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日本初の都市の出現 纏向遺跡を歩く  2012.7.24 & 8.23.
また 北部九州と結んで 大和で いち早く本格的鍛冶をはじめた遺跡でもある
1209makimuku00.htm  2012.9.5. by Mutsu nakanishi

纏向古墳群 石塚山古墳から眺める 巻向・三輪山を背に巻向川の扇状地に広がる纏向  
       三輪山と巻向山の谷間から流れ出た巻向川の扇状地に位置し 邪馬台国の王都?? と騒がれた纏向遺跡
日本最初の都市といわれ、まだ数多くの謎を秘めた纏向遺跡を歩きました
日本初の都市の出現 纏向遺跡を歩く[PDF file 全文] .
1. 纏 向 遺 跡 日本における都市の初現 の 概 要 .
2. 邪馬台国の王都?? と騒がれた大型特殊建物群跡と纏向古墳群を見て歩く
桜井線の西側3世紀前半の纏向中枢地区大田地区と纏向古墳群のある東田地区
2012.7.24.
3. 鉄をキーワードに纏向遺跡の謎を探る 纏向再訪walk
纏向遺跡全体を眺め 人工都市の意味と鉄の役割体現walk 
2012.8.23.
【保存用pdf file】纏向遺跡walk 写真アルバム
【保存用WMV動画】 纏向walk映像資料[15min・55MB]  
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穴師 兵主神社前の丘から眺める纏向と案内板に描かれていた都市の初現「纏向」のイメージ図
 
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卑弥呼の墓といわれる箸墓よりも早くに築かれた纏向型と呼ばれる出現期の前方後円墳群が
3世紀卑弥呼の時代まで溯れるといわれ、箸墓が卑弥呼の墓である信憑性も強まって行く中、
2009年11月 纏向遺跡で「卑弥呼の宮殿」と大騒ぎになり、にわかに邪馬台国大和説がもて
はやされた。
また、鉄の歴史視点から見ると、卑弥呼の邪馬台国連合のつながりは
「北部九州に対抗した朝鮮半島の鉄の覇権」との説も提案され、話題を読んでいる。
時は3世紀前半古墳時代前期。日本各地に諸国が生まれ、邪馬台国連合から大和王権へと日本
が大きく変化してゆく時代であり、実用鉄器が国づくりに大きくかかわってゆく時代といわれ
る。
当時の北部九州の先端技術 高温本格的鍛冶とつながると考えられる鞴の
かまぼこ型羽口や鉄滓そして大量の実用鉄器(鋤)がこの纏向でも出土し、
畿内でも一番早く北部九州の先端技術が入ってきていると見られる。
一方 纏向では 大規模な土木工事による土地改良・日本各地からの人の流入 そして前方後円
墳という巨大墳墓が築かれ、宮殿を思わせる計画的な大型建物も出土し、新しい古代都市出現の
体をなしている。
しかし、纏向遺跡では 農耕の痕跡・竪穴住居群の集落がいまだ出土せず、人の影が見えない。
この新しい都市での暮らしの実体がみえてこないのです。
鉄についても北部九州の先進鍛冶技術が流入し、土木工具「鋤」に特化した実用鉄器が出土する
以外にほとんど他の鉄器はない。しかも、厚い大型鉄器である土木工具が出土するにもかかわらず、
鍛冶工房跡もまだ見つかっていない。鞴羽口など鍛冶具が幾つも出土することから、鍛冶工房が
あたことは間違い無いとおもわれるのですが・・・・

 

邪馬台国論争の渦中にあるに纏向遺跡。 でも まだ遺跡には未解明の数多くの謎がある。
これらの解決なしには、論争に決着が付けられそうにないばかりか、「日本の幕開け」古墳時
代の到来を明らかにすることができない。
また、日本で製鉄が始まってゆく過程を知る上でも この纏向の鉄の解明はおもしろい。
 

纏向遺跡にはまだ10%にも満たぬ発掘調査が原因かもしれないが、謎が多い。
纏向はもう何度も歩いたことがあるのですが、纏向遺跡を全体として眺めたことがなし。
「卑弥呼の宮殿跡もみてないなぁ」 また、箸墓やホケノヤマ古墳はしっているが、
纏向の西側の端にある古墳群にはいってないなぁ・・・・と。

先日 この纏向遺跡のすぐ北側 物部氏の根拠地 布留遺跡を歩いて、初期ヤマト王権時代の鉄

の印象が自分の抱いていたイメージと随分違うこと そして この布留遺跡よりも更に時代の古
い纏向遺跡に布留遺跡にはない九州の先端鍛冶技術が入っていた可能性を知って、今一度 纏向
遺跡をゆくり 歩きたくて 7月24日と8月23日 夏の熱い日でしたが、真っ黒になって 纏向め
ぐりをしました。
        纏向遺跡の位置とその範囲概略
纏向遺跡walking Map
   . まだ 何も謎は解けませんでしたが、纏向遺跡はまだまだ謎の面白い遺跡 景色はいいし、
ゆったりと歩いて 古代のロマンにイメージを膨らませるのにはうってつけ。 
「纏向遺跡の人の顔が見えないのですが・・・・ また、鉄器ももっと出てません??? 」と
訪ねた桜井市埋蔵文化センターで「我々も本当に不思議なんですが、
集落跡がでていません」と聞いて 頭の中すっきり。 

纏向はまだまだ 古代のロマンを掻き立てられる場所。
わたしの妄想ですが、縄文人が作ったストーンサークルの古墳時代前期版が纏向では????と・・・・

「この時代 まだ 祀り 祭祀が国を治めてゆく基本であったろう 
 纏向は扇状地全体が連合諸国共同の宮殿-祭祀の場で、
 一般人が足を踏み入れなかった禁則の場だった。
 そのとてつもない大きさが見えず 人の姿がみえないのでは・・」

これが本当なら人工都市の謎もとけるし、スケールの大きさはすごい 
まだまだ 面白いことがありそうな 纏向
また、少し通ってみようと・・・・。

そんな今回の纏向walk 遺跡全体をきっちり端まで歩いて 
纏向の今の景色を抜けのないよう記録しておこうと。
写真枚数が多くて 大部になりましたが、デジカメの記録写真とご理解ください。
もう 夏も終わり 纏向の空にも赤とんぼがゆっくり 舞っていました。

       2012.8.23. 雷鳴轟く 帰り櫻井駅へのバスの中で 
                            by  Mutsu Nakanishi       



【 参 考 】

【和鉄の道】

1. 鉄のモニュメント 奈良 三輪山 大神神社の大鳥居  
    久しぶりに巻向・三輪 三輪山山裾を歩く              2011.8.2.
  http://www.infokkkna.com/ironroad/dock/iron/11iron09.pdf
2. 初期ヤマト王権を支えた物部氏の本拠地「布留遺跡」再訪Walk        2012.5.19.
    今まで 布留遺跡に抱いていたイメージが随分 変わりました
  http://www.infokkkna.com/ironroad/2012htm/iron8/1206furu00.htm

【主な取りまとめ資料 】 主にインターネットならびに纏向遺跡が記載さていた図録より 資料取りまとめました

1. 桜井市教育委員会 橋本輝彦氏 講演レジメ「日本における都市の初現 纏向遺跡」
2. 纏向古墳群・箸墓の年代測定についての資料  新井宏氏・鷲崎弘朋氏・歴博 資料&図
3. 村上恭通「古代国家成立の過程と鉄器生産」
4. 橿考研博物館「三国志の時代 2・3世紀の東アジア」展図録
5. 桜井市纏向学習センタ  home page   纏向遺跡
   http://www.city.sakurai.nara.jp/maki_c/info/iseki.html

 
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  201209makimuku00.htm   2012.9.5.  by Mutsu Nakanishi