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発掘された日本列島2013 新発見考古学展に見る 昨年度発掘された製鉄関連遺跡の紹介

補追  福島県武井製鉄遺跡群の近接する沢入B・大清水Bの両遺跡が示すこと

 資料まとめ 要約

  福島県武井製鉄遺跡群の近接する沢入B・大清水Bの両遺跡が示すこと 

古代 たたら製鉄の革新技術「踏み鞴」の実用性を試し、実用展開のさきがけか?? 
   それが 金沢・武井製鉄遺跡群に出現した踏み鞴付き竪型炉

 
 1. 古代陸奥南の金沢・武井製鉄遺跡群のたたら製鉄炉の変遷と踏み鞴付き竪型炉の出現
〔古代陸奥南の金沢・武井製鉄遺跡群のたたら製鉄炉の変遷と踏み鞴付き竪型炉の出現〕
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本年の発掘された日本列島2013 新発見考古学展で 昨年度発掘された東日本大震災緊急発掘調査された遺跡のひとつとして 「場所・年代とも近接する福島県相馬の新地町 沢入B・大清水Bの両製鉄遺跡から関西で育まれた箱型炉と東国・東北で育まれた竪型炉の異なる2つのタイプの製鉄炉が出土したことが展示紹介された。
しかし、詳しい解説がなく、この遺跡がすぐ南にある金沢製鉄遺跡群と共に、古代大和の東北対応の最前線 陸奥南 福島県武井製鉄遺跡群に属し、このタイプの異なる製鉄炉が同時代の近接した製鉄遺跡から出土したことの意義についての検討についても触れられていなかったのが、気にかかっていました。 
また、この時期に製鉄炉の大型化と共に踏み鞴が現れ、この武井製鉄遺跡群では、時期・場所を同じくして 竪型炉・箱型炉の両方にこの踏み鞴が登場している。この踏み鞴のルーツについても いつも気になっていたたたらの謎のひとつである。
国内の鉄生産量が急拡大する7世紀後半から9世紀。 たたら製鉄も安定生産から増産へと舵を切る。
大型たたら製鉄炉の完成と大量送風を可能とする踏み鞴の革新的技術が 大和の最重要生産基地 陸奥南 福島県 金沢・武井製鉄群の異なるタイプの製鉄炉 竪型・箱型製鉄炉に登場する。それまでの鞴は日本書紀に記録された「天羽鞴」に始まる「皮ふいご」である。
ほとんど西日本には出現しない竪型炉での踏み鞴の登場は何を意味するのか・・・
大和の東北経営の最前線で しかも大和が持ち込んだ鉄アレイタイプの箱型製鉄炉と並立する東国・東北で育まれた竪型製鉄炉である。  
この意義をどう考えたらいいのか?
「日本列島新発見展で展示されるほど重要な新発見 箱型炉と竪型炉の並立とその変遷 そして、踏み鞴の登場」 


どうも 竪型炉に装着された踏み鞴が、踏み鞴が広く普及してゆく始まりになったのではないか・・・・・。
そんなイメージが頭をよぎる
 

この古代陸奥南の金沢・武井製鉄遺跡の製鉄炉について、持っている資料やインターネットなど関係資料を当たり、
この陸奥南の金沢・武井製鉄遺跡群の異なる2つのタイプの製鉄炉ならびに製鉄炉の変遷を調べました。
古代陸奥南の製鉄遺跡群に登場した「踏み鞴付き竪型炉」の出土意義について、私のメモとして資料を整理とりまとめました。

国内の鉄生産量が急拡大する7世紀後半から9世紀。 たたら製鉄も安定生産から増産へと舵を切る。
それまでの鞴は日本書紀に記録された「天羽鞴」に始まる「皮ふいご」であるが、増大する鉄の需要を確保するため、大型たたら製鉄炉の完成と大量送風を可能とする踏み鞴の革新的技術が登場。
同じ頃、大和の最重要生産基地 陸奥南 福島県金沢・武井製鉄群のたたら製鉄炉変遷過程でもこの踏み鞴が登場する。
それもほとんど西日本には出現しない竪型炉に踏み鞴が取り付けられて登場し、竪型・箱型製鉄炉の異なるタイプの製鉄炉それぞれに踏み鞴がつき、
その後、踏み鞴付き竪型炉は消えてゆく。
ほとんど西日本には出現しない竪型炉での踏み鞴の登場 そして その後踏み鞴付き箱型製鉄炉に取って代わられてゆく。
これは何を意味するのか・・・
◎ 7世紀後半 古代大和の東北蝦夷対応の最前線 福島県金沢・武井製鉄遺跡群では近江等大和で
  育まれた鉄アレイ型の箱型製鉄炉が登場し、さらに鉄の安定量産立地から、
    山の尾根から、山の斜面に場所を移し、製鉄炉が重複して作られるようになる。 
◎ 8世紀中葉になると中国にルーツを持ち、東国で育まれた最新の踏み鞴と大型羽口を持つ半地下式竪型炉が現れ、
   箱型炉と併用されるようになる。
  この踏み鞴付き竪型炉の出現は、炉の送風・温度安定と高温化を生み、箱型炉の操業にも大きな影響を及ぼし
   たであろうことはまちがいない。  
◎ 8世紀後半から9世紀初めには、量産効果をさらに高めるため、
   箱型炉にも足踏み鞴を付けた大型の長方形箱型炉が登場し、タイプの異なる2つの製鉄炉が並立する時代を迎える。
◎ 9世紀中葉には足踏み鞴を付けた大型の長方形箱型炉を並べて設置するようになり、鉄の大量生産化がすすむ。
   一方、東国・東北で育まれた竪型炉は消えてゆくという。
踏み鞴付竪型炉の出現がその後のこの地区での鉄の生産ならびに製鉄炉の構造に大きな影響を与えたことがよく分かる。
大和の先端技術としてもたらされた鉄アレイ型の箱型炉が、時を経て 竪型炉とともに導入された踏み鞴の技術が、竪型炉にと止まらず、
箱型炉にも長方形大型化の構造変化をもたらし、鉄の大量生産化をもたらした。  
    
また、同時にこの鞴の導入は製鉄炉操業で炉温の安定高温化を可能にし、鉄原料(砂跌・鉄鉱石)の溶融・浸炭を促し、
炉内で大量の溶融銑鉄を形成することを可能にする。 
たたら製鉄では比較的低温で砂鉄を半溶融還元して比較的炭素が低く靭性に富む玉鋼を形成するのが中心技術ですが、
高温操業すると 鉄原料は溶融し、浸炭して 脆くて硬いが融点の低い銑鉄(鋳物銑・ずく)を形成する。 
製鉄炉から解けた鉄が流れ出てくるので、炉を壊さず炉の寿命まで連続操業ができる竪型炉が導入された初期の向田A遺跡では、
同時に鋳型が大量に出土したことから、まだ、十分明らかではないが、竪型炉では銑鉄の操業も指摘されている。
発掘された日本列島2013 新発見考古学展で紹介された武井製鉄遺跡群の近接する沢入B・大清水Bの両遺跡はタイプの異なる踏み鞴付製鉄炉を
持つ9世紀半ばの遺跡であるが、いずれの遺跡の製鉄炉からも銑鉄が確認されている。
いずれにせよ、竪型炉に伴って現れた踏み鞴の登場が製鉄炉の大型化・鉄の大量生産化の大変革をもたらしたことは否めず、
この武井製鉄遺跡群の近接する沢入B・大清水Bの両遺跡はたたら製鉄の歴史を考える上で重要な遺跡といえる。

また、同時に当初導入された踏み鞴付竪型炉が中心的な製鉄炉にならず、踏み鞴付き箱型炉に取って代わられたことも重要と考える。 
チタン含有量の多い砂鉄を原料にすると”ねばい”鉄スラグを形成するので、竪型炉では更なる大型化や安定操業がむつかしく、
周辺に砂鉄が豊富にあるこれら製鉄遺跡群では 大型化の進行と共に、箱型炉に取って代わられたと思われる。

でも、この陸奥南部に登場した踏み鞴付きの竪型製鉄炉はどこから来たのだろうか・・・・・ 
大和が持ち込んだのか それとも 大陸・朝鮮半島との長い交流の中で東国で育んだ技術が花開いたものだろうか・・・・ 

また、古代たたら炉の最先端技術 踏み鞴がここでさらに磨かれ、全国に広がっていったのか・・・
この大和の最前線に集まった技術と鉄の工人たちのルーツの解明が進んでいるとはいえ、
まだまだ 未解明。非常に興味深く眺めている。

                               2013.8.13. by Mutsu Nakanishi
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1309souma01.htm   2013.9.5.  by Mutsu Nakanishi