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初期ヤマト王権を支えた物部氏の本拠地「布留遺跡」再訪Walk 2012.5.19. 
今まで 布留遺跡に抱いていたのイメージが随分 変わりました

3. 物部氏の本拠 天理市布留遺跡 再訪 再訪Walk 2012.5.19.
           布留遺跡の遺構・遺物の出た場所を意識して布留界隈を歩く      1206furu03a.htm 

                    天理市布留  天理教本部 神殿境内から東方 布留の山並みを眺める  2012.5.19.
     「布留遺跡」は神殿を中心とした天理教諸施設の下に眠る「大和が日本の中心になる過程のタイムカプセル」
            各遺構と遺物の出土位置を頭に置きながら ぶらぶらと天理布留界隈を歩きました
《布留遺跡の遺構・遺物の出た場所を意識して布留界隈を歩く》
3.1 宗教都市天理と「おやさと」「おやさとやかた」
3.2 留遺跡三島調査地区(天理教神殿ほか天理教本部地区)から
東に広がる傾斜地の丘の上 布留の十字路へ
3.3 布留川の扇状地への流れ出口 「布留」交差点 周辺
3.4 布留川南岸の杣之内地区
布留の十字路から天理大学キャンバス・天理参考館へ 
3.5 午後 再度 布留の丘から石上神宮へ

           南北に細長い奈良盆地の東の縁のほぼ真ん中 布留川のなかれ出る扇状地が天理市布留
すぐ南側の巻向・三輪山を経て 飛鳥へ 古代東西の重要路 山之辺の道が続き、すぐ北側を名阪道路が東へ山を越えて行く。
今も昔も 大和の交通の要衝である。この初期大和王権の北の守りの位置「布留」に大和王権の軍事を担った物部氏が本拠地を築いた。
Google earthの衛星写真で見ると物部氏の本拠地「天理市 布留」は東の山並みの間から西へ流れ出る布留川の扇状地。
その出口の山裾から石上神宮が見下ろす扇状地の中央を布留川が流れくだり、その両側のなだらかな傾斜地に初期大和王権を支えた物部氏の諸施設が立ち並んでいた。現在はそこがそっくり天理教の本拠地で神殿や天理大学など天理教本部の諸施設や関連施設が緑に取り囲まれて建っている。 
何度か歩いたことがあるのですが、改めて衛星写真に布留遺跡の位置を重ねると扇状地であることが意識され、大和王権を支えた本拠地となったわけがよく判った。
一方 布留川の氾濫に悩まされたろうことも、「大溝」の開削遺構や居館を取り囲む石敷遺構などに見て取れる。
本などでは「布留遺跡」は神殿を中心とした天理教諸施設の下に眠る「大和が日本の中心になる過程のタイムカプセル」と言われている。
やっぱり直にどんな場所からの遺構・遺物が出たのかを見たいと気になってきました。
大布留遺跡展と関連講演会参加で、具体的な布留出土の遺構・遺物 そしてそれらが出土した概略場所の地図も頭に入れて、講演会の前後に各遺構と遺物の出土位置を頭に置きながら ぶらぶらと天理布留界隈を歩きました。
 
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1206furu03a.htm   2012.7.1.   by Mutsu Nakanishi