.From Kobe 5月

共に元気出して 声かけあって

他人任せの「みんなで渡れば 怖くない」ゆるゆるの時代は 
「デジタル・IT万能主義 効率 グローバル 競争 強欲個人主義」の行きづまりの中で 跡形もなく崩れ去り、
「はっと振り返ると誰もいない現実」の時代へ

 
自分には起こりえないと思っていた非現実「明日は我が身」があれよあれよと次々に現実になってゆく。
対処するすべもなく 仲間もなく もう 茫然とたたずむ。 

無駄と言われ、切り捨てられた「モノと仲間」の中に 何と大事なものが多いことか はっと気が付く。 
お互いを認め合う一体感と周りへの気配り「縄文帰り 命の絆」を 今一度取り戻そう。 

時代の変革点での災害 日本を見直し、 
「ひとにやさしい社会」を築くことこの視点だけは ぶれぬことなく持ち続けたいと思っている。

前に緊急時の情報発信のメディアとしてのテレビの報道姿勢について記したが、
最近の原発事故の報道並びにそこに登場するコメンテイターのひどさは目を覆う。
政府の発表もテレビを意識した発表で同類の部類で、
情報発信する側にその問題点を考える姿勢がなく、
海外からの指摘も状況を知らない報道と平気で無視するのが、今の日本の現状。

テレビの報道は直接一般の人の眼に触れるだけに問題が多い。[テレビとは 民放に限らず、NHKについても…・] 
といっても テレビを見ないわけにもいかぬ。 
直感的におかしい 庶民感覚に合わぬと感じた時は やっぱりおかしいのである。
もう 自分で 勉強してゆかねば、流されてしまう時代である。
人の言うことにもろ手を挙げて 追従しては生きてゆけぬ 自分で価値評価・判断する知恵をつけねば・・・・と。

最近 観察していると どうも次のようなコメンテイターが多い。
   .
1. 専門家・解説者という人が、どんな立場 視点でコメントをしているか 判らない報道が多い。
  専門家は立場は狭いが、どんな立場・どんな視点で話しているかを 必ず明らかにしている

2. 結論だけで その根拠を全く話さない。 
   この場合 伝聞・提供された概論でものをいう。提供された資料に批判的な目を持たぬ最近の体質

3. 状況説明に終始し、自分の意見 今後の見通しを述べない
   これは 自分が批判にさらされぬ防衛本能

テレビの中の人に流されず、報道を理解判断する時の自分の眼になれば・・・・・。
 
 
   . どう思います 1.
今日も「原子炉建屋 冷却モーターのある場所周辺が、1000ミリシーベルト/時を越えているとの発表があった。
10分ほど作業したら許容年間放射能値を超える」と淡々と話し、一方で「作業員が間もなく建屋に入って
作業を進める段階になってきた」と。オープンな発表と自慢げな政治家の顔も映っている。

数値慣れしてきて、数値に不感になってきているが、「毎時1000ミリシーベルト」には 耳を疑うすごい値。
急性被曝を起こす値で、オーダー的には数時間浴びると「死」に至る致死被曝量値である。
[トータル5000シーベルト以上の放射能を浴びた人はその後死に至ると指摘する専門家が多い。] 
それを低値被曝の換算だけを報道する。意図的と言わざるを得ないのでは。
なぜなら、その後に建屋作業スケジュールを淡々と述べているのである。」
そんなところへ 作業員を入れるのか… 
むしろ 作業環境としては 絶対に止めて、選択・対処法がまず先。 別道の検討を選ばねばならぬはず。

どう思います 2.
また、政府は小学校の校庭での屋外授業を制限しているが、ある自治体では校庭を1日の重機作業で、
3cm 削ると放射線量は1/3以下になり、許容値の中に入ったという。
誰が見ても、校庭の土を削る作業で 汚染土を一か所に集め、制限を取り外す方が理に適っている。
[裏には「まだ 放射性遺物がまき散らされていて 雨などで さらに放射線量が上がる」ことが、隠されているのかも] 

素人目に見ても判る疑問を なぜジャーナリストの記者側の眼にうつらないのか・・ 
なぜ問いたださないのだろうか…・
どうも 映像が思考を退化させている。 
明日は我が身 人の身になって考えることがいかに苦手になっていることか……
「人に惑わされぬ眼と心」と「一見無駄に見える余裕」の必要性
「無駄は無駄ならず」「人は機械で替えることはできない」と自戒を込めて
 

                     2011.4.27. TV原発報道を見た後で 

               from Kobe   by Mutsu Nakanishi


追伸  ご安全に!! の挨拶を交わしながら 鉄鋼の工場見学 

いやな ぶつぶつばかりの最近ですが、先日かつて勤務した鉄鋼会社の公募での工場見学会の機会を得た。

重厚長大の高度成長の屋台骨を背負ったシームレス高級鋼管工場である。新規量産工場が別に建設され、
時代の変化から檜舞台から遠ざかり、老朽設備・リストラの嵐を潜り抜け、今どうなっているのか 工場の今を見てみたいと。 
一般応募した人約100名ほどでの見学。

工場内の安全通路を歩きはじめると「ご安全に!!」の声が 道々でかかり、反射的に「ご安全に!!」にと返す。
この「ご安全に!!」は日本の鉄鋼会社の現場で共通の挨拶で 出会うとみんな声を掛け合う。
ご安全に!! で 勤務がはじまり、ご安全に!!で一日が終わる。 体がまだ覚えている鉄鋼マン。 
同時に仲間の中にはいりこんだとの感慨も。

指先喚呼 JK自主管理活動 危険予知 現場を支えた数々の集団活動 
もう随分かわったたろうなあ・・・と思いつつ、
漏れ聞く自動車・情報企業とは違うぞと。 鉄鋼の絆として生きていてほしいなあと。

設備・レイアウトが一新され、綺麗な高級高合金管の専門工場に変身していて若い人も多く、
なによりも声高らかに「ご安全に!!」と飛び交うのがうれしかった。

周囲の工場が次々と最新のハイテク工場になっていくのを外から横目で眺めながら
どうなっているのか心配していましたが、
その変貌と相も変らぬ「ご安全に!!」の挨拶に象徴される鉄鋼マンの伝統が今もいまも生きていると・・・・。

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    2011.5.5.  from Kobe 5月   1105kobe00.htm  by Mutsu Nakanishi