗って 20数年前訪れた龍泉洞 & 普代・黒崎を訪ねる  2014.  6.8.& 6.9.    各項目別 File  >
写真の上でクリックください ファイルが開きます
3.1. 三陸鉄道 宮古から小本へ 3.2. 岩泉町の龍泉洞再訪 3.3. 北緯40度 地球村普代・黒崎 3.4.  普代から久慈へ
3.5.【資料】南部鉄を支えた久慈.
大津波の被災地の今を車窓から
20数年前見た透明なブルー
土砂降りの雨の中 三陸鉄道で
砂鉄浜「普代浜」& 久慈への車窓
砂鉄と製鉄 & 旧たたら館
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<写真アルバム & スライド動画 File  >
3.三陸鉄道に乗って龍泉洞 & 普代・黒崎再訪  PDFスライド写真アルバム 【169p   67MB】   スライド動画  【7:35   97MB】   PDF版 File 【23p   8MB】.

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東北 三陸沿岸の Iron Road を訪ねる 2014. 6.7.−6.9.
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≪  写真アルバム  三陸沿岸のIron Road  写真抜粋  ≫
≪  三陸鉄道に乗って 20数年前訪れた龍泉洞 & 普代・黒崎を訪ねる 
 宮古から久慈へ大震災・津波の被災地を結ぶ三陸鉄道 北リアス線に乗って北三陸沿岸をめぐる < 先頭に戻る  >   < スライド動画へ進む  >
1992年4月に訪れた久慈・三陸沿岸のCountry Walk
琥珀の町「久慈」 眼にした「アンバーロード・琥珀の道」の言葉

久慈のある三陸沿岸は 琥珀ばかりでなく、古くからの製鉄資源帯・製鉄地帯
そこには「古代からの鉄の道がある」と 
ふと頭に浮かんだ 「アイアン ロード」言葉。響きもいい。
「和鉄の道・Iron Road」と名付け、たたら探訪のCountry Walkをライフワークに。

20数年ぶりに訪れた三陸沿岸は大津波に襲われた被災の地 
復興はまだまだ これから   
20数年前の記憶をたどりながら この三陸沿岸の今をしっかり眺めようと。

雨にはたたられましたが、多くの人たちに出会い、
笑顔で声をかけていただいて ほっとしながらもうれしい旅でした。 

一日も早い三陸沿岸の生活復興を祈りながら 八戸へ
やっと 三陸沿岸のIron Road を訪ねることができました。

                     by  Mutsu Nakanishi

 
1.  三陸沿岸のIron Road Walk 2日目 2014.8.8.午後の概要  
    三陸鉄道 宮古から普代への車窓・龍泉洞・普代村黒崎
2.
 三陸沿岸のIron Road Walk 3日目 2014.6.9午前の概要 
    普代の砂鉄浜「普代浜」・普代の街 & 三陸鉄道で久慈へ
3. 【資料】  久慈の鉄  
  南部鉄器の素材を提供した久慈地方の鉄山から近代直接製鉄法による砂鉄製錬へ

          1. 三陸沿岸のIron Road Walk 2日目 2014.8.8.午後の概要  三陸鉄道 宮古から普代への車窓・龍泉洞・普代村黒崎
 

6月8日 厚い雨雲に覆われ、霧雨が降ったり止んだりの一日。            
午前中に山田町船越の古代の製鉄遺跡の発掘現場を見学したあと、霧雨の中 代行バスで宮古駅に12:45到着。            
TVなどの報道で薄々感じていましたが、山田町の市街地や船越の浜など まだ草ぼうぼうの広大な荒れ地に被災地の今。
今更ながら津波の強烈な破壊力と被災された人たちの辛苦に、声も出ず。  しっかりと現状を眼に焼き付けました。
また、山田町船越の数多くの古代製鉄遺跡に接し、知りたかった古代三陸の製鉄の様子も おぼろげながら頭に入った午前でした。
                         
午後は今回の三陸沿岸のIron Road Walk の目的の一つ「三陸沿岸被災地の絆の中心」と聞く4月全線開通の「三陸鉄道」に乗る。
20数年前 東北の古代からの資源帯 三陸海岸を訪ねて 岩泉・龍泉洞から三陸沿岸に出て、満員の三陸鉄道の列車に乗って
ふっと思いたって降りた普代。「北緯40度地球村普代」の言葉が印象に。 
また、翌日久慈のたたら館を訪ねる中で、「Iron Road」の言葉とイメージができた懐かしい地。
今日はどうなるか 風来坊。  
                   
宮古から「三陸鉄道」に乗車して、足の向くまま気の向くまま三陸沿岸の様子を車窓から眺めつつ、
20数年前に訪れた岩泉・普代など北三陸沿岸のIron Roadを訪ねる。

宿は前に泊まった普代黒崎の国民宿舎が取れているので気楽な風来坊ではあるが、
この宮古から北に続く三陸沿岸もまた津波の大被災地であり、気持ちを引き締めて歩かねばと。

≪ 三陸鉄道 北リアス線の車内 ≫

≪ 三陸鉄道 宮古-龍河洞の最寄り駅小本間の車窓より ≫

≪ 岩泉 龍泉洞 の ブルー ≫

≪ 三陸沿岸のIron road  北上山地 & 岩泉の鉄 図表の上でクリックし、拡大してご覧ください

≪ 三陸鉄道 小本-普代間の車窓より 小本・島越周辺 ≫

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          2. 三陸沿岸のIron Road Walk 3日目 2014.6.9午前の概要  普代の砂鉄浜「普代浜」・普代の街 & 三陸鉄道で久慈へ
8月9日早朝 昨日夕刻から夜半にかけて降り続く土砂降りの雨。       
朝雨がやんで、晴天を期待しましたが、昨夜にもましてきつい雨が降ったり止んだり。                   
今日は久慈に出て、新幹線で神戸にまで帰らねばならず、時間的余裕がなく、
昨夜は地図や資料と首っ引きで 今日の行程に頭をひねる。      
普代の浜・街も見たいし、また、久慈の駅に立つのも今回の目的の一つ。
とにかく黒崎朝7時の村のスクールバスで山を下って 普代の浜に下りないと先が続かない。 

久慈は20数年前 たたら製鉄遺跡探訪のCountry Walkを  「Iron Road ・ 和鉄の道」と名付けてライフワークに。
きままな風来坊Walkを楽しもうと決めた地であり、また、あまちゃん人気の久慈にも興味津々。

久慈地域は日本有数の砂鉄の宝庫で、南部鉄の鉄生産地でもあり、久慈地域の製鉄関連遺跡にも立ち寄りたい。
砂鉄を利用した近代量産の直接製鉄がはじめられた鉄の先進地でもある。( 川崎製鉄久慈工場 )  
残念ながら 以前訪れた久慈の「たたら館」はなくなっており、また、砂鉄鉱脈が 続く久慈の三鉄地は沿岸内部で、
アクセスの算段ができず。
 
今回は泣く泣く久慈の製鉄関連遺跡を訪ねるのをあきらめ、
以前の資料を含め、書き残していない久慈の製鉄関連遺跡を整理するにとどめる。   

普代の浜・街 を歩いた後、普代から三陸鉄道で久慈に出て、 
そのまま八戸線を乗り継いでこの沿岸の砂鉄浜を車窓から眺めつつ、八戸へ出ることに決めた。 
ただし、久慈で都合がつけば、久慈からバスで北上山地を抜けて、一戸へ出ることも頭に入れておこうと。

6月9日早朝 土砂降りの雨の中 黒崎の宿舎からバス停へ降りる。

≪ 大津波から普代の街を救った集落と沿岸を分ける巨大な防潮堤と普代川水門 2014.6.9. ≫

普代川の河口 普代川水門

  太田名部集落を守る15.5m巨大防潮堤   普代集落を守る普代川防潮堤防

≪ 背後の普代川水系のたたら製鉄地帯を象徴する普代川河口の砂鉄浜 普代浜  2014.6.9. ≫

≪ 雨に煙る三陸沿岸を 普代から久慈へ  2014.6.9. ≫


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≪ 北三陸のIron Road やっと再訪できた 「和鉄の道・Iron Road」 naming の地 久慈   ≫

1992年4月に三陸沿岸の鉄探訪で初めて訪れた北三陸 そして久慈 
その後 大津波で未曾有の被害を受けた地によう足を踏み入れられませんでしたが、
「アイアンロード」・「和鉄の道・Iron Road」の言葉が浮かんだ地にやっと立てて、今回の目的が果たせた。

1992年4月に訪れた久慈・三陸沿岸のCountry Walk
琥珀の町「久慈」 眼にした「アンバーロード・琥珀の道」
この言葉を聞いたとき 久慈のある三陸沿岸は古くからの製鉄資源帯・製鉄地帯  
 そこには「古代からの鉄の道がある」とふと頭に浮かんだ 「アイアン ロード」の言葉。 響きもいい。
たたら探訪のCountry Walkに この言葉を使って 「和鉄の道・Iron Road」と名付け、 ライフワークにと。
20数年ぶりに訪れた三陸沿岸は大津波に襲われた被災の地 復興はまだまだ これから   
20数年前の記憶をたどりながら この三陸沿岸の今をしっかり眺めようと。

雨にはたたられましたが、多くの人たちに出会い、笑顔で声をかけていただいて ほっとしながらもうれしい旅でした。  
一日も早い三陸沿岸の生活復興を祈りながら 八戸へ

やっと 三陸沿岸のIron Road を訪ねることができました。

                                              2014.6.9.  久慈駅前で   by Mutsu Nakanishi 

           < 先頭に戻る >   ・  < 抜粋写真集topへ戻る >  < スライド動画へ戻る >  
                                              3.  資料 久慈の鉄  南部鉄器の素材を提供した久慈地方の鉄山から近代直接製鉄法による砂鉄製錬へ
 
● 南部鉄器の素材を提供した久慈地方の鉄山から近代直接製鉄法による砂鉄製錬へ
               
久慈地方は大量の砂鉄があり、江戸時代には山陰山陽の鉄と並び、日本の二大産鉄地として、
江戸市場を制覇したことがあるといい、文政年間、南部藩営の御手山は久慈地方にあり、
当時、たたら式精錬法をもって安い木炭と、 低廉な労賃で3千人もの人が、そこで働いていたと
記録に残っていると聞く。
明治時代、高炉精錬法の時代を経て、昭和初期の砂鉄の大量精錬法が取り入れられました。 
また、高島高任の釜石の大橋洋式高炉操業に この久慈の鉄山技術が見込まれ、
久慈の鉱山師中野兄弟が参画してゆく。 

● 松方五郎悲願の海綿鉄製造     
                                                   
大正時代の末 久慈に眠る大量の砂鉄を使った大製鉄所が建設され、直接製鉄法による不純物の
少ない海綿鉄のテスト製造が始まる。 
この久慈海綿鉄はスクラップと一緒に平炉や電気炉に投入して精錬する製鋼原料と期待されたが、
不純物は少ないもののチタンなどスラグ成分がまだあまりにも多く製鋼原料としては未完成で、
ついに実用生産されることなく昭和3年開発は中止。

● 川崎製鉄久慈工場での海綿鉄ルッペ(半溶融鉄)の製造 直接製鉄の先端技術の量産化 

 昭和14年 川崎造船が久慈製鉄所建設を決定するとともに、昭和製鋼などと共同でクルップ・レン
直接製鉄法での砂鉄の直接製鉄法の実用量産をめざす。
昭和16年久慈製鉄所完成と共に川鉄(当時川重)単独での砂鉄による直接製鉄を開始し、
不純物の少ない半溶融銑「ルッペ」の製造が開始された。        

このルッペの不純物の少なさが、特殊鋼製鋼原料に最適とされ、量産が進んで、
昭和30年にはこのルッペの生産が7200トンに達する。
その後、低コストで大量高速生産ができる転炉製鋼法が主力となる近代銑鋼一貫製鉄所が日本の
製鉄業の主流となる中で、昭和42年 川鉄久慈工場はその役割を終え、
公共用地として整理更地となり、「川崎町」の名を残すのみとなり、
現在はその地に久慈市役所が建っている。

    ≪ かつて久慈にあった川鉄の砂鉄資料館「たたら館」展示より 1992年に訪れた写真より ≫
 
2008年に閉館された久慈地方の砂鉄資料館 旧たたら館
砂鉄の大産地であった久慈。 江戸時代から明治時代にはこの砂鉄を使って、数多くの鉄山が営まれ、南部鉄の一大供給基地となり、
また、その後 明治には高炉法による製鉄を経て、さらに直接製鉄法による海綿鉄製造が昭和42年まで川崎製鉄久慈工場でつづけられる東北の大産鉄の地であった。
この久慈地方の砂鉄・たたら製鉄並びに川鉄久慈工場の歴史を示す資料などを保存展示する砂鉄資料館として、2008年まで続いた。 
閉館後、これらの資料は、旧長内中学校内に移され、「たたら伝承館」として、保存展示されていると聞く。

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<詳細版>  東北 三陸沿岸の Iron Road を訪ねる 2014. 6.7.−6.9.
. <抜粋版> 東北 三陸のIron Road を訪ねる 2014.6.7.-6.9. 震災後 初めて 三陸沿岸の製鉄遺跡関連地の再訪 2014.6.7.-6.9.
1. 世界産業遺産登録 を目指す 日本近代製鉄発祥の地 「釜石」近代製鉄発祥の洋式高炉建設地 「釜石の橋野・大橋鉄鉱山を訪ねる 2014.6.7.
2. 三陸沿岸の砂鉄資源帯で古代の製鉄地帯「山田」
  古代蝦夷の鉄生産工房地の謎を解くかも??
発掘中の古代の製鉄遺跡 山田町船越「焼山遺跡」を訪ねる   2014.6.8.
3. 三陸鉄道に乗って 三陸沿岸の砂鉄浜 普代浜を訪ねる 20数年前訪れた龍泉洞 そして 砂鉄浜 普代浜 を訪ねる 2014.6.7.&6.8.
4. 車窓より眺める久慈・八戸周辺の砂鉄浜 久慈・八戸へ  砂鉄浜の 有家海岸 & 種差海岸 2014.10.5.
5. 東北 三陸沿岸のIron Road 再訪  まとめ   東北 三陸沿岸のIron Road 再訪  まとめ ( 項目リスト ) 2014.6.7.-6.9.
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【 引用・転記・参考資料 】

1. 田村栄一郎著「みちのくの砂鉄いまいずこ」
2. 久慈市編 ガイドブック「大地と自然の久慈」
3. 北上高地の砂鉄  http://www.bunka.pref.iwate.jp/rekishi/kouzan/kouzan01_02.html
4. インターネット検索   一部写真 北三陸沿岸のたたらの解説につかわせていただきました

【和鉄の道・Iron Road    by Mutsu Nakanishi   】

1. 「閃光」と「肌光」   - 鉄への思い - 
2. 田舎なれども南部の国は西も東も金の山- 岩手県南部 蝦夷の鉄 北上山地 大鎚・釜石へ  2002.10
3. 岩手県北上川流域の製鉄地帯 一関博 物館 - 蝦夷の蕨手刀と 日本刀のルーツ 舞草刀 -   2001.10.
4. 蝦夷の鉄・ 東北 和鉄の道   東北地方 和鉄の 道 9編 取りまとめ                   2004.1.

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東北 三陸沿岸の Iron Road を訪ねる 2014. 6.7.−6.9.
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2014.9.5.  1409fudai00.htm   by Mutsu Nakanishi
1405kobetanjyousan00.htm  2014.5.1.    by Mutsu Nakanishi